1970年 初 秋
 | 最後の日々 |  |
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★ ベン・シャーン展 ★
- 市立図書館へ行ったが、今日は休館日、うっかり忘れていた。仕方なく、帰ろうかと思ったが、ベン・シャーン展を観ることにした。
- Ben Shahn 昨年亡くなったアメリカの具象画家、水彩画家。水彩画家と云っても実際はそうではなく、テンペラ(顔料を卵黄とかニカワ等でねった絵の具)によって描かれた画であった。
彼がユダヤ人でありニューヨークの貧民窟で育ったと云うことが、まず最初に僕の気をひいた。庶民を描いた作品がわりあい多く、中年の男性が四人一つのベンチに腰かけている絵、失業者を描いた
絵等々。それら男の人達の顔の表情が特に印象的だった。教会の石の建物の一部が無惨にも崩れ落ちている、その近くを黒衣を身にまとった尼僧が数人黙々と歩いている様子は、正に戦争という
個人の力の及ばない巨大な悪魔によって打ちひしがれ、意気消沈し憔悴しきった哀れな人間の姿であった。
- 彼にはイラストレイター的な要素が多分にある。日頃、点や線にあまり関心を払わないが、芸術家の手になるとそれが不思議なくらい端的に人間の表情や動作の微妙な細部まで描き出される。
これはどうして可能なのか。僕のような者でも線だけで人間の顔を描くことが出来るが、出来上がったものが僕に与える印象は、自分が当初予想していたものと大いに違ってくる。その差が大きすぎるのだ。
しかし僕が描いたのだから自分のものであって決して他人のものではない。それならばそれは自分のいかなる部分と結びあっているのだろうか。無意識界とであろうか。
- 芸術家とは、意識的なところから無意識界へ常に働きかけを行っている人のことを云うのか、或いは無意識界が否応なく意識の表面まで突き上げてきてしまう人なんだろうか。
- 美とは何か。美とは本来人間の無意識界と直接結びつくものだろうか。意識と結びつく美は存在するのか。幾何学的な美しさは意識的な美しさではないのか。あの<麦>の絵は実に綺麗であった。
またラテン文字を使用した絵も大変きらびやかな印象を与えるものだった。
- 人はそれぞれの過去を無意識界という大海原へ投げ入れることによって今を意識しつつ生きている。大海原へ投げ込まれた過去の体験は忘れ去られることの方が多い筈だ。美は無意識界へ直接働きかけて
そうした忘れ去られた体験にまつわる感情を呼び起こす力があるものをいうのではないか。忘れ去られていた筈の感情が呼び覚まされると、心の海に波が立つ。その衝撃が鋭いほど渦となり、大きな感動を呼ぶのだろうか。
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★ 悪 夢 ★
- 朝、眠りから覚める少し前、厭な夢を見た。歯科医で治療を受けているらしいが、医師(男女の別は判然としない)を前にして、突然僕は注射器の針を左の奥の歯茎にブスリと突き刺し、液を注入した。しばらくすると
右の奥歯が痛み始めた。その痛みが徐々に大きくなり、最後には顔面の筋肉や首筋の筋肉が硬直し、頬の筋肉がどんどん盛り上がっていくような感じになり、その為両眼を開けていることが次第に困難になってきた。
これはいけない、閉じてしまう!! と両手で必死に開けようとするが、終に塞がってしまい、真っ暗になってくる。僕はこれからどうして生きていくのだ!! 視力を失い、暗闇の中を生きゆかねばならないとは! 頭脳が割れるほど
痛い。耐えられない。気が狂いそうになる一歩手前で目が覚めた。
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★ 言葉の衝撃 ★
- 9月も半ばを過ぎ、しだいに秋らしくなってきた。風に吹かれ、空を眺め、流れゆく白雲を追っていると、遙か透明な空間の彼方へこの身もろとも吸い込まれてしまいそうで、なんだか哀しくなってくる。
- 僕は今人生の岐路に立っている。二度目の分かれ道だ。一度目は3年前のこの時期、会社を辞め受験生として図書館通いにようやく慣れだした頃だ。自分の足場の危うさや存在の不安感などは意識の中へは入ってこなかったようだ。
いや、前方を見つめる必死の思いがそうした感情を抑え込んでいたのだろうか。
- あれは確かその年の11月の終わりの頃だった。母は入院し、家は男三人、殺風景な生活が繰り返されていた頃だ。いつものように図書館から帰り、食事をし風呂に入り、ほっとした気分でテレビの前に横になり
チャンネルを教育テレビに合わせた。通信高校講座か何かで詩の朗読をしていた。
- 日は断崖の上に登り
憂いは陸橋の下を低く歩めり。
無限に遠き空の彼方
続ける鉄路の柵の背後に
一つの寂しき影は漂う。
ああ汝 漂泊者!
・・・
- 僕はこれを聞いて非常に大きな衝撃を受けた。寝ころんで弛緩していた身体が一瞬のうちにピーンと張りつめ、我知らず起き上がってしまった。恐らくそれまで抑え込まれ意識されずにいた無意識下の不安感が
その詩によって突如呼び起こされ、意識の中へ噴き上げてきた感じであった。不安な心の動きを見つめる習慣のなかったその頃の僕にとって、その衝撃はそれだけ一層大きく感じられたのであろう。
- この詩人の「大渡橋」という詩が高校の教科書に出ていて、故郷に溶け込めない孤独な詩人の魂に何か心惹かれるものを感じたことがあった。詩人の故郷、前橋の町に直として通じている橋を渡る時に感じた詩人の
<荒寥とした情緒>に相通ずるものを僕は感じていたのかも知れない。
- 最近でも、前方を見ている時は問題はないが、心が弛緩した状態でふと気が付いてみると、自分があの底知れぬ不安感の中にいることが分かり、思わずぞっとすることがある。もっと深く明確に、僕の生活原理を構築しなければならない。
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★ 退 学 ★
- 十時半起床。最近、頭脳がやけに疲れる為なのか、よく眠る。いや、熟睡ではないのだ。ただ長いだけなのだ。いよいよ出発。それ程緊張することはないのだが、どうしてか、やはり・・・。人生の折れ線を描こうとしているのだから・・・。
- 姉の家に立ち寄る。姉とは何を話したのかはっきりと憶えていない。急に不安になる。僕は気が小さいんだなぁと確か言ったようだ。お前はあまりに神経質すぎる、もっと気を大きく持たなくては、と励ましてくれた。少し心が安らいだ。さあ出発だ。
- M研の教室へM教授を訪ねる。ドアをノックし、失礼しますと言って中に入った。
「僕は退学を決意しております。そのことで先生を訪ねてきました」
と僕は言った。そして顔をみると、教授は少し困惑している様子であった。
「そうですか、まあ、そこへかけて下さい」
言われたように僕は近くにあった椅子に腰をかけ、口を閉ざして教授の言葉を待った。教授は僕に何か訊いてみたい様子だったが、どう言葉を切り出したものか、困っているように思われた。重苦しい雰囲気が立ちこめるのを感じて、僕が沈黙を破った。
「化学が厭になったのです。そうとしか言いようがありません。いろんな理由により厭になったのです。その理由を理解して頂くにはいろんな事を話さなければなりません。でも僕としては解ってもらいたくもなく、そんなことを今ここでお話しするつもりはありません」
ときっぱり釘をさしたので、教授はどのように応えればよいのか益々困っているように見受けられた。正に現在の大学教授の姿がそこにあった。
- 理学部の教授会との団交には一度出席したことがある。しかし二度と出かけることはなかった。失望感だけが残った。何か、見てしまった後の悲哀のようなものを感じた。しかし現実を知ることはいいことなのだ。それにしても団交というあのような異様な雰囲気の中で
観た教授の顔と、今ここで相手の体温が感じられる距離で観る教授の顔とは雲泥の差があった。長年の研究生活からにじみ出てくる権威もそれとなく感じることができた。困った表情をしている人を間近に見て同情が起こらない訳はない。しかし人をたやすく同情することは
差し控えなければならない。僕は他人から同情されたくはない。その人の生の根源に何ら抵触しない同情は自己満足以外のなにものでもないからだ。
- 「三回生は一番強く大学紛争の影響を受けていますね。講義に出ても、例年とは大変違って、勉強の意欲が感じられませんね・・・」
こんな言葉がふと教授の口からこぼれ落ちた。この言葉以外記憶には残らなかった。
- その後僕は専門課程の教務へ退学届けの用紙を取りに行った。全ての予定行動を終え、理学部の正門前に出たとき僕は何を考えたか。・・・・・。さしたることはない。このまま帰ろうか、それとも、そうだ、散髪してもらおうと思った。さしたることもなかった。それだけだった。
- 僕のは長髪ではなく普通の髪型だが、かなり長く伸びていたのでパチパチと切り落とされる時の心地よさ! 大学と僕の関係が解き放たれる音の爽やかさ! すっきりさっぱりした気分だった。不思議も不思議、僕のすぐ後にM研のK助教授が来ていたらしく、黙々と週刊誌を読んでいた。
散髪が終わって出ようとすると、他でもない、M教授もいることに気付いた。頭を垂れて何か読んでいた。何故顔を上げなかったか、…勿論、僕に全く気付かなかったということもあり得るが…知る由もないことだ。
- さて帰ろうと思いきや、ザザザザーと激しい俄雨。稲妻が走り、雷が遠くで轟音を響かせていた。仕方なく近くの食堂に飛び込み、うどんを喰った。ようやく小降りになったので駅へ走って行った。プラットホームでどんよりとした空を眺めながら、これが涙雨というのかな、と心の底で微笑んだ。
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