アメリカのShakespeare関連のサイト(名前を忘れてしまいました:すみません)で得たものに手を加えたものです。


私のシェイクスピア交友記

20代半ばにシェイクスピアに没頭した一時期があります。
当時私の頭の中はかなり混乱しており、そんな時
シェイクスピアの戯曲は私を弾き出すことは決してなく、
まるごと引き入れてくれる充分な魅力に満ち溢れていました。
当時の私は昼間働き、夜は彼の戯曲を読み且つ演じる毎日。
と言っても、素人の真似事程度なのですが……、そんな中で私は
多くのことを学び生きて行くエネルギーを得ていたように思います。
最近は遠ざかりつつあるのですが、これを機に、
また彼と旧交を温めてゆこうと思っています。





[シェイクスピアの生家]
  William Shakespeare は1564年4月26日、ロンドンから北西へおよそ160Km、ストラトフォード・オン・エイヴォンという町のヘンリー街にあるこの家で生まれた。
 この町のはずれにはエイヴォンの清流、また当時はこの河から北へ、「お気に召すまま」の舞台になるアーデンの森がはるかに広がっていた。「夏の夜の夢」の妖精たちの住む森もこのアーデンの森が下地となったと考えられる。
 父親は革製品の製造販売をやっていたようで家は裕福であったが、彼が12,3歳位の頃から家運が傾き出したようである。
 21歳から、新進劇作家としてロンドンで名を挙げる28歳頃までどうしていたのか、確実な資料はない。恐らく旅回り芝居の一団に身を投じ、ロンドンへ出て役者をしていたのではないか。



[Anne Hathaway's Cottage]
 シェイクスピアの妻アン・ハサウェイは1556年に生まれ、シェイクスピアと結婚する1582年までこの家で暮らした。 結婚した時、シェイクスピア18歳、ハサウェイ26歳であった。6ヶ月後に長女スザンナが生まれ、そして2年後に双子ハムネットとジューディス が生まれた。ハムネットは11歳で夭折する。
「が、そこでまた確実な資料はピタリと絶える。そして次にお目にかかるのは、1592年すでに新進劇作家としてロンドンで名声を挙げているシェイクスピアである。つまり、21歳から28歳までさっぱりわからないのである。したがって、それを充たすのはいわゆる伝説であるのだが、これらはあまり当てにならぬ。中でも古来一ばん有名なのは、鹿盗みのそれである。 ある近隣の地方豪族の猟園の鹿を盗んだことが発覚し、いろいろイザコザがあった揚句、郷里にはいられなくなり、それでロンドンへ出奔したというのである。もちろん真偽は不明。だが、前述もした結婚の事情などとも考え合せて、必ずしも石部金吉の模範青年ではなかったらしい。そんな若き日の面目も想像されて、この伝説、案外真実の一面を衝いているのかも知れぬ。 が、それはとにかく1580年代の後半、少なくとも22,3歳のころには、ロンドンに出て劇団に身を投じていたらしい。」

            =中野好夫著「シェイクスピアの面白さ」より=





最近(2015年5月)、河合祥一郎著『謎ときシェイクスピア』=新潮選書= を非常に興味深く読んだ。
同時代の劇作家で小冊子作家のロバート・グリーンが『三文の知恵』の中で
≪成り上がり者のカラス≫と呼んで揶揄しているのはシェイクスピアであると従来考えられていたが、
そうではなく、それは当時非常に人気のあった役者のアレンである、と主張し、
当時の演劇業界事情をいろいろ検証しながら、論を進めているところが面白かった。
また、市の役職まで務めたシェイクスピアの父親が、何故没落したのか、
当時のイギリスの宗教事情等にもに言及して、
シェイクスピアがどのようにして教養を獲得していったのか
等々を推測している所に大いなる関心を抱くに至った。


『謎ときシェイクスピア』に出ていた関連年表
年代年齢     シェイクスピアの生涯
1564 0ウィリアム・シェイクスピア誕生(ジョンとメアリの長男)
157511ストラットフォードの学校でトマス・ジェンキンズ先生の教わる?
157915この頃、学校卒業か?
158117ランカシャー州の貴族ホートンが遺言で「シェイクシャフト」に配慮
1582188歳年上のアン・ハサウェイと結婚、このあと8年記録から消える
158319長女スザンナ誕生
158521双子ハムネットとジューディス誕生、このあと8年記録から消える
158622
158723女王一座やレスター伯一座を故郷で観劇? 父ジョン、参事会員解雇
158824この頃にはすでにロンドンにいたか?
159026この頃から『ヘンリー六世』を書き始めたか?
159127
159228この頃から『エドワード三世』『サー・トマス・モア』執筆か?
159329サウサンプトン伯に詩篇『ヴィーナスとアドーニス』を捧げる
159430宮内大臣一座の幹部となる。詩篇『ルークリース凌辱』
159632長男ハムネット死亡。紋章を得て紳士となる。逮捕要求を出される
159733故郷に£60で屋敷を購入。『ヴェニスの商人』『ヘンリー四世』初演?
159834『恋の骨折り損』に初めて作者としてシェイクスピアの名が印刷
159935グローブ座建設。『ジュリアス・シーザー』『お気に召すまま』初演
160036『ハムレット』初演(以下、戯曲名は推定初演年)
160137エセックス一派のため『リチャード二世』特別上演。父ジョン死亡
160238故郷で£320の土地購入。『終りよければすべてよし』
160339宮内大臣一座が国王の庇護を得て国王一座となる。
160440ロンドンでフランス人宅に下宿。故郷の薬屋を訴える。『オセロー』
160541故郷で£440を投資して十分の一税の権利購入。『リア王』
160743長女スザンナが医師と結婚。弟エドマンド埋葬。『コリオレイナス』
160844故郷で借金返済請求訴訟。初孫誕生。母メアリ埋葬。『ペリクリーズ』
160945『ソネット集』出版。役者を引退か?『シンベリン』
161147最後の単独執筆作品『あらし』
161349『二人の貴公子』と『ヘンリー八世』をジョン・フレッチャーと共作
161652次女結婚。その夫に有罪判決。シェイクスピア遺書に署名。死亡
1623シェイクスピアの全集ファースト・フォーリオ出版。妻アン死亡

年代     同時代の出来事
1564クリストファー・マーロウ誕生。カリレオ・ガリレイ誕生
1575ケニルワース城にて女王歓待祝宴、レイディ・レティスがレスター伯を誘惑
1579詩人フィリップ・シドニーとオックスフォード伯爵のテニスコートでの口論
1581カトリックの伝道師エドマンド・キャンピオン処刑
1582ジョン・コタム先生の弟トマス・コタム処刑される
1583アーデン家の遠縁のエドワード・アーデンが逮捕、処刑される
1585ケニルワースにて徴兵、トマス・ルーシーがウォリックシャーに帰ってくる
1586バビントン陰謀事件。フィリップ・シドニー戦死。R・デブデイル処刑
1587フィリップ・シドニー国葬。スコットランド女王メアリ処刑。ローズ座建設
1588英国海軍がスペイン無敵艦隊を撃退。レスター伯と道化役者タールトン死亡
1590エセックス伯がフィリップ・シドニー未亡人(ウォルシンガムの娘)と結婚
1591ロバート・グリーン作『狂乱のオルランドー』でエドワード・アレンが主役
1592グリーン死亡、『三文の知恵』死後出版。ストレインジ卿一座活躍
1593マーロウ殺害事件。ストレインジ卿一座をエドワード・アレンが率いる
1594第五代ダービー伯暗殺。スペンサー、『コリン・クラウツ故郷に帰る』執筆
1596第二代ハンズドン卿ヘンリー・ケアリーが宮内大臣一座を引き継ぐ
1597ノーサンバランド手稿、この頃書かれる
1598フランシス・ミアズが『パラディス・タミア――知恵の宝庫』出版
1599エセックス伯がアイルランド遠征に失敗し、自宅に監禁される
1600興行師ヘンズロウがフォーチュン座を建設
1601エセックス伯の叛乱、関与したサウサンプトン伯とヘンリー・ネヴィル投獄
1602ストラットフォード町長リチャード・クイーニー死亡
1603エリザベス女王逝去、ジェイムズ一世即位。サウサンプトン伯釈放
1604第十七代オックスフォード伯爵エドワード・ド・ヴィア死去
1605火薬陰謀事件発覚、首謀者ガイ・フォークス逮捕
1607『ジョージ・ビールの楽しいおふざけ』刊行
1608国王一座は室内劇場ブラックフライアーズ劇場の使用を始める
1609ロクソール村で同姓同名の別人ウィリアム・シェイクスピアが遺書に署名
1611『欽定訳聖書』出版>
1613エリザベス王女とブファルツ選帝侯の結婚祝賀、グローブ座焼失
1616ベン・ジョンソン作品集がフォーリオ版で出版される
1623ジョン・ウェブスター作の悲劇『モルフィ公爵夫人』刊行


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