♪♪ 何が何して 何とやら ♪♪ |
今年(平成26年)は、堺自由の泉大学で「中国古典文学講座」を受講したいと思っていたが、もう三、四年前から初級クラスは開いていないことを知り、 さてどうしようかなあと思っていたところ、今年度から春野恵子さん(のブログ)による浪曲の授業が始まることを知った。 浪曲と云えば、亡き父が好きだったようで、父を通じて広沢虎造の名は知っていた。父はまた鉄砲光三郎の河内音頭を聴きことも好きで、「河内十人斬り」のカセットを買って やったこともあったが、私自身はこれまであまり関心を持つことはなかった。しかし高校時代、学友の一人が遠足か何かのバスの中で、三波春夫の歌謡浪曲「俵星玄蕃」 を見事に歌い切ったことが思い出された。You Tube で聴いてみて、自分は譜面も読めないし音感もよくないが、あのように歌うことが出来ればいいなあ、という思いも 湧き起こってきた。無謀かも知れないが、受けてみるか! えーい、決めた! 人生、何でも挑戦だーーー。 You Tube では春野恵子さんの浪曲:「番町皿屋敷〜お菊と播磨」、「天狗の女房」、「両国夫婦花火」、「大阪城落城の淀君」、それに「高田の馬場」の一部(6分位) を聴くことが出来る。天狗の女房が一番強く心に触れてきたので、まず最初にこれを覚えようと何回も聴くことにした。 授業では、一年を通じて「番町皿屋敷」を教えてくれることになった。 6月〜7月は、You Tube にアップされている春野恵子さんの浪曲から、台本起こしを試みると同時に、「天狗の女房」と「番町皿屋敷」の練習に取り組む。 「番町皿屋敷〜お菊と播磨」の台本 「両国夫婦花火」の台本 「大阪城落城の淀君」の台本 【「番町皿屋敷」は、9月末頃に春野百合子さんのCDを購入できたので、補足する】 7月3日の授業で、「天狗の女房」をやってみなさい(予期していなかった!)と云われ、気に入っていた最後の節をみんなの前でやることにした。大変緊張 していたようで、目をつむってやっていたし、終わった後の皆さんからあった拍手(後で聞いて知った!)も全く記憶にない。授業にはいつも曲師の一風亭初月(ハヅキ) さんが一緒で、三味線を弾いてくれているが、終わった後に感謝の会釈をすることも忘れていた程であった。 しかしこれで少しは自信がついたのか、7月23日、 日本語朗読のクラスの数人と行ったカラオケ店で、前節とそれに続くタンカ(登場人物の科白)を少し、それから説明を加えて、教室でやった最後の節を披露した。 浪曲には三味線はつきものですので、ここには私の知り合いで三味線の上手な一風亭無人(ムヒト)君がいるので、想像の翼を羽ばたかせて、一緒に聞き取って下さい、 とその時、言ったかどうか……。 浪曲は、《なにがなにしてなんとやら》と七五調で節をつくるということで、七五、七五と言葉を綴ってみるという授業があった。その時に思いついた ことを、その後いろいろと考えて、浪曲風に纏めてみることにした。ミニ浪曲『もう一つの自己紹介』がそれである。 |
ミニ浪曲(1) もう一つの自己紹介
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9月25日の授業で、ミニ浪曲(1)を披露した。時間の余裕がなかったので、枕のお話の部分はカットしておこなったが、「もう一つの自己紹介」という演題なのに、 珍事出来(シュッタイ)!(?)、肝心の名前を言うのを忘れてしまった。それで、上のミニ浪曲(1)は当初の台本とは違い、名前を言い忘れたのはそのままにして、最後に少し 付け加えて、辻褄の合うように作り直したものである。 その後ミニ浪曲(1)は、10月17日に日本語朗読の人達と食事を一緒にした際、昼食後の団欒の中で座興の一つとして、枕も入れて聴いて貰った。 曲師の無人君は 一風亭と勝手に使うのは良くないと云うので、それじゃ二に変えよう、いや二風亭はいい感じじゃない、それじゃ二風天にしよう!、どっちも瘋癲じゃねえか、と云う ことで同意。私は、似非浪曲師の二風天芭俄梵です、曲師の無人君が弾く三味の音も想像の翼を羽ばたかせて聴いてやって下さい、と言って、食後の語らいを盛り上げる 一助を果たしたのでありました。 8月18日に春野百合子さんの浪曲「高田の馬場」のCDを購入する。レコード店で調べて貰ったところ、「樽屋おせん」も購入可能だったが、これは7千円位する数枚組 の中の一枚とかで、後日にすることにした。 早速聴いてみた。凄い!という一言に尽きる。凄い表現力!、凄い節! 特に飲んだくれの安兵衛さんを表現する節に 魅せられた。何回聴いても飽きることはない。大泉緑地内を散歩する時はいつも聴いている。 その後、クラスの人が親切にも、八尾市にある「河内音頭記念館」の山口レコード店に問い合わせてくれて、春野百合子さんのCD、「出世太閤記」「梶川大力の粗忽」 「番町皿屋敷」を9月25日に手にすることが出来た。 「出世太閤記」の台本 「梶川大力の粗忽」の台本 普段の授業では、恵子先生が浪曲に関する事柄を話してくれたり、師匠の春野百合子さんの浪曲の一部を聴いて節の説明をしてくれたりもするが、基本的には生徒が 家で練習してきたことを発表して、それに対してコメントし、直してくれたりして、授業が進められている。 「番町皿屋敷」はだいたい覚え、発表もしたので、次回は「高田の馬場」の前節を聴いて貰おうと練習を重ねてきた。 ある朝方目が覚める、起きるにはまだ早い、 眠ろうとして眠れぬまま、いろんな思いが浮かんでくる…、前節が終わって、”五兵衛、今戻った”、と続くが、パリテ宿の大家さんの名前が吾平さんだったとした ら!……、というヒラメキがあった。そうだ、単に節だけを聴いて貰うのでは面白くない、ミニ浪曲風に繋げていけるかも、と思った。 その後いろいろ苦心して 創りあげたのが、演題:「パリテ宿 或る深夜の出来事」という、浪曲になっていないミニ浪曲が出来上がった。 |
ミニ浪曲(2) パリテ宿 或る深夜の出来事
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春野恵子さんの浪曲を You Tube で聴いているうちに、浪曲の節に興味を持つようになっていったように思う。春野恵子さんが師匠の春野百合子さんから教えて 貰ったという17演目(の聴暦)の中に、近松門左衛門の作品から採った演目が三つある。近松門左衛門は 「東洋のシャイクスピア」と云われていることは若い頃に知ってはいたが、 今まで興味を持てずにいた。ところが最近なんとはなく関心を持ち始めたようで、原作を図書館で読んでみたが、自分の想像力が乏しいのか、それ程のことはない。 しかし9月13日、難波のワッハ上方で春野百合子さんの浪曲「梅川忠兵衛」(近松門左衛門作「冥途の飛脚」)を初めて聴いた時に受けた感動は如何なる理由によるのだろうか。 勿論春野百合子さんの熱演振りに心を打たれたことは確かであるが、彼女の素晴らしい声が奏でる節に魅了されたのではなかっただろうか。 10月26日、尼崎市塚口の広済寺近松記念館で行われた大近松祭で、春野恵子さんの浪曲「おさん茂兵衛」(近松門左衛門作「大経師昔暦」)を聴いた。原作は既に読んでいたし、 9月21日ワッハ上方で春野百合子さんの「おさん茂兵衛」を聴いていたので、話の筋は解かっていたこともあり、恵子さんの「おさん茂兵衛」を聴きながら、 いいなあという思いを更に深めることとなった。 台本起こしをやるぞ!と意を決して、10月28日ワッハ上方へ出かけて行った。行きつ戻りつ、繰り返し何回も聞き取って行くうちに、タンカ(科白)の素晴らしさにも 気付かされることとなった。 母親がおさんに言う「… 十月十日の腹痛め、親が大事に産みつけて、隙間の風に当てんよう、やれ可愛(カワ)いや、やれ愛しや、 撫でて育てたその身体、なんぼ天下の御法かは知らんが、槍で突かせてー、槍で突かせてーなるものかいのー …」 この言葉は観客の心に深く沁み込んで来る。 また、…おさん茂兵衛は何処へ行く…で終わっているのは、おさんの両親が二人に「… 二人の身体は二人の身体、捕まるまいぞえー、どんなことしてでも逃げ延びておくれ …」 と願う思いを、観客もおさん茂兵衛の二人の未来に対して、同じ様に抱くことが出来て、この台本を創った人に大いなる敬意を表したい気持ちになった。 この演目も何とかして覚えてみたいという気持ちが強くなったように思う。音源が手に入らないので、何回もワッハ上方通いが続くことに なるだろうけれど……。 11月16日、国立文楽劇場(の会議室)に初めて足を踏み入れた。日本語朗読講座の先生の勧めで、文楽の解説や義太夫の発声等について話が聴けるの云うので、 受講生数人と連れ立って行ってみた。講師である文楽太夫の豊竹英大夫さんが、司会者と対談する形式で、ざっくばらんに話をして下さり、とても有意義な2時間であった。 豊竹英大夫さんの話の中で特に印象深かったのは、”太夫は演出家である”という言葉であった。浪曲も、浪曲師が自ら演じる役者に指示を出して想像の劇空間を創造していく のだから、演出家であるとも言える。そう言った点ではよく似ているなあという思いを深くした。文楽の修行の厳しさについて、また節の習得や発声のこと等について、 興味深く聴くことが出来た。 ちょっ引っ掛かったことがあった。アンケート用紙の問いかけの一つに、次の伝統芸能の何に興味をお持ちですかと云うのがあり、能、狂言、歌舞伎、落語、 云々とあるのだが、浪曲がなかったのである。ふーむ、浪曲は今このような状況に置かれているのか、残念な思いであった。自分で浪曲と書き足し、 それに大きく丸をしたのであった。今年浪曲の勉強を始めていなかったらならば、この様な感想を抱くことはなかっただろうなあ…とも思う。 この事をパリテ宿の大家さんに話したら、そうかそうか、そういう状況なんか……、若い頃浪曲に熱狂したらしい過去を持つ吾平さん、なんだか寂しげであった。 いやいや、若手も擡頭して来ているようですよ、真山隼人、京山幸太の両君、それに私はまだ聴いたことはないのですが、若手では浪花亭友歌さん、 それに京山古圓嬢さんの弟子で菊地まどかさん(春野恵子さんに近い年代か?)がいますよ、と言うと、あんたがこの前ゆうとった恵子さんはどうなんや?と返ってきた。 更に、春野恵子さんは平成の女雲右衛門になる可能性はどうなんや? 期待してもええんか、どうや?…… …と云うことであった。浪曲好きだったらしい大家さんの 口から出てきた雲右衛門、つい最近知った人の名で、桃中軒雲右衛門は浪曲の興隆の礎を築いた人物なのである。 恵子先生が7月頃だったか、紹介してくれた、桃中軒雲右衛門の伝記『俺の喉は一声千両』(岡本和明著・新潮社)によれば、浪曲の歴史は浅いけれど、明治の三十年代、 幾多の偏見や差別の中で、雲右衛門がいかに苦労して浪曲を大衆の中に根付かせていったか、その経緯を知ることが出来る。戦後、浪曲が徐々に衰退していく中で、 生き残りをかけて歌謡浪曲が始められたのであろう。これまで浪曲に関心の無かった私でさえ、三波春夫の「俵星玄蕃」は憶えていた。また演歌歌手村田英雄は 雲右衛門の孫弟子に当たるということをその本で知り、親近感を抱くことともなった。 文楽のことに話は戻るが、現在、近松門左衛門の原作を読んで興味を持つ人はどれだけいるだろうか。私は10月に行われた大近松祭で、人形浄瑠璃「曽根崎心中」の実演を初めて 観たが、確かに義太夫の持つ言葉の力をまざまざと見せつけられた思いがして、文楽に大いに興味を抱いたのである。私同様に、これまで文楽に一度も接したことのなかった人でも、 例えば春野一門の近松物の浪曲を聴き、解り易い言葉で語られる物語世界を周知し、その節によって感情の世界を揺さぶられていたなれば、文楽の世界に容易く入って行くことが出来、 人形浄瑠璃を観る目、聴く耳をもっと深いものにしていくことが出来るのではないだろうか。 今年浪曲の勉強を始め、浪曲の節の魅力に取り憑かれつつある私も、パリテ宿の大家吾平さんの思いと同じ様に、浪曲の隆盛を強く願っている。 ミニ浪曲(2)は、11月20日の授業で披露することが出来た。予想していた通り出来は良くなかったし、受けるかと思って付け加えた科白には反応はなかったが、 大家さんの言う科白「まだまだやなあ」の後に、「息継ぎがよく出来ておらん、そんなんじゃ、聴いてる方は苦しゅうなるわ」等と付け加えたところ、笑いの反応があった。 反応してくれるのは良い事なのだが、やはり大家さんの言うような感じを受けた人もいたのは事実なのだろう。息継ぎの仕方をもっと研究し、息に余裕のある状態でないと、 節は良くはならないだろうなと思う。 さて、ミニ浪曲は続けていければなあという思いは湧いてきている。しかし、いい着想はそう簡単には出てこない。 …………… 浪曲の授業を受けようと決めた後、覚えようと練習したのが、三波春夫の歌謡浪曲「俵星玄蕃」であった。 …… カラオケで過去二回。一回目は日本語朗読の数人の仲間に…。 二回目は同じ浪曲の授業を受けている人に連れられて行った飲屋で歌って、その場の見知らぬ人から握手を求められ、感動したことがある。…… そうだ! あれを少し 浪曲風に手直ししてみよう、と思いついた。そうして出来たのが、ミニ浪曲(3):「私風、三波春夫作『俵星玄蕃』」である。 |
ミニ浪曲(3) 私風、三波春夫作『俵星玄蕃』
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11月26日は11月6日の振り替え、浪曲の授業の一環として新世界の動楽亭へ出かけて行き、「第10回なんことけいこ」の口演を聴いた。講談師の旭堂南湖さんと 浪曲師の春野恵子さんがお互いの勉強を兼ねて続けてきたとのこと。来年度からは、お互いの日程調整が難しくなってきていることもあり、年一回にするらしい。 講談をライブで聴くのは初めてのことであるが、そもそも講談を昔、テレビかラジオで聴いたという明瞭な記憶はない。しかしこれを機会に、 講談にも興味を少し抱くこととなった。浪曲のネタも講談から取ったものも多いらしい。 独眼竜政宗が或る屋敷に招かれ、我知らず刀の鐺(コジリ)を人の頭に当ててしまい、その仕返しに殴られるのをじっと我慢をしていたのだが、 酒宴の席でその小柄(160cm位)の政宗が、殴った武士(実は鐺に当てられるよう仕組んだ…)を片目で睨みつけてその理由を述べた時、その武士は震えあがったという場面を、 南湖さんが語る口調が、特に印象深く残っている。 昼の部では、「天狗の女房」を聴いた。You Tube で初めて聴いていた演目であるが、今回はカットする所はなかったように思う。11月8日ワッハ上方で春野百合子さんのを DVDで聴いていたのでそれが判ったのである。 天狗の女房は私自身最初に覚えようとした演目で思い入れもあり、今日は「天狗の女房」をやりますと言われた時、 嬉しくなり、子供ならヤッタ!と飛び上がったであろう。期待に違わず素晴らしい熱演であった。隣の人に思わず師匠を超えた!などと口走ったが、 この演目に関しては、その時の感動はそれほど大きかったのであろう。浪曲評論家がいたならばきっと「師匠春野百合子に肉薄する熱演振りであった」と評したであろう、と思う。 夜の部では、南湖さんは「梶川屏風廻し」、恵子さんは「梶川大力の粗忽」。講談では梶川与惣兵衛。元禄14年3月14日、江戸城松之廊下で、 刃傷に及んだ浅野内匠頭長矩を取り押さえた人物、「仮名手本忠臣蔵」では加古川本蔵、とある。講談でも浪曲でも梶川は武士の情(なさけ)を知らない人物として批判されている。 五百石の加増のお礼に来る梶川に、十八年の艱難の後、ついに富士の裾野の狩倉(狩場ノコト)で仇討を果たしたという曾我兄弟の話を持ち出して、 武士の情を知らない者として非難されるのである。講談では、梶川が御礼を延べに行く先々で、富士の裾野の狩倉を描いた屏風(曾我兄弟の仇討を想起させるもの)を見せつけられるという話。 「梶川大力の粗忽」は一心寺浪曲寄席で春野一さんのを聴いたのが最初である。その後、何回も聞いているうちに、この演目の節にも魅せられて行っていることを、 恵子さんの梶川を聴いて、再確認もし、大いに満足であった。 12月16日、十三にある淀川文化創造館(シアターセブン)へ「春野恵子が京山幸太を可愛がる会」を観に行った。恵子さんが以前、京山幸枝若師匠に「しごかれた会」のお返しに、 京山一門の若きホープを褒めて育成するという趣旨であろう。若手にとっては良い励みとなり、浪曲の今後の発展の為にも、この様な浪曲界内部の活動はもっと活発になって行くべきことだろうと思う。 幸太くんの浪曲を初めて聴いたのは、8月30日、築港高野山釈迦院の境内で行われた「奉納浪曲まつり」であった。あの時は、マイクの使い方が悪かったのだろう、よく聞こえて来なくて残念だった。 観客の中に立ち入り、腕組んで弟子の姿を見詰める幸枝若師匠の姿だけが、印象強く残っている。その後恵子さんが「両国夫婦花火」を演じ始めるやマイクが故障した。 声を届けようと喉を傷めるほどに声を振り絞る、キャリア十年も伊達じゃない、その姿が特に感動的であった。 幸太君は現在持ちネタは五つ、今日は「弁慶五条の橋」。この演目は最後に8分ほどの節が続く大変な演目なのだそうだが、京山一門の浪曲の特徴がよく出ていて、 非常に良くやっていたように思う。プロとして一歩踏み出しただけはある、と感心させられた。幸枝若さんは、話の合間に今日言葉で時々解説を挿むのであるが、 そのタイミングが絶妙なのだが、幸太君もそれをやっていたが、その辺りのことはまだまだだな、という印象であった。これはこれからの彼の課題であろう。 人生経験を積み、世情に通じるようになっていけば、彼独自の解説やちょっとした皮肉なども挿んで、聴衆を楽しませて貰いたいものだ。 恵子さんの「斉藤内蔵助〜堅田落ち落花恨みなし」は春野一門十七演目の中で、私はまだ聴いたことがない唯一の演目であった。その事を授業の中で述べると、それでは 掛けましょうと云うことで決まった演目であった。恵子さんには何時もながらの熱演を聴かせて貰い、大いに満足であった。しかし初めて聴く演目なので、話の筋を追うのに必死で、浪曲を味わう 余裕はなかった。斉藤内蔵助利三は明智光秀の家臣。本能寺の変の後山崎の戦に敗れ、敗走の途中に起こった悲劇。秀吉に是非訴えねばならぬ事があり急いでいた内蔵助が、 馬方に駒を求めるが譲ってくれないので、相手を殺して駒を奪う。途中内蔵助の乳母の家に立寄り、殺した相手は乳母の息子であることが判明……と云う話であるらしい。 この浪曲も「梶川大力の粗忽」の時と同様、繰り返し聴く内にその良さがじわじわと感じられるようになることだろうと思う。悲劇には愁いは付き物。梶川の最後のあの愁い節、 初めて聴いた時に、あの素晴らしい愁い節を、すぐにそうと感じることの出来なかったこの自分…。である故に、今後聴く機会があれば、何回でも聞いてみたいと願っている。 春野一門の浪曲の特徴は、何と言っても素晴らしい愁い節にあると私は思う。 恵子さんが今日語っていた所によると、語り口の間の絶妙な取り方、三味線との間の取り方や、その音との調和を図りながら、周到に計算をし、話し全体の構成を考えて演じているらしい。 12月18日は、今年最後の浪曲の授業であった。 授業の冒頭、先日のNHKでの浪曲収録の話が出たので、浪曲は、特に人気のある演目は、優れた短篇小説の様なものだから、 話を縮めることは出来ない、それを要求して来るとは許せないことだという思いを先生にぶつけてみた。 浪曲はテレビが普及するまでは非常に人気があり、 物凄く稼ぎのある浪曲師が大勢いたそうで、それで傲慢になっていて、テレビ局側からの要求にも真摯な対応が出来なかった…、今ではその様に見ているようだ。 確かに、CMの為途中で話を中断されたり、話す時間を制限されることは許し難いことだと反撥したのは充分理解出来ることではあるが、テレビという新しいメディアを無視してしまった事は、 大きな反省点だろう。テレビというものをそういうものとして受け入れ、出来る範囲のことはして、寧ろ浪曲の宣伝として捉え、本当の浪曲の良さはライブにある、 是非浪曲小屋にお越し下さいと訴えていけばよかったのだ。今にして想えば、浪曲界側のメディア戦略の失敗と言っていいのだろう。 しかし、過去の様々な経緯は十分理解した上でも、CMの無いNHKだからこそ、次のことだけは是非言いたい! …… なんぼ天下のNHKかは知らんが、話を縮めて〜…、話を縮めて〜なるものかいのお! …… 今日は練習してきた「おさん茂兵衛」の最初と最後をやらせて貰った。最後の節は、まだ十分こなしきれていないにも拘らず、流れで調子に乗って(その自覚はあった…) 自分ではいい気になって唸っていた。三味線に合っていないと云う痛い、厳しい指摘。三味線を意識しなさ過ぎているのだ。話す方に精一杯で、 なんて言い訳は出来ない段階に来ているんだと思い知るべきだ。 浪曲は、落語や講談と違って、節が生命線だ。桃中軒雲右衛門も自分の節の質を高める為に、 良き曲師を探し求めたと云う。三味の音に節を乗せて、三味線と調和を図ってこそ、良い節となるのだ。もっと三味線の音を聴くように努力しないといけないと思う。 今迄に一度だけ、ほんの二、三秒ではあったが、自分が語っている時に音か聞こえてきて、良い気持ちになったことがある。今後の課題だ。 |
2015年(平成27年) |
南海線の始発駅の近くの公園で、一人の男性の講談師が人々に何やら話しかけている様子。近づいて聴いてみる。 講談の起源は戦国時代の軍師にあると云う。黒田官兵衛の如き軍師が、過去の合戦の有り様を講じ評価し、今後の軍略を献策したが、その語り口が講談の原型となったのだそうだ。 従って講談は歴史小説へと繋がって来ている。講談が衰退した頃に、例えば司馬遼太郎のような小説家が現われ、講談の語り型式をまねて歴史小説を書き、大いに儲けた。 鳶に油揚げさらわれたようで、情けない思いをした講談師が大勢いたのであろうか…。 落語よりも古いことは明らかで、近松の人形浄瑠璃ものには講談師のことは語られているが、落語家は一人も登場していない。また浪曲は明治の半ば頃から盛んになったが、 その演題は講談の話の中から採られたものが多い等と、講談の優位性を強く主張しているようである。 その時、聴衆の中から一人のアラフォオの女性が大きな声を上げて、その講談師の横へ進み出た。また琵琶のような楽器を抱えた女性も彼女に続いて現われた。 成程、浪曲は新しい芸能で、講談と同じように現在ではその存在感は薄れてしまっているが、源平の戦いやそれに関連する様々な人々の魂の鎮魂の為に、 琵琶法師が語り奏でながら平家物語を一般庶民の中に知らせ広めて行った。浪曲こそその形式を踏襲するもので、これから、祇園精舎の鐘の声諸行無常の響きあり、とて、 人の世の儚さ哀れさを物語る、祇王と仏御前の一席、お聴き頂きましょうとやり始めた。 大いに期待して、耳を傾けようとした途端、目が覚めてしまった!……〜…〜……。 2月19日は授業(今は発表に向けての練習)を早めに切り上げての茶話会。その席で、事務の方から来年度は浪曲の授業は開かないとの報告があった。残念! この前の授業で、恵子先生から、来年度は仕事の都合で継続して教えることが困難となり、代りに松浦四朗若さんにお願いしたいと思っているとの話があり、 やはりきたか…との思いで受け止めた。恵子先生が忙しくなることは浪曲界の発展の為には喜ばしい事であり、また私自身としては四朗若さんの浪曲は過去4、 5回聴いてすごく好感を持っていたので異存はなかったのだが、来年度も続けて授業を受けたいと思う人、との質問に手を挙げた人はごく少数であった。 しかし事務局の人(この講座の担任でもある)は、何とか考えてみましょうと言っていた。その言葉に期待を持った人は私以外に大勢いたと思う。 恵子先生は事務の人の言葉に、浪曲の講師を引き受けたのは決して自分自身の為ではなく、浪曲の普及発展の為であるという旨の言葉を返していたようである。 近くで非常に残念な気持ちを抱いて聞いていて、ふと、ある疑念が心の中に湧き起こってきた。昨年、堺自由の泉大学として一体どのような趣旨で、浪曲師 春野恵子さんに講師をお願いしたのであろうか……。そこには衰退してしまった伝統芸能のひとつである浪曲を、再度活性させようという思いはこれっぽっちも なかったのではないだろうか? これは私個人の極めて穿った見方で、本当は恵子さんの意図は充分解ってはいるのだが、組織としては組織なりの考え方もあるのかも知れない。 恵子さんに向けて、今後も時間が取れましたら、また講演をお願いしますので宜しくお願いしますとの言葉もあった。しかし一年間授業を熱心に受けてきた生徒達にとっては、 非常に悲しい結末となってしまったようである。開講してたった一年、はい終わり!……では余りにも情けない……。生徒が集まらずフラワークラスは駄目だとしても、 せめて、せめてもう一年、初級クラスだけは来年度も開講して、様子を見てもよいのではないだろうか…。これは私の虚しい願望で、終わるのだろう……なあ…。 パリテ宿の大家さんにこのことを話すと、大変残念そうな表情を浮かべた後、何か良く解らない言葉をぶつぶつと呟いていた。 さもあろう、さもあらん…。事務所の人の言葉は正面から発せられているにも拘らず、恵子さんには、何処か天井からか又は足の下から発せられたように感じたじゃろう…。 つまり個人幻想(恵子さんの思い)は常に共同幻想(事務所の思い)と逆立するもんなんじゃ。メビウスの帯を知っておるかな。長方形の長い帯の端と端を半回転させて 貼りつけたものじゃ。その面には表と裏がないのじゃ。じゃがメビウスの帯は歪みが生じている為、同一の平面に立っていても、メビウスの帯を代表する者(共同体を代表する者) の思いと個人の思いとは逆立してしまうのじゃ。その歪みは共同体(最大が国家)が大きくなるほど大きくなるのじゃな……。恵子さんにはこれからも頑張って貰って、平成の女雲右衛門になってくれるよう願っている、と伝えてくれとのことであった。 3月27日は堺自由の泉大学の修了式。初級クラスの人達は一年間の学習の成果をそれぞれ発表した。我ら「春野恵子に学ぶ浪曲」のクラスの者達も、 5分以内と時間が制限されているので、「番町皿屋敷 〜お菊と播磨」の最初の部分を、それぞれ役割に分けて、語り、最後を恵子先生が纏めるという形で発表した。 そしてその最後の纏めの部分は、当初の予定よりもかなり長く先生が続けてくれて、聴いてくれている人達に大変喜んで頂いたようであった。 残念だが、今年度の堺自由の泉大学には浪曲の講座は無くなる。しかし、日本の伝統芸能の中から消えて無くなる訳じゃない。浪曲に関心の薄い日本の人々に、 或いはその存在を知らない海外の人達に、浪曲の良さを知って貰いたいという思いが消えない限り、将来必ず、日本人の心の在り様を表現する芸能として、 復活する日が必ず訪れると思う。 昨年の浪曲との出会いは、現在の私にこのような文章を書かせている。私の人生を少し変えた、いや、変えつつあるようにも思う。 春野恵子先生、一風亭初月さん、この一年間、本当に有り難うございました。 まだ咲かぬ 見果てぬ夢 遥か後ろを 照らすのは あどけない夢 ヘッドライト テールライト 旅は まだ終わらない ヘッドライト テールライト 旅は まだ終わらない == 中島みゆき「ヘッドライト・テールライト」より == ミニ浪曲の集大成として「新説信太狐」の台本を創ってみました。 |
♪♪ そ の 後 ♪♪ |
2月28日、国立文楽劇場で行われた浪曲名人会。その時聴いた、松浦四朗若さんの「勧進帳」は印象深く心に残っている。昨年の8月に一心寺門前浪曲寄席に初めて出かけて以来、 浪曲師松浦四朗若さんには少なからずの関心を抱いていた。 四朗若さんの浪曲CDは出ていないので、ワッハ上方で聴けるかもしれないと思い行ってみると、 若き頃(40歳台前半?)、テレビで演じた「勧進帳」と「首護送」があった。勧進帳は、今年の正月明け、偶然に三代目吉田奈良丸さんの勧進帳のCDを見つけ、 聴いていたが、覚えるのなら四朗若さんの方かな?との思いで、四朗若さんの勧進帳の台本起こしに取りかかった。 6月の一心寺門前浪曲寄席に四朗若さんが出るようなので、三日連続で聴きに出かけた。四朗若さんの浪曲には観客の拍手が多く、その熱演ぶりにいつも感動させられるのだが、 その時の演目の一つ「赤穂城開城」は、何故が心に触れてくるものがあり、滲み出る涙を抑えるのに苦労した。昨年の12月動楽亭で聴いた宝井琴梅さんの講談、長谷川伸原作 「夜もすがら検校」でも、聴いているうちに涙腺が少しづつ緩んで行き、涙がじわじわと流れ出てしまった。仙人のように淡々と語るその語り口に、何とも言い 難い味わいがあった。 四朗若さんは御自分の浪曲をボイスレコーダーで録音していた。そのことを尋ねると、後で自分一人で聴いてみて、すぐ消去してしまうとのこと。内心、惜しいなあという気持ちもあったが、 芸の精進を怠らないその姿勢に、強く胸打たれるものがあった。 また、台本越しで不明な個所を尋ねると、快く応じてくれ、親切に教えて頂いた。その時、「勧進帳」なら松平国十郎さんのを聴いてみたら、と薦められた。 早速ネットで検索する。30歳の時、大阪に来て、初代春野百合子の一座に入り天竜軒出雲を名乗る、とある。You Tube で松平国十郎(1910〜1997)さんの「元禄武士道」 という浪曲があったので聴いていると、二代目春野百合子さんの浪曲「梶川大力の粗忽」とほぼ同じ内容であることに驚く。恐らく、「梶川大力の粗忽」は二代目 春野百合子さんが「元禄武士道」を春野節で新しくしたものであろうと、今でも思っている。 春野百合子さんの「樽屋おせん」は、幾枚かのCDの中に入っており、購入可能であることは昨年調べて知っていたが、この際買ってみようか、ひょっとして… の予想通り、昭和浪曲名演集の中に、松平国十郎さんの「勧進帳」も入っていた。 聴いてみて直ぐに、覚えるならこれだ!…と決め、大泉緑地を散歩する時は必ず聞くことにしている。門前の小僧お経を読むが如く、 浪曲「勧進帳」を読めるように努めている。 恵子さんの浪曲の授業を受ける中で、完全ではないけれど、春野浪曲の五つの演目を一応覚えたが…、何もしなければ、すぐに忘れてしまうだろう… という思いと、またもっと磨きをかけなければ…という思いもあり、4月の終り頃から、午前中は、用事の無い時は必ず練習しよう!と決意して、今(11月初め) に至っている。 その成果(?)を一応ここに公開しようと思う。曲師、二風天無人(ムヒト)君の架空の三味に乗せて読み上げ、録音してみた。まだまだ拙い出来ばえですが、お聴きください! 番町皿屋敷 (2015,11,01 録音) 高田馬場 (2015,11.02 録音) おさん茂兵衛 (2015,10,29 録音) 梶川大力の粗忽 (2015,10.30 録音) 勧進帳 (2015,12,01 録音) |
2019年(令和元年) |
2016年の6月の終り頃から浪曲の練習は、隣家への配慮もあって、近くの大泉緑地でするようになる。ここでなら大声を張り上げて唸ってみても、誰にも文句を言われることもなく練習が出来る。 三味線を弾いてくれる人は見つからず、誰かに聴いて貰おうという望みは断念する。しかし、自分のストレス発散の為にもなることだ、と思い直し、練習は続けてきた。 浪曲師さんのCDを聴きながら、同時に声をだす。これを、自分では≪口合わせ≫と名づけている。口合わせをすることによって、節は上手くなっていくだろう!……と思い、練習を続けてきた。 今年(2019年)、平成から令和に変わった5月の終り頃、練習しているわたしの浪曲を熱心に聴いてくれる人が現われた。また一昨年から始めた落語の練習も聴いてくれている。 わたしにとって、本当に有り難い、嬉しい出会いであった。 或る時、ふとこう思った、わたしの声は聴き手にどのように届いているのだろうか、と。早速、最近購入したICレコーダーで録音してみる。 聴いてびっくり! ひどいショックを受けた。カラスの鳴き声も入っており、こんな節など聞いていられる カ〜カ〜カ〜 と、カラスにも突っ込まれる体たらくであった。 『樽屋おせん』は一番初めに録音したが、すぐに消去してしまった。 その後、他の演目も録音してみることにした。相も変わらず、カラスの突っ込みは止まない。しかし、これが今の実力なのだからどうしようもない。 多少良くなっているところもあるかもしれない、と自分を甘やかす声もある。前よりも悪くなっているのでは、という声も内心聞こえてくる。しかし、これが今の自分の実力なのだと思い、一応、公表することにします。 また口合わせでは、合わせようとする意識が働いている故か、合わせられずに変な音になったり、息が続かずに途切れたり…云々と、可笑しな所が多々あるようです。それで、 梶川大力の粗忽は、二風天無人君の三味で、つまりアカペラで、前節と後節とを録音してみました。 尚、「天狗の女房」と「おさん茂兵衛」は春野百合子さんのCDは無いので、無人君の三味でやりました。 梶川大力の粗忽(前節と後節をアカペラで) (2019,7.09 録音) 勧進帳 (2019,6.26 録音) 唄入り観音経 (2019,6.27 録音) 天狗の女房 (2019,6.29 録音) 夢の財布 (2019,6.29 録音) 番町皿屋敷 (2019,7.01 録音) 高田馬場 (2019,7.02 録音) おさん茂兵衛 (2019,7.03 録音) 赤穂開城(矢頭右衛門七誠忠録) (2019,7.12 録音) |