天狗の女房 |
---|
雲を分けて 峰そそり立つ石鎚の 人近づけぬ千尋(センジン)の 岩肌荒き魔の山に 東は讃岐西に伊予 南へ阿波や土佐の国 四つの国をまたにかけ 神通自在に空かける 天狗の住いがあるという むかしむかしの物語 女房 水だ水だ 水をくれ 水を 天狗様 水などありませぬ 水はねえ? 水は夕べ 谷川のまわし水を さんど瓶(カメ)一杯(ペ) 汲んで来てやったはずだ このあま いい加減なことを言うと ただではおかんぞ 天狗様 そんな無理を おっしゃても はようお忘れでございますか 今朝のこと 飯がまずいというて 私を足蹴にして 力余って 水瓶は 砕いてしまわれたではございませぬか それで 私が文句を言ったら いますぐ 水を一杯満たした瓶を 盗んで来てやると そうじゃ わしはこの石鎚山頂から いっきに里まで飛んで下り 水瓶を盗んで すぐ引き返すつもりで 出かけたのじゃ それが 思わぬ道草をくうて えーい 猟師のも作め あやつは この俺様の姿を 一目見ただけで びっくり仰天 腰を抜かすと思うた わしは 松の大木の梢から あやつを ちょとからこうてやったのよ するとも作 案に相違して いきなり鉄砲で うたれたので御座いますか そうじゃ これが人間なら その場で命を落としておったわ 憎い猟師め わしはあ奴を八つ裂きにしてくれようと 小枝から...小枝から舞い降りて躍り掛かった その時に第二弾をこの右羽根の付け根に受けた かえすがえすも無念残念 380年の我が生涯の中で 意気地(イクジ)もなく逃げ帰ったのは 女房 今日が 今日が初めてのことじゃ それで その神通力を持つとかいう いつもお持ちの あの羽団扇はどうなされた け それも痛さに耐えかねて この洞穴(ホラアナ)の入り口で つい谷底へ落とした しかしもうそんなことはどうでもええのじゃ 死ぬからじゃ やがて体内に残った 最後の血潮が 流れ去ることじゃろう もう目も定かに見えん 手を上げる力もない 神通力 死ぬことはない 千年も万年も 生きられるという あなたさまが 今度ばかりは死ぬのでございますか ははは ははは これはおかしい 天狗が死ぬなんて 女房 わりゃ 笑ろうたなあ その細骨を 叩き砕いてやるぞ いいえ もう怖くなんがありませんよ あなたは 羽団扇を失くして 神通力を喪のうた哀れな天狗 それに息も絶えざえ 死にかかろうとしていなさる ははははは 涙がでる ほどおかしゅうございます いいえ どう可愛がってくれようとも 何を盗んできてもらおうと この 洞穴へ連れて来られてから9年というもの ああ厭らしい 憎らしい こう思わぬ日とては 一夜とてありませなんだ あー嬉しい あなたが死んで やっと自由の身になれるかと思うと うぬという奴は かってに喚くがいい ほざくがいい そんなあなたなんかより よっぽど哀れで可哀そうな女がいるんですよ へへへ このわたしに決ってるじゃありませんか この わたしに決っているじゃありませんか 天狗さま あたしゃあのとき17の 花も恥じろう年の頃 隣の村のお庄屋の 若旦那さまに見初められ 嬉し恥かし玉の輿 晴れて嫁入る行列が ちょうど峠にかかるころ 天狗が出たぞー 天狗が出たぞー あれよあれよと 騒ぐ間に 花嫁御寮は さらわれて 下界遥(ハル)かな 雲のうえ あのとき あの峠で おまえさまに さらわれてさえいなければ 今頃わたしは 庄屋の若奥様 何自由のない ほんとに楽しい毎日が 過ごしておられたんですよ それを思えば しかしお前はそう言うが わしは わしなりに ずいぶんおまえには親切を尽くしたと思うておる 次々に持った18人の女房のなかで わしはおまえを一番可愛いと思った 欲しいという物は なんでも 盗んできてやった なるほど なるほどしょうしょうは 乱暴もしたが 心の中では それはそれは大切に思うてきたのじゃ はは 楽しかったなあ おまえをわしの背中に 乗せて 多沙ヶ峯や 大野ヶ原まで飛んで行ったときのことを うええ うーうー うー どうなされた 天狗さま お顔の色がだんだん土色に いや お前の気持はよーわかった それほど自由が欲しければ 自由にしてやろう 金銀財宝が欲しければ いままで天狗が貯えたものを 山と積んでもしんぜよう 最後の頼みを 一つだけ かなえてはくれぬか それをみんなわたしに 玉 それで その最後の頼みとは この洞穴の 一番奥に 岩の窪みがあろう その中に その中に 薬草じゃ 薬草があるのじゃ 今思い出した わしは百年も前 血止めの薬草を磨り潰して あの窪みの中に貯えた いまさらそれをつけても どうなるものでも ないとは思うが いやいや わしは天狗じゃ かならず助かる かならず間に合う 薬草を その薬草を取ってくれーい …… 何かと思えばそんなことか そんな手になんぞ乗るもんか わたしゃね おまえさまの命を延ばす手伝いは まっぴらお断り うるさいね つべこべいわずに さっさと成仏おしよ へへへ へへへへへ 気持ちの悪い笑い方 そうか 判った 女房 おまえは わしの死ぬのを喜んで待っておるが わしが死ねば われももろともじゃ わたしは わたしは死にませんよ へへへへへ この 水一滴ない絶壁の洞穴で われ何日生きられとおもう どうせ人間技では この絶壁の洞穴から抜け出すことはできんのじゃ 死ね 死ね わしと 一緒に死ね 天狗と一緒に死ぬるのじゃ いやですよ いやですよ いまさら いまさら おまえなんかと一緒に おまえなんかと一緒に 死んでたまるものか ……… ……… 天狗さま やい天狗! とうとう動かんようになってしもうた ははははは ははははは 天狗が死んだー ついに天狗の息絶えて 一瞬地響き雨嵐 あー 揺れる 揺れる 助けて 助けて 洞穴(ホラアナ)が崩れる 助けて 助けて あ! 割れ目 岩の割れ目 あんな所に岩の割れ目が出来た 有り難い 有り難い これで逃げられる 神の助けか 仏の業(ワザ)か 大絶壁に一筋の 割れ目の道が現われた 死中に活を見出して 勇んで外に踏み出せば 霹靂(ヘキレキ)天ちゅう貫いて 篠突く雨は滝となり 風また募(ツノ)り山揺する 嵐は怒りをぶちまけーてー 夜通しーー越えてー 荒ーれ狂う 明くればけろりと 日本晴 さやかな秋の 山景ー色 お庄屋の若旦那様 この松の大木でごぜえやした へー 天狗に間違いはございませんとも なにしろ 顔の色はじゅしゅ焼きのように赤い それに鼻はこんなに高い たしかに 翼はついておりましたし それにあの羽団扇も持っておりましたぞ も作 そやつにお前の玉は たしかに当たったというのか えーえー はばかりながろ このも作 鉄砲の腕にかけては 狂いはございませんとも いやいや 天狗の死骸を見るまでは 油断はならんぞ えー 天狗の死骸でございますか それならばたしか このあたりの 萱(カヤ)のなかに落ちているはずでございますよ やー そーれ ぎょうさんな天狗の血 お も作 鉄砲に玉をこめておけ あの石鎚天狗という奴は ゆめゆめ油断がならんぞ それに わしには深い深い 恨みがあるのじゃ いまからかぞえて 9年 前 わしは花嫁の到着を待っておった その花嫁を むざむざとあの天狗に盗まれたのじゃ … うんー 草むらが動いた おー 山姥(ヤマンバ)じゃ 鬼婆が出たー 待って下さい 待ってください その その花嫁の万でございます あなたの嫁の万でございますのに まあー どうして そう恐そうにお逃げなさるのですか 待っ てください 待ってください 若旦那様 若旦那様ー 山姥じゃ 山姥が出たぞー あー情けない 若旦那様 花嫁万の姿見て 山姥などとは酷(ヒド)すぎる あまりの言葉恨みます 優しく迎えて嬉しさの 手に手を取って貰おうと やっとの思いで洞穴(ホラアナ)から 命からがら来たものを お逃げになるとは情けない 待ってくださいたのみます 万です あなたの嫁ごです 必死に追いかけうち倒れ 時が経てば水きおおい 小川の辺にひとりぼち 喉うるおそうと手を出して 水面に映るわが顔を 眺めてびっくり あっ こはいかに... まなじり鋭く切れ上がり 唇裂けて火のごとく まさしく山姥 夜叉の相 どうしよう どうしようー 夢なら覚めよこの顔は 長らく天狗と暮らすうち 何時しか変わったものなのか いやいやそうじゃない 人も天狗も通う情(ナサケ)はみな同じ 天狗の最後に 女房としての 務(ツト)めを怠って むざむざ死なせた冷たさが 石鎚神(カミ)の怒りにふれてかしたか 山姥(ヤマンバ)に 哀れ天狗の女房は いとしーおかたと再会の 喜び無残に破られて この世と思えぬ恐ろしい さだめの底に泣き沈む 人恋しさに村里へ 近づき行けば たちまちに これ山姥じゃ 打ち殺せ 激しい罵声に石つぶて はては鉄砲スキ鍬に 追い立てられて行く先は やはり無人の山麓 これからかかる中天の 月の光が照らし出す 魔の石鎚の山稜に 天狗様 万にはもう 何処へも 帰る所がのうなってしもうた どうすればええのじゃろ 天狗様 天狗様 悪かった 悪かった 許して下され 許して下され 天狗様 天狗様 思わず声を振り絞り 血を吐く思いを悲しさを 訴えずにはいられない 石鎚天狗は女房の 辛い切ない苦おしい 叫びの声は今もなお 伝説のなかに 生きてる山の 谺に 生きている 【 == You Tube にアップされている浪曲「天狗の女房」より台本起こしました == 】 【 == その後、ワッハ上方で 春野百合子DVD おはよう浪曲(1980,8,30)よりカットされていた個所を補いました == 】 |