【上梓 2014.11.13】

おさん茂兵衛

京都四条烏丸 角引きまわした大店は大経師以春の宅 奥の一間に内儀のさん

これお玉 お玉 ちょっとここへ来てお座り ほかやないけど お前今この部屋でうちの旦はんと何をごちゃごちゃ話をしておいやした はてま  黙っていては分かれへんやないか お前までがわてを馬鹿にしておいるのやな

いいえ 滅相もござりまへん もうこうなったら今までの事みんな申し上げてしまいます まあ聞いておくれやす 御寮さんの前どすけど うちの旦はん  ほんまにいやらしいお方どす わたしがご当家さまへ御奉公にあがりまして まだ三月経つや経たん時分から けったいなことばっかり それがこの頃では  三日にあげず私の部屋へ忍んでお見えになって ただ今のように 今晩は遅うなる お前は先に寝よ 何やら優しうおいやして お出かけの晩は もう  間違いのう 店の衆(シュウ)がみんな寝静まった頃にそーとお帰りやして わたしが休まして頂いております台所の天窓から わたしの寝間へ忍んでお見えでございます  わたしがあんまり云うことを聞かんので 今度は手代の茂兵衛さんとの仲を疑(ウタゴ)うて無理難題 何にも知らんあの大人しい茂兵衛さんにもお気の毒  如何したらよいかとお玉はもう 御寮(ゴリョン)さん 思案に暮れてー あはんあー おりましたーー

まぁまぁまぁ そうやったんか うちの旦はんの女癖の悪いのはな もう今日や昨日に始まったことではないけれど 恥も知らんと お前のような小娘にまで  堪忍しておくれ 女房のわての不行き届き けどまあ よう云いにくいことを隠さんとな 打ち明けておくれた わてに良い思案がある あのな  今晩お前とわての寝間をちょっと取り替えておくれ お前この奥の間でゆっくりと安心してお休み わてがお前の代わりに台所のその女中部屋に寝てあげよ  そのうち 旦さんがおそうなって 何にも知らんとお帰りやして その天窓からお前の寝間へ忍んで来られたら そこをわてが うううと  取って押さえてご意見申そう それで若し お聞き入れの無いときには またその上で 分別もあろう さぁ 店の者には悟られぬよう お玉 しっかりと  頼みましたぞえ

 内儀と云えど二十五の まだ分別も若嫁の
 おさんは玉の不憫(フビン)さに そっと寝間替え女中部屋
 慣れぬ木綿の夜着(ヨギ)にさえ 思い乱れて連れ合いの
 女狂いも茶屋酒も これが男の甲斐性じゃと
 是非なく辛抱したものを この目の前でおなごしに
 手出しするとは何事ぞ 妻の身状はどこでたつ

 いわでかなわぬ今宵こそ 思い定めて妻おさん
 夜寒(ヨサム)の襟(エリ)をかき合せ そっと行燈(アンドン)吹き消せば
 更けゆく夜半の枕べに 遠音(とおね)侘しき鐘の音も
 宵の時雨(しぐれ)に朝湿(あさじめ)り 音さえたてぬ引き窓の
 心に手繰るほそびきの 命の綱(ツナ)の影法師
 そらこそ来たぞ旦那様と にひょうろぉわせて空寝入(ソラネイ)り
 目はあきながら暗闇の 畳の縁(へり)を踏まぬよう
 そろりそろりと摺り足で 立てたびょうぶに突き当り
 はっと驚き膝(ひざ)はわなわな 杖をとられて足さぐり
 手探りながらしっくり寄る
 その手をとって 床のほうのなぁか

へ 旦さんお帰りやす ごりょんさんごりょんさん 旦さんのお帰りどっせー

店の間で我が名を呼ぶは 確か番頭 助右ヱ門の声 夫(オット)は此処と思うたのに 胸を突かれて内儀のさん 窓の明かりにすかして見れば

はぁ お前は茂兵衛

いやぁ お玉でのうて 御寮さん こりゃまぁ どうした間違いか

 かねてお玉の誘いの水も 濡れちゃ務めの傷となる
 奉公大事と今日までは はやりたつ男心を押し沈め
 じっと我慢をしてきたものを 女房おさんを袖にして
 旦那以春の目にあまる 今日この頃のご乱行
 見るに見かねてー えぇままよー もとから嫌いなお玉じゃなし
 この身ひとつが不義ものと 朋輩(ホウバイ)衆にそしられて
 ながの暇(イトマ)を頂くことも ただ何事もお家の為と
 覚悟のうえで忍んだものを 如何なる神のいたずらか
 玉にはあらで お主の妻

申し開きも身の証(アカ)しも 立つるに由無いないこの場の始末 内儀の不在を怪しんで 廊下間近や店の間から

おさん様―

次第次第に近づいてくる奉公人たちの声 出るに出られぬ女中部屋 不義は天下の御法度なれば 心も空に 二人は手に手を取って裏木戸から  まだ明けやらぬ心も闇に消えてゆく

 おさん茂兵衛は夢にさえ 恋せぬ仲の恋となり
 想いかけない旅に出る はたの見る目は夫婦(ミョウト)でも
 夫婦にあらでお尋ね者 互いの心恥かしく
 顔見合わせては頬赤らめつ 野辺の草木(クサキ)のそよぎにも
 互いの心びくびくーと 涙に濡らす 草枕
 京都を出でてはるばると 泊りかさねてー
 辿りー着いたはー ここは丹後のよさの浦
 とある漁師の離れ屋に 浮世をしのぐわび住まい

茂兵衛殿 もう都のことは云うておくれな 十五の歳に嫁にいてから十年間 以春殿の女狂いに悩まされ あげくの果てがこの始末  何の罪もないお前にまで不自由な旅から旅 堪忍しておくれ そやけどわては お前と旅をして 初めて男と女(オナゴ)のまことの情(ジョウ)  しみじみ知らされたような気がしている いいや 隠さいでもよい この気持ちはもうとうにお前には通じていよう そやけど  お前はいつまで経ってもわてをその胸に抱いてくれようとはせぬ いやいや 今更どうあがいてもあの晩のこと 二人の仲 申し開きが聞かれるような  そんなあまい世間と思うてか 茂兵衛殿 わては今更申し開きをして 大経師(ジ)へ戻りたいなどとは露さら思わぬ 残された命  たとえ束の間でも女子(オナゴ)の幸せに生きてみたい 身も心もお前に抱かれて真(マコト)の不義者(フギモノ)になりたい

御寮(ごりょん)さん その思いは茂兵衛とておんなじことでござります 子飼いの時分から心秘(ココロヒソ)かに はー なんとまあ  艶(アデ)やかなお方じゃとお慕い申した貴方様 どのような運命の悪戯(イタズラ)か顔を突き合わせたこの暮し 明日をも知れぬ二人の運命(サダメ)  どうせ言い訳が出来ぬなら この世の名残り 男冥利と云うもんじゃ この美しいお方を我が身の胸にぐっと力一杯抱きしめて その上で 二人が捕らえられ  槍の仕置きとやらになっても 何の後悔することがある 思うたことは はい 今迄に二返や三返ではござりまへなんだ

茂兵衛殿 お前がそんな思いなら何の遠慮がいろう わての名をおさんと呼んでおくれ な わての名を おさんと呼んで

へぇ へ ほんだら あの もし おさん! …様 それが云えたら 云える位なら

 初めて知ったるまことの恋
 この幸せのただなかで 残る命を燃え尽し
 このまま浦辺ではつるとも つゆ後悔はせぬけれど
 遠く都のかたほとり わが娘(こ)の罪にせめられて
 世間をせばめて泣いている 年老いませる父母(チチハハ)に
 せめてこの世の名残りだけれど また舞い戻る京の町
 夜道をかけて夜夜に 辿り着いたる下田ちゅうり
 ちらちら漏れる窓明かり あの灯(ヒ)のもとには二親様が
 どんな思いでござるやらと 急(セ)かるればこそ尚更に
 おさんの胸ははりさくばかり 足音ぬすみ庇(ヒサシ)の闇に
 声なき冬のきりぎりす 壁にすがりてしのび鳴く

はいはい はいただいま ただいま 門(かど)の戸を … … …
やっぱりおさん 後ろにもう一人 あぁ 婆さん 恥知らずのおさんめが茂兵衛まで一緒にこの下田ちゅうりへ連れて帰って来よった お前らはのう  一体どの面下げてこの親の目の前に戻って来た あいやいや 何事も聞く耳は持たぬ 云うまでもないがこの下田ちゅうりはおさんの里  烏丸の以春の家(ウチ)からは見張りの目の絶えたためしはない今日この頃じゃ 見張りをするのは勝手じゃが その冷たい目の中で 一人娘の行方も分からず  先にも何にも生きる希望(ノゾミ)の無いようになってしもうたふた親が 互いに肩を寄せおうて 辛(ツラ)い切ない気持ちで毎日毎日を明け暮れしとる お前らがのう  何処(イズコノ)の果てで野垂れ死にしようと そんなことぁわしゃもうとおに諦めた じゃがのう なんぼなんでもこの目の前で不義の汚名に縄うたれ  役人衆に引っ立てられてゆく かわいいかわいい我が子の姿だけは 金輪際 親の目には見せてもらいとうはないわい そこの道理が分かったら 夜の明けぬ間に  一刻(イットキ)も早うこの恐ろしい京の町から いやさ ふた親の目の前から消え失せておくれ

いいえ ととさん 所詮は逃れぬ天の網 たとえ明日の日 捕らえられ 槍の仕置きとやらになりましても おさんは諦めておりまする せめて今生のお暇乞い  ととさん そこどいてそこどいて かかさんにただ一目

これおさん お前はまた ここで聞いておったら 何と云う情けないこと云うておくれじゃ その恐ろしい槍の仕置きとやらにだけは  どんなことがあってもさしょうまいと思ってこの母はのう 毎朝暗いうちから水垢離(ミズゴリ)とっ て 願いをかけん神もない 祈らんという仏もない それをまあ  なんぞと云えば死に急いで 親の心子知らずとはこのことじゃ 十月十日の腹痛め 親が大事に産みつけて 隙間の風にも当てんよう やれかわいや  やれいとしや 撫でて育てたその身体 なんぼ天下の御法かは知らんが 槍で突かせてー〜 槍で突かせてー なるものかいのおー これ茂兵衛殿  この母の云うこと よう聞いておくれよ 世間さまからのう あいつらは不義者じゃ 犬畜生じゃと どのように罵(ノノシ)られても なんの  二人の身体は二人の身体 捕まるまいぞえー どんなことしてでも逃げ延びておくれ この世の果てのさみしい山の奥にでも 二人がそーと身を隠して  互いに仲よういたわりおうてのう 患(ワズラ)わんよう わずらわさんよう 悲しい便りはこの母に

 必ず聞かせてたもるなよ
 母は情けの数珠袋(じゅずぶくろ) 格子のうちより差し出す

かかさんー

 おさん茂兵衛は縋りつき ふくろ取って押し戴く
 中の情けは白銀(シロガネ)の 小粒もまぜて二つ三つ
 これを路銀に京の町 早う早よ立ち退けと口にこそ
 云わねど知れる薄明かり 小窓を洩れて行燈(アンドン)の
 灯影にもゆる父母(チチハハ)の 慈悲と情けは恋の闇
 月なき夜の道しるべ おさん茂兵衛は何処へ行く




【 == 難波のワッハ上方で、「おさん茂兵衛」のCDより台本起こしました == 】