傷心の小片(1)

上梓【2000.02.08】

§◆§Words, words, words§◆§
＝＝自己愛の断片（Ⅰ）＝＝

　藁葺き小屋の上空・・・・・遙か彼方・・・・・
　星たちの・・・微かに瞬く音が・・・聞こえてくる・・・今宵・・・

　松の木のてっぺん近く、
　北斗の星が指揮をとっている・・・

　流れ星が竹竿と十字を切ったとき
　夜露が寝静まった家々の屋根に落ち
　忍び寄る夜盗のように
　深い悲しみの谷底から
　夜気が立ち昇った

　一陣の夜気は
　干し草の香りに包まれて眠っている少年の
　瞼と頬の上をかすめ
　忘却の深い淵へ吸い込まれた

　そのとき少年が見ていた夢は
　誰も知らない

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　彼女は僕の＜bitter love＞の対象者。僕は真剣だった。自分が寂しい者であると感じたとき、人は愛を知るのだ。異性を愛するのだ。そしてその時の愛が一番純粋であるとするならば、昨年の僕の愛は純粋であった。同時に僕は全く子供同然であった。ぼくが投げかけたぎこちない言葉は相手の言葉をうまく引き出せなかった。ぼくは言葉を知らなかったのだ。屈辱感だけが残った感じだった。そこに計り知れない女の人の心があるとするならば、女性とは永遠の謎だ。今でも僕は彼女の心が解らない。噫、僕は不能者のように不徹底だった。そして今でも、彼女を捨てきれずにいる。
　今日、図書館に行けば彼女に会えたかも知れない。どうして僕は彼女に惹かれるのだろうか。時には憎らしくさえ思われる。しかし、もし彼女に僕を思う心があるのなら、彼女についても同じことが言える。僕を憎んでいるかもしれない。男のくせにだらしない!!　彼女は少し古風な感じのする人。全く平凡に見えるときもある。まだよく解らない。おばあちゃん子だと言っていた。
　彼女との関係をこのように曖昧にしておくことは出来ない。精神の不能を打破せよ！
　彼女は暗闇の中に咲く一輪の花。

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　僕の亡霊よ！　姿を見せよ！　不安の根源である奴よ！　意識を動員すればさっと消える奴よ、僕の休息を妨害して何がうれしいか。正体を現せ！　姿を見せよ！
　日曜の午後のひととき。力なき冬の光をさえぎり過ぎてゆく雲の如く、僕の心に冷たい影を落としてゆく。しかし僕はもうかなり冷静でいられる。少し悲しく少し寂しい思いの中で、その正体を突きとめてやるぞ、と自分に言い聞かす。道は自分で切り開く。その歓びは今はない。寧ろ苦しい思いがする。しかし歓びは自分でつかむもの。受容的態度からは何も得られはしない。

　さっき通り過ぎていった感情、言葉の荒い網には引っかからない微妙な陰影・・・。表現方法はあるのか?!　表現の形式を編み出さねばならぬ。
　今は不安ではない。冬の日の午後四時の晴れた日の感じだ。小さな石の影を凝視している気分だ。白々と光は地に落ち、大部分は大地に吸収されていく。全く静かだ。風は吹いているのかいないのか、よく分からない。そのような状態にいるような気がする。

　期待（リアルな眼は排除されていて、ただ欠如感を満たしたいという願いから生ずる生の興奮を感じつつ、積極的な一歩を踏み出し得ない次元内の）は持ってはいけない。
　一番大事なことは、自己の正当なる感情を抑えることなく伸ばしていく方向に、僕の理性を働かせること―。理性によって感性を不当に歪めないこと。

　僕が子供の頃、犯した過ち。それは自分の欲望を殺しすぎたということではなかったか？
　自我とは何だろうか？　自己の感性的欲望を充たせてやれない状態にいるとき、自我は本当にあるのだろうか？　例えば、Ｔ君は今はやりのＧなる物を買って貰った。Ｔくんの友達であるＭ君は、欲しいのだが、買って貰えない。秘かにＴ君の家庭に羨望を覚える。しかしＭ君は両親にねだろうとはしない。ねだってもそれがかなえられないことを十分知っているからだ。（ここまでは社会経済的な問題だ。）両親は生活の経済的な圧迫から、子供の悲しみを感じ取る感性は既に遠の昔に奪われてしまっている。別に買ってやれなくても、或る一つの言葉を探す努力をするだけで、子供を家庭的に守ってやれるのだということを知らない。（ここまでは家庭的な問題だ。）Ｍ君はどうしたか？　親を徹底的に責め、反抗すればよかったかもしれない。その果てに、彼は、自分に敗れない強い何かを持っているならば、何らかの血路を見いだせたかもしれなかった。しかしＭ君が取った態度は――彼自身の資質によるのかもしれないが、――自らそれに耐えるということだった。耐えるには代償となるものが必要だが、Ｍ君はそれを学校での自分の成績に見出し、自らのプライドをつけようとした。しかし時代の大きな力は冷酷無慈悲なものだ。粉々にされてしまった。（ここは社会的な問題だ。）Ｍ君が犯した過ち。それは耐えることをあまりに神聖視し過ぎたため、自分の欲望を素直に自然に、そう、充分自然に発露できない精神構造を、知らない内に作り上げてしまっていたということだ。（ここはＭ君の個人的な問題だ。）だから、茨木のり子氏の「もっと強く」という詩を読んだとき、心を動かされたのだ。

もっと強く願っていいのだ/わたしたちは明石の鯛が食べたいと//・・・なぜだろう/萎縮することが生活なのだと/おもいこんでしまった村と町/・・・ああ　わたしたちが/もっともっと貪婪にならないかぎり/なにごとも始まりはしないのだ//

　君にはいろんな心がある。それはいろんなことを体験したからだ。その体験は君を悲しくさせているのだが、どうだろうか、そうした体験を一度君自身から切り離してはどうだろうか。勿論、君の体験は君の精神を大きく掻き乱したことは充分承知しているが、そしてまた、それらをまだ整理できないでいる苛立ちが君を苦しめていることは知っているのだが、今しばらくは突き放して、微笑をたたえた優しい温かい視線で見てやることは出来ないだろうか。そのくらいの精神のゆとりというか、ふくらみというか、幅というものが人間にはなくてはいけないと思うよ。この世の中がせちがなく、ギスギスしてくると、余計にそうしたものが望まれるのだよ。君の中からもそうした要請の声が時々聞こえてくる筈だよ。

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　彼女は僕の前の席に座った。
　顔は見えないけれど、何故か心がなごんだ。僕は彼女の左手の細い指を眺めていた。勿論教師の声に耳を傾けてはいたのだけれど、眼は自然にその方向に向いてしまうのだった。本当に細い指だ。スマートな、嫌味のない細い指だ。僕は自分の唇をその細い指の上にそっと静かに接触させるところを想像したり、その甲が僕の頬にそっと触れるところを思い浮かべたりしていた。
　授業が終わり、教師が点呼をとり終わったとき、彼女が後ろを振り向くような素振りを僕は感じた。しかし僕は何も話しかけようとはしなかった。すぐ教室を出た。勿論、寂しい感じは残った。食堂を出ようとするとき、彼女は友達と一緒に入ってきた。彼女の方から僕に話しかけてきた。（いつもだったら、ただ会釈を交わすだけなのだが）
――体育は出るのですか？と。
――ああ、出ますよ。出ないつもり？と言うと、
――えぇ、寒いから、どうするか分からないわ・・・。
　僕達は別れた。結局、彼女達は出席した。僕の視線は彼女の姿を意識して追っていた。ふと、そんな自分を意識して、いやな感じになった。しかし、やはり追っていた。考えてみれば、馬鹿なものだ。彼女は僕を何ら意識していないかもしれないのだ。僕よりもバスケットボールの行方の方が大事なのかもしれないのだ。しかし、それでも僕は彼女を意識し続けた。
　僕の心から、彼女は消えない。

　もう何ヶ月になるだろう・・・。僕が生まれて初めて女性にデイトを申し込んだ。あなたは出てきた。土曜の午後だった。僕はとても緊張していたのだ。硬くなると僕は何もうまく話せなくなるのをあなたは知らないだろう。あの時の二人の話はとてもぎこちなかった。
　別れるときはもっとぎこちなかった。しかし、僕は子供のような気持ちだったのかもしれないが、あなたにあなたの会社の電話番号を尋ねた。あなたは断った。僕はそれはとても冷たい仕打ちのように感じたのだった。（ここが僕特有の不幸なところかもしれないが・・・）あなたは続けて言った。
――お手紙はいいのですけれど、電話はかけないで欲しいです。
　僕にはその意味するところは解らなかった。自分がとても恥ずかしかったのだ。僕は女性に慣れていなくて苦手なのだ。一人でいる方がいいのだ。しかし、僕はあなたを求めていた。誰か心の支えとなってくれる女の人が欲しかったのだ。しかし、あなたのその言葉は、僕には何故か屈辱的に響いてきてしまった。後から反省してみて、またその後のあなたの僕に対する態度から、僕を軽蔑していないことはそれとなく感じられたのだが、それ以後、僕はあなたに対してずっと無関心を装ってきた。僕はまた、僕自身の暗い想念の中にはまり込んでしまい、いろいろと悪戦苦闘してきた訳だ。何故そうなったのかは、おそらくあなたには解りはしないだろう。僕もまだ明瞭に整理がついていないのだから。

　あなたを時にはとても憎らしく思ったりもした。特に、あなたが初めて演劇の朗読したとき、その声がとても甲高く聞こえて嫌な感じがした。普段のあなたとは違っていた。しかし、それでもあなたは僕の心の中に入り込んでしまっていたようだ。愛故に憎がある。正しくそうであって、愛しているが故にあなたをその時僕は憎んだのだ。
　あなたから借りたあの書物をその感想と共に返した何日か後で、（あなたはそこに何を期待していたのかは知らないが）僕が貸した全集の一冊のケースをあなたは僕に返してくれたとき、（あなたはどうしてそのケースを僕に返し忘れていたのか？）あなたは僕に言った。
――わざわざ真面目に感想まで書いて貰って・・・
　僕はそのとき、あなたのその言葉の中に皮肉を感じたのだが・・・。その辺りのあなたの微妙な心の動きは僕には解りかねる。
　女の人は、男から言い寄られて、その後何もなく、その状態におかれることは非常に苦痛なのだそうだね、と何時か恩師から聞いたことがあるが、それだったら、その皮肉も一応うなずける。しかし、あなたは、僕を冷たく拒否したと僕が感じたことの意味は本当に解ってくれるだろうか？　それが解って貰えなければ、あなたと僕の愛は不幸な平行線を辿って行くだろうと思う。でも、一昨日の僕の英作文を読んで、あなたは何かを感じ取り、僕を理解する何らかの糸口を見いだしてくれたのだろうか？　コーヒーに塩を入れて飲むとどのような味がする？　It tasted peculiar and fascinating.　このフレーズにあの八月の経験を匂わせてある僕の意図をお察し願えただろうか。しかし、そんなことはどうでもよい。大事なことは、今日僕はやはりあなたを僕から切り離すことができないことを悟ったということだ。
　あなたを思う僕の情熱で、僕はあなたに僕を理解させてみせる。必ず。そして僕は、まだあなたを知らなさすぎるから、もっともっとあなたを知らなければならない。あなたの手を僕の手に重ね合わせるために。

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　今日の英作の授業で僕に最大の関心を抱かせたのは彼女の態度であった。僕が何も喋らなかったからなのかも知れないが、教師は彼女の文に対する感想を僕に求めてきた。彼女は非常に緊張し、興奮していたに違いない。どうして大学進学を断念したのですか？　そこには何か、みんなが行くから私も、といったことに対する反撥みたいなものでもあったのですか？　と僕は尋ねた。そうではないと彼女は応えたのだが、そこには何か、普通でないものを僕は感じたのだ、が。確かに今日の彼女は興奮していた。精一杯、といった感じだった。その証拠に彼女の耳は真っ赤になっていた。
　帰り、友達と話している彼女に、或る雑誌を彼女が持っているかと尋ねた。勿論、僕としては、それはあまり問題でなく、彼女にとにかく言葉をかけてみたかっただけなのだ。反応は、とてもいい感じであった。そこに、純真な、子供っぽい彼女を感じた。
　今日初めて知ったのであるが、彼女は勤めを辞めたという。どうしてなのかということは訊けなかった。ひょっとしたら、彼女も大変苦しんだのかも知れない。僕の心は痛む。僕のイクジナサ（女の人に対する）が、もし彼女の心を苦しめたというのであれば、僕は内心、穏やかでいられない。彼女には、―おばあちゃん子だと言っていた―考えに・・・、いや、意志力が弱いのだ。とにかくそういうところが感じられる。どっちもどっちじゃないか、と少し苦笑したいところだ。
　自惚れかも知れない。しかし自惚れでも何でもかまわない。彼女は八月のあのことで、やはり心が傷ついたのに違いないのだ。僕は心がとても痛む。この痛みは僕の彼女に対する愛だ。

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　彼女は友達を待っているようだった。僕はあなたは友達を待っているのですねというような合図を送り、「さよなら」と言って先に帰った。校門を出ようとすると、後から駆けてくる跫音が強く聞こえてきた。彼女だった。僕の後を駆け足で追ってきたのだ。
「彼女は話をしていて遅くなるようだから、私、先に帰ってきたの」と言った。
　色々と話をした。何故時間がもっとスローに進まないのか！と思ったものだ。
　今日は本当に貴重な日であった。やれる、やってゆける！という感じとはこんなものか、と強く感じた。<対の思想>とはこうも人間を力づけるものなのか。女の男へ与える力、男の女へ与える力。お互いに与え、且つ享受する。自然性としての性愛を核として、男と女は協力して美しい玻璃の橋を建設する。それが家庭だ。彼女は僕の力。僕は彼女の力。この二つの力の和は単なる算術的計算では得られない。二人のやり方如何によってはいくらでも増大可能なのだ！！

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　僕は今日或る期待を抱いて帰ってきた。しかし、それは外れた。
　僕は彼女から返信を期待していたのだ。多分、僕の手紙は先週の木曜日に届いている筈だから、と思っていたのだが・・・。しかし、おそらく彼女は戸惑っているのだ。あの内容では返信は書きにくいように思う。書く内容を見い出し得ないでいるのだ、きっと。
　僕のこの気持ち、やはり落ち着かない。恋している人の気持ちとはこういうものなのか。会っている時が一番幸福で、心も落ち着くのだ。いや、心は平静でいられるものではないのだが、離れている時に比べて、より心が安定しているという意味で、心が落ち着くだけであって、会って話している時の感情の起伏にはいろんな色の光が反射しているのだ。
　この一週間というものは、僕の想念は彼女のことばかり・・・。なにも手につかない、という感じだ。
　何も書かない方がいい気がする。こんな散文では書けば書くほど、今の僕の気持ちとは違ったことを書いているように思えてくる。
　あなたの手紙を期待している僕をこんなに迄に焦らし、不安にしている・・・あなた。
　しかし、そんな僕の心も、この前のあなたが僕に示した態度とか、あの土曜の英作の授業の時の、紅くなったあなたの耳たぶや、その日の帰りのあなたの子供っぽい表情などを思い浮かべるだけで、僕は落ち着きを取り戻すことが出来る。僕はあなたを信じているし、あなたも僕を信じて欲しい。
　＜愛＞と＜信頼＞。愛している故に愛は成り立つのだし、愛している故に信頼は揺るぎないものなのだ。僕はあなたとの関係において、まず第一に、人間的な関係を前提します。その後に男としての僕と女としてのあなたとの関係を考えます。僕は僕の愛を、ただ愛として、あなたに受け取って貰いたいからであり、あなたの愛を、ただ愛として僕は受け取りたいからです。
　＜Lieben, Leben, Leiden＞　最後のＬは、あなたには不慣れなものかも知れない。そして僕はそれをあなたに強いるかも知れない。僕の将来に対する経済的な見通しは、実は、明るいとはとても言えやしない。しかし、僕の最初のＬは必ず三番目のＬに打ち勝ってみせる。僕にはきっとそれは出来る。あなたの僕に対する愛は、僕の力を湧き起こすに充分なるものだからだ。僕はきっとあなたを幸せにしてみせる。あなたと一緒なら、それは出来る。僕には、きっとそれはできる。
　Ich liebe dich!　＜愛・人生・苦悩＞

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　もし僕が彼女の愛を呼び起こすことなく愛するなら、すなわち、もし僕の愛が愛として彼女の愛を生みださなければ、もし僕が愛しつつある人間としての僕の生命発現を通じて、自分を愛されている人間としないならば、その時、僕の愛は無力であり、一つの不幸である。
　彼女は僕の希望。暗い世界の中でも美しく輝く花。まず僕は、恋において、僕の自閉を打ち破らなければならない。
　愛してください、愛する人。
　あなたは僕を救ってくれる人。僕はあなたを救います。
　愛してください、愛するひと。
　今日の帰りはあなたと一緒でなかったことが、今日の僕をとても悲しませる。この僕の孤独。僕は寂しがりや。甘えん坊。しかし、変な依怙地が外面を装わせている。しかし、そんなに質の悪いものじゃない！　これは断然、保証できる！　だから、愛して下さい、愛するひと。僕の恋人！

＝　　＝　　＝　§◆§　＝　　＝　　＝

　この不安は何処から来るのか？　僕は信じることができない男か？　猜疑心・・・。これは自分に対する信頼の無さのあらわれだ。コンプレックスの裏返しの感情だ。こんなところに純粋な愛は育たない。愛をただ愛とだけ、信頼をただ信頼とだけ、交換できればどんなに素晴らしいことか！
　僕は、実は、内心恥ずかしがっているんだ。あんな手紙は書かなきゃよかったと思っている。そんなに性急に走る必要はなかったのだ。しかし、そんなことを言っても始まらない。賽は投げられた！　これを前提にして進まねばならない。僕は一人の女性を好きになった。ただそれだけのこと。その感情を、他の余計なことに引っかけて、乱してはいけない。＜好き＞ということは間違いのないことなのだから。

波が岩壁にぶち当たって砕ける
大地のヒゲ面を引きちぎれ
池の水面を巨大な手でひっぱたけ
曇天の天幕を引きずり降ろせ
空中に寝転がり　くるくる回転しろ
沈黙して何も視るな
石を　跳ね返ってくるほど凝視しろ

何も視ないで頭は盛んにじょう舌を吐いている
両手を固定したまま　身体を回転させろ
舌を出して真っ赤な絵の具を塗りたくれ
頭をうな垂れる方向に二三回回転させて上から押してみろ
両足を頭の上で握手させろ

生きることは　苦しい
考えることは　楽しい

二つをたして二で割れば
感情は相殺され
後に残るのは？

生きる→考える
或いは
考える→生きる

君は知っているか？
人類が始まって以来　哲学者達が考え続けてきたことを―
生きることは　重く苦しい
愛することは　苦く甘い

この世には男と女がいるから
感情は美しい旋律となり
二人は二人以上のものを生みだす

生きることは　愛すること
玻璃の透明な橋が架かると
愛することは　生きること

＝　　＝　　＝　§◆§　＝　　＝　　＝

　今日、１１番教室であなたに会わなかったら、今の僕はどうだろうか？　おそらく、今朝から時々襲われ続けてきた、あの羞恥心をともなった苦しい思いに、もっとひどく悩まされているだろう。しかし、あなたと話して、とても気分が爽快になった。今日あなたと話していて僕は取り越し苦労をしていたことが判った。あなたの心の中が理解出来るように思えた。勿論、自分に都合のいいように取っているのかもしれないけれど、どうもそうでもないようだ、と思える気持ちでいる。

＝　　＝　　＝　§◆§　＝　　＝　　＝

　僕はある期待が無惨にも崩れて行く状態、悲しく不安で苛立たしい精神の混乱状態の中から、ようやくのこと自分を立たせ、今日紀伊国屋書店で買った書物の第一章を読み始めた。２時間近くかかって読み終え、喫茶室へ行き、不安な気持ちを紛らそうと煙草に火をつけた。
　あなたと僕が確実に出会い、そしてその後二人一緒に歩んでゆけるような道、その方向に通じるような、僕は僕の道、あなたはあなたの道を、今の僕達は探し続けなければならない。僕は少し悲しい気持ちで自習室への階段を上っていった。一体あなたって人はどういう人だろうか？・・・と自問しながら。それはまた、自分とは一体なんなのかという問いでもあった。

　あなたは、階段を上り詰めた所から少し離れたところに居た。むこう向きに座っていた。僕が話しかけると、あなたは驚いていた。どうしてだろうか？　僕はあなたに弾き返されるようなものをよく感じてしまう。その時もそうだった。心理学的に云えば、昨年の八月の経験が僕の無意識界にわだかまりとして残っているからかも知れないが、そんな解釈など糞くらえだ！　解釈など何になるというのか！　何故僕は「あなたは何時まで居るのですか？　一緒に帰りませんか」と言えなかったのか。こんな自分を突き詰めていくと、全く自分が厭になってくる。

　やはり、僕は何かを恐れているのか？　この恐れは何処から来るのか？　全く、母と僕の関係における不幸な累積が、その主たる原因を形成しているのか？　もしそうならば、この壁を何とか突き破らねば！僕は生きない。そして、僕の自惚れを許してもらえるとして、あなたを苦しめ傷つけてしまうかもしれない。

　あなたは僕より早く帰った。それが僕の心を乱したのだ。僕は自分の不甲斐なさを感じ、やりきれなくなってしまった。あぁ、あなたが憎らしい。こんなにまでも僕の心を掻き乱しておきながら、あなたは平然として明日の授業の準備に没頭していた！

＝　　＝　　＝　§◆§　＝　　＝　　＝

　僕は、愛において、古い意識を持っているのではないのか？　どうして、愛を経済という視点によって引っ張ろうとするのか？　僕は今迄（少年時代からずっーと）経済的圧迫によって人間はいかに醜悪な感情をむき出しにするかということを、つくづく思い知らされてきたからか。愛は愛だ。愛は、経済の圧迫によって更に鍛えられ、磨き上げられてこそ、真の、観念的でない、生きるということに則した生活愛（対幻想としての愛）となり得る。いや、そうならなければならぬものだ。

＝　　＝　　＝　§◆§　＝　　＝　　＝

☆ ハイフォン ☆

ねえ君
こうして掌をひろげてごらん
どちらが大きいか比べてみよう

―あら　あなたの方が大きいわ
と言ったなら
ぼくは君の掌をおもいっきりきつく握ってやろう
もしぼくの掌が冷たくて感じるのなら
君の優しく紅潮した頬で
温めておくれ

時には　君の黒髪に
ぼくが真心こめて咲かせた
とても香りのいい花を
飾ってあげよう
その時　ぼくは
君の額にそっと息を吹っかけて
―愛嬌髪のこと、英語で・・・、知っている？
と囁くだろう……きっと
とぎれとぎれの小さな声で……

" Kiss-me-quick "
と教えてあげたい
君の両肩に
ぼくの両手がのっかるように

ねぇ君
はずしてほしいのだけれど……
心を込めて　君の　その
―ハイフォン―を

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