1970年 春 〜 夏

道草の日々

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 全く白々しい。そう云う僕は何か夢のある話しが聞けると期待していたと言いたいのか。今日のあの専門課程カリキュラムのガイダンスを聞いていて、ぬるま湯の中にいるような気分でしかなかった。化学が嫌になってきた。量子力学の輪読もはたして続けてゆけるだろうか。現在の僕の心の何処かに本当に化学をやろうという気持ちがあるのだろうか? だんだんと化学から、物理化学からですら、遠ざかって行くようだ。
 大学は教養の単位認定に関しては大盤振る舞いだ。試験はあまり行われず、単位はレポート用紙とひきかえが多かった。定期試験実施について当局は、日本育英会に成績を報告しなければ奨学金はおりてこない、等という理由をあげていたようだ。どこかの会社の事務員の言いそうな科白ではないかと腹立ちを覚えた。そしてそのことが頭の何処かにこびりついていて、奨学金欲しさにレポートを書くのかと僕は自分を問い詰めた。 竹を割ったようにスパッと決断できないところが僕の嫌な性質だが、優柔不断ながらも最後のところで僕はレポート用紙を破り捨てた。清々した気分であった。提出していれば、その後僕は自分をチクリチクリと責めたてるに決まっている。当局は、単位不足の者でも卒業までに取ればよいということで、おおらかなところを披露し、ところてん式に僕達は三回生になったのだ。

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★ 不 安 ★

 僕の心の奥に潜んでいる在るものを抉り出さねばならない。この不安、この焦りや苛立ち…このような気分を醸成する不可解な奴! この悪魔の影に怯えている限り僕は何も出来ない。僕の人生はこの悪魔との対決なくして有り得ないのだ。逃げないで自分の心の闇をじっと見据える勇気が今の僕には絶対必要だ。
 処かまわず、突如襲いかかってくる不可解な感情…それは僕の手足を鎖で縛り上げ、羞恥心の荒れ狂う渦の中へ放り込み、僕の自由を完全に奪い取り、更には言葉の発語機能を狂わしてしまう。これから先、こんな重い荷物を背負って行かなければならないとは…、恐ろしくなる。
 このように言う僕の言葉(…ねばならない)の中には、僕の消極性、或いは宿命論的な考え方が潜んでいることは明らかだ。そんなに重い荷物なら、何故降ろそうとしないのか。恐らく普通の人間ならそう言うだろう。僕の感覚は鈍り、麻痺していることは確かだ。現在の僕は生ける屍の一歩手前にいる、いや恐らく片足を突っ込んでいるのかも知れない。ここに僕の危機意識がある。この問題を解決せずして、俗世間の諸々の問題は僕にとってすべて空しく思われる。
 こう云う自己が僕の内部にいるかと思えば、一方嫌悪の対象となる別の自己が顔をもたげてくる。嫌悪の対象となる自己は古い自己、家庭環境から作り上げられた自分だ。この古い自分を嫌悪する自己と、このように自分というものを考えている自己とははたして同じ自己なのか…。
 不安感は何処から生じるのか。何も手につかず茫然自失の状態に陥ってしまう原因は何なのだ。はっきりとしたことは分からない。が、<他者の眼差し>を気にする自己が形成されてしまっているからだろうか。他者を意識するや否や、自己の内へ内へととぐろを巻き小さく縮こまってしまうとは恐ろしいことだ。
 世間に恥ずかしい、人がどのように思うだろうか、どう言うだろうか、そんなことをする身分じゃない、……。あぁ、厭だ!厭だ! 僕を不安に陥れるのはこれなのか! 自己を嫌悪する自己が古い自己を受け入れずに激しく突っぱねるからなのか。それとも現在の社会の不透明さの暗い陰りによる為なのか。
 いずれにしても古い自己がぐらついていることは確かなことだ。新しい自己を確立しないといけない。新しい自己はどうすれば生み出せるのか。古い自己と絶えず対決してゆく中でしか新しい自己は生まれてこないのではないか。古い自己とそれを嫌悪する自己、両者の対決→統一の過程にしか僕の出口はないのではないか。
 僕が真の意味で僕である為には、自己の自治権支配権を自らの手に奪取する戦いを闘わなければならない。
                ♪※♪   ♪※♪   ♪※♪
 夕方5時過ぎの図書館内。西の窓から光が射し込んできていて意外に明るい。蛍光灯はつけずに本をずっと読んでいる。木の板で隔てられている向い側の席の蛍光灯に灯がともる。当然僕の席も明るくなった。顔を上げる。誰もいない。…はて?……。右斜め向いには、紺の上着を着た女性が勉強している。彼女が点灯したらしい。辺りには誰もいないのだからそうとしか考えられない。何故に?…一瞬温かい血が全身を駆けめぐったように思われた。人の何気ない好意に僕の心は敏感に反応したのだ。
 その後しばらく、僕は落ち着いて本を読めなかった。彼女の好意に何と応えればいいのかと……。感謝の思いがすぐに言葉に結びつかない。とっさの出来事に対しても、心の動きは顔の表情や態度に出るかも知れないが、言葉で表現することは苦手なのだ。会話の訓練が出来ていない。家庭内での自由で気楽な会話の経験がないのだ。こう言えば相手はどう思うだろうかとつい考えてしまう。
 高三の頃から自分の思いをノートに書くことを始めたが、最初自由に書くことは難しかった。他者の目を意識してしまうのだろうか、言葉にすることに非常な苦痛と羞恥の感覚が伴った。中三の卒業間近の頃、友達から思い出ノートにコメントを求められ、相手の性格に関することを書いてしまい、感情を害したのではないかと苦しんだ苦い思い出がある。いい意味でも悪い意味でも僕は人を気にしすぎる傾向が確かにあるのだ。
 とにかく僕は、少しでも考える間があれば、感じたことを素直に言葉に表現できないのだ。僕の心は曲がっている。本当にそうなのか…と暗い疑心がうごめき始める。僕の心は歪んでいる。畜生! 僕の心の二重性……素直でない厭な性格。

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★ 交 友 (1) ★

 食堂でカレーを食べているとYがやってきた。彼は、君がこの1週間授業に顔を出さないとは意外だ。僕が留年すると言うのならまだ話が分かるが…と言った。この言葉には彼の傲慢さが出ていて反撥を感じた。核を作りたいという君の気持ちは分かるよ、しかしそれは幻想じゃないかな、僕はそんなもの求めないぞ…とも言った。
 彼にはレポート用紙を破り捨てたことは以前に話したことがあるが、その時の僕の心の内部までは解る筈はない。彼なら恐らく、僕のように奨学金の餌に釣られてレポートを提出するのかというようなひねくれた問題の立て方はしなかっただろう。レポート用紙を前にして僕の心は震えていたのだ。書こうとする自分に対する嫌悪感で苛立っていた。定期試験実施の理由として あのようなことしか述べられない大学に僕は腹立ちを覚え、新たな不信感を抱いたのだ。心は釈然としなかった。このような気持ちで、しかも自分なりの研究テーマや問題意識を持たないままに専門教科の授業に僕は出て行くことはしたくなかった。僕のこんなもやもやした気持ちは誰にも解らないだろうし、また解って欲しいとも思わなかった。
 去年の封鎖以来、僕の心の歯車は狂い始めた。その狂いは自分で納得出来るように直さなければならないのだ。
                ♪※♪   ♪※♪   ♪※♪
 小鳥が優しく囀っている。清々しい空気の中を通ってきた柔らかな朝の光が、この机の上にいっぱい飛び跳ねている。だが僕の心は重い。昨晩、いや、きっと明け方だろう、僕はこんな夢を見た。
 ……Yと一緒に北海道へ(旅行かどうかは判然としないが)行くことになっていたらしい。ところが僕は彼に何の連絡もしないで一人出かけた。彼はどうしているのだろう、向こうで会えるかも知れない、いや向こうで会えるのだと心の中で思っている。列車を降りてバスに乗る。彼はまだ現れない。向こうで会えるだろうとまだ思っている。そうしているうちにバスを降りることを余儀なくされる。道が悪くてそれ以上進めないからだ。何やら洞窟のような所へ入って行き、僕達は険しい岩場を登って行く。 縄梯子が垂れており、それを利用して登って行く。ところがその洞窟、燈台のようでもある。岩の隙間から下を見下ろすと、凄まじいほどの絶壁となっており、ずっーと遙か下の方にやや明度の低い紺青の海が見える。やがて上の方から、小学生と想える一団が下りてくる。僕達は彼等と複雑に混じり合って、燈台の中の雪で白くなった岩場を、登っているのか下りているのか判らなくなってきている……目が覚める。ああ、やはりYとの関係が気になっているのだ。………
 Yに対する二種類の感情、確かに僕の心の中に存在する。Yも僕と同じ化学にまわされた口だ。数学に寄せるロマンは僕以上に持っていたかも知れない。化学に対して直感的な見通しを僕はまだ持てない。ここが共通項かも知れない。この辺りの問題のついて話し合っている時には不思議と曲がった感情は沸き起こってはこない。しかしそれ以外のこと関しては、大学生になる前の気持ち、つまり自分は工業高校卒業だという変に曲がった感情で彼(だけでなく、一般的に大学生)を観ている自分がいる。 これは僕のコンプレックスなんだろうが、どこか彼等に融和できないものがある。彼等の麻雀に加われなかったのもそのためだった。この二年を振り返ってみれば、僕は彼を接点にしてクラスの他の連中とつき合ってきた感じがする。
 「君の存在はクラスの中で忘れ去られていないよ」と彼は言った。封鎖解除後、授業が再開され、日常性が取り戻されほっとする気持ちがあっただろう。しかし大山鳴動してナントヤラで、何か釈然としないものをそれぞれが心に抱きつつ三回生を迎えたに違いない。しかし新しい時間が大きく流れ始めているのだ。その中でみんなそれぞれの方向を見つけ出していくだろう。僕のことは徐々に忘れ去られていくだろう。それでいいのだ。
 彼には今回の僕の行動の動機について少し話したが、どれ程理解されたかは分からない。一週間ほど前僕は彼を激励する意味で「量子力学を一緒にやろう!」と言った。その時は化学をやっていく気持ちは少しあったのだ。彼は僕のこの言葉をどのように受け取ったのであろうか。また、N先生の量子力学の輪読の呼びかけに応じた時の僕の気持ち、本当に理解してくれているのだろうか。呼びかけに応じた理由は色々あるが、昨年同じ呼びかけを拒否したことに対してすまないと思う気持ちがあり、今度こそ N先生の善意に応えようと思ったこと、またTがこの呼びかけを断った時の彼の表情を観て、僕は意を決したのだ。僕も断れば彼一人となり、恐らく彼も断らざるを得なかったであろう。だがこの友情、決して純粋ではなかった。当初から僕の量子力学に対する意欲はいつかは薄らいでいくだろうと、何となく感じ取っていたからである。にも拘わらず、一緒にやろう!とまで言った。ここに僕の罪がある。授業に行かなくなった今となっては、彼にはすまないと思う気持ちでいっぱいだ。
 学校の図書館から駅まで一緒に歩いている時も、プラットホームで電車を待っている時も、彼と別れる駅まで吊革に手をかけている時も、お互い一言も喋らなかった。重い、陰鬱な時が霧のように立ちこめて、その流れは非常に遅かった。
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 教養部の正門のところでYに出会った。彼は黒いヘルメットをかぶっていた。一ヶ月も授業に出ていないと云うともなく云っていた。僕は拙い詩を彼に見せた。しかし僕の精神の暗い面を見せて、はたして何になると云うのか? 自分でも捉え難い自分を、そんなもので理解される筈はないのに…。彼に出した手紙がもとで、彼が何かある組織に加わったのでは?…そんな想いが一瞬僕の脳裡をかすめた。いや、それは思い過ごしだ。そんな彼ではない。
 あの夢の描写、解釈の仕様によっていろいろに取れる。あの意味は彼と僕の性格の相違、及び生活環境の違いから生じる相互不理解を象徴したものと解釈している。あれがもとで彼の心の内部に何か変化が生じたのだろうか……。自分の言動が相手に何か影響を与えたのではないか、そんな想いで心は非常に不安になる。作用があれば必ず同時に反作用が返ってくるのは当然のことだ。が、その当然の反作用に僕の心は不安に陥る。その不安が怖くて僕は殻を作りその中に逃げ込む、これが僕の性格の特徴の一つだ。 日常顔を合わせなくなった今となっては、彼の心の細かい動きなど解る筈がない。
 親に会えば親を殺し、師に会えば師を殺し、そして友に会えば友を殺す。自己を生かす為には他者を殺さなければならないことだってある。そして生き延びた者はその身に罪を背負うことになるのだ。その罪を払いのける為に人は生きてゆかなければならない。これが人生なのか。
                ♪※♪   ♪※♪   ♪※♪
 ユーゴ書店で偶然Yに出会う。近くの喫茶店で2時間近く話しをした。本当に久しぶりのことであった。
 Yに対する僕の気持ちは複雑で混乱していて、捉え所が全く無いような感じだ。僕は近頃何事に対してもすぐ冷笑を浴びせてしまう傾きがある。非常にいけないことだとは思っているのだが―。今日喫茶店で彼と交わした言葉なんか、すぐに忘れてしまうだろうという気がしている。これは僕にとって大変危険な兆候なのだ。
 他人という者をどのように捉えるか…他人を如何なる形で自分の中に介在させるか…云々を彼は考えたのだそうだ。そして、他人とは自分にとって非常に冷酷で、冷淡で、敵対する以外の何者でもなく、他人との闘争(固定的に介在させるのではなく、常に運動しているものとして自己の中に他者を位置付けながらの闘争)を通じてしか、他人を自己の中に取り入れることが出来ない、という結論が出てきたとのことだ。この結論は彼にとって恐らく人生からの恐るべき挑戦的な言葉と響いたのであろう。語気が鋭かった。 僕の胸にグサリッ!と突き刺さるものがあった。僕はその時、すぐその同じ言葉を彼に返してやりたかった。僕の感覚は他人から冷淡に扱われるということに関してはかなり麻痺してしまっていて、すぐに跳ね返していけないのだ。冷酷な他者は既に僕の内部に入り込んでいて、それが時として僕を不安に陥れる張本人であるのかも知れないのだ。彼は僕のこの辺りが解らないらしい。僕は強く責め立てられているような感じがし、ようやくのことで、君のその言葉は僕に対する抗議として受け取っておくよ、と言い返した。
 さらに彼は「人間は自分で自分を創り上げることは出来ない。自分を創り上げるものは常に他人である。他人から何か言われないと自分の欠点は絶対気が付かない。固定的な人間関係の中では、当たり障りのない話しで終わってしまって、それでは他人はいないのと同じことだ。そういった意味で、冷酷な他人ほど自分を創り上げてくれるという意味で、感謝しなければならないと思う」と付け加えた。
 他者に対するこのような二つの感情が彼の心の内部で錯綜しているに違いないように想われる。彼の言葉は彼らしい言葉であって、彼の本質はすんなりと、苦渋の思いがあるとはいえ、このような言葉が出てくるところにあると僕は思っている。とにかく彼も絶望的な淵に立っていることは間違いない。彼の絶望は僕のとは質的に差があるのだろうが……。彼をそこまで追い込んだのは一体誰なのだ?何なのだ?……いや、彼の問題は彼に任すことにしよう。僕は僕の問題を考えなければならないのだ。

★ 交 友 (2) ★

 今日、中学時代の友達Mと会う。彼もずいぶん変わった。彼の内部には他者性がかなり侵入している。ちゃんとした定職を持っているのだからそれも当然のことだろう。つまり社会人としての根がしっかりと生えている証拠なのだ。引っこ抜いてふらふらしている僕とは違ってくるのも当然のことだ。しかしそれが全く気にならない。すべてを許しあえる、全てを解って貰える、全てを理解しあえると思えるのだ。どうしてだろうか。いや、このように自分に問うこと自体おかしい。彼も僕も経済的には山の斜面に立っていたと暗黙のうちに了解しあえるからなのだ。
 彼は中学二年生の三学期に山口県から転校してきた。彼を見たとき何か感じるものがあった。あの時期の友情には閉じようとする傾向があると云う点で恋愛感情に似たものがあるのではないか。
 彼と話しをしていて徐々に残念に思えてきたのは、僕が普通高校へ行けなかったことだ。父の反対がなかったならば、僕は彼と同じ高校に進学していただろう。高卒後の初任給云々で僕の普通校進学に反対した親父。それに反撥し得なかった僕の未熟さ脆弱さ。
 彼の進学した高校は僕の家からそれほど離れていなかったので、願書提出は彼に同行した。彼と別れて、僕の進学する工業高校へ向かったのだが、その途中雨上がりの凸凹道を猛スピードで走ってきたトラックに泥水を全身にかけられてしまった。バスの中でも歩いていてもジロジロ見られている自分が恥ずかしく情けなかった。あれは僕と彼との間に芽生えつつあった友情の絆に浴びせかけられた泥ではなかったか。あの当時僕の心の奥底で呻き声をあげていた悔しさ悲しさが急に思い出されてならなかった。
 大学の合格発表があった数日後、彼から貰った葉書には、君と同じ大学で学べるようになって嬉しく思います、と書かれてあった。僕の合格を彼は新聞で知ったのだ。彼は長男、昼の大学は断念したとのことであった。

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★ 家 庭 ★

 6月7日、この二帖庵(土蔵の中にベニア板で囲って作った勉強室)が消え去る日。そして我が家の過去も消え去る日。消えて新しい納屋に生まれ変わる。消えゆく過去に乾杯!と優雅にやりたいところだが現実は厳しい。心の中の過去は消えてはくれない。
 姉には土蔵の家から嫁には行きたくないという思いが強くあったに違いない。中学を卒業するや我が家に就職し、朝早くから夜遅くまで、ガラス玉製造の仕事に従事した。その甲斐あって、我が家の借金は無くなり、僕が中一の時家が建ち、中二の時姉は嫁いで行った。
 この土蔵に対する僕の思いは姉のとは少し違っている。土蔵なので台風には強い。少々風が強くても家が軋むことはほとんどない。台風が近づいて来ると、隣の人たちが避難しにやって来た。子供の僕はなんだか楽しい気分になる。みんなが寄り集まって団欒の雰囲気が醸し出されいるのが好きだった。…風の吹く日はさみしかないよ…ペチカ燃えろよお話ししましょ…といった気分であった。
 今日からまた騒音と突き声の乱れ狂う家の中で生活しなければならないことになった。はたして耐えてゆけるだろうか……。
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 兄は近頃よく親父と意見がぶつかる。中学卒業したての兄は、日曜毎によく東映の時代劇を観に連れて行ってくれた。優しい兄であった。その兄が最近刺々しくなってきているのだ。車の運転がしたくて、勤めた会社を辞めた頃からその兆候があったようにも思われる。厳しい現実の波を身を持って体験する中で、過去の亡霊が兄の脳髄の何処かに棲息し始めたに違いない。
 戦争が終わって親父が家に帰ってきた時、兄は二歳半位だったであろう、にこりともしない我が子を見て、親父は快く思わなかったのかも知れない。夏の大掃除が終わった後、僕は親父によく海へ連れて行ってもらったが、その時兄は一緒ではなかった。競艇や競輪に連れて行ってもらった記憶が僕にはあるが兄には全くないと云う。僕の方が兄より少しはすばしこかったので殴られそうになると逃げたが、おっとり屋の兄は逃げずに親父に殴られるままだったらしい。こうした恨みつらみが深層意識に働いているのかも知れない。
 僕の親父との心の葛藤は高校二年生の終わりの頃に卒業したと思っている。
 僕の高校進学の条件は育英会の特別奨学生の試験に合格することだった。僕は担任の先生の勧めもあって普通校進学を考えていた。が、直前になって親父が反対した。就職時の初任給に違いがあると誰かに聞いてきたのだ。残念な気もしたが、電気技術者という言葉には何か夢があった。少なくともその時、そう感じたことも事実だったので、それほど落胆しなかった。大学進学などその頃は夢のまた夢であったのだから。
 しかし現実は違った。工業高校の授業内容に不満を感じ始めた頃、僕にとって親父との葛藤が始まったのだ。苦しみがだんだん高じていって、頭がおかしくなったのではないかという観念に取り憑かれてしまった。不安感がつのる一方だった。或る日僕は誰にも内緒で、脳クリニックと看板が出ている所に駆け込み、脳波の検査をしてもらった。後日、異常なしと聞かされて、一瞬にして頭がスッキリしたことを覚えている。その後親父を見る目が変わった。少し距離を置いて親父を観ることが出来るようになった。過去の親父とのことはあまり考えないようにした。またそう出来るようになった。

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★ 恩 師 ★

 先生(高校の時のクラブの顧問)の手紙に、「遠い昔の僕を君の中に再現して、さすがに憮然としています」とあるのはどういう意味なのか。恐らく僕の留年(と云っていいだろう)のことに心を痛めているのではあるまいか。しかし僕の決心は変わらない。
 先生は今春退職された。それで近頃先生を訪ねることが多くなった。先生の心の中に赤々と燃え上がる炎を感じて僕の心も燃えてくる。「肉体は年とともに衰えていくが、精神はそうであってはいけない。人間五十を過ぎると誰しもそうなるものだが、わしが過去に猛烈に勉強した時期が三度あった。その経験が年を取ってもやれるものだという自信をつけてくれたのだ。脳味噌は使えば使うほど輝く。君、頭は出来るだけ使わないといけないよ」とは云うまでもない、先日聴いた先生の言葉だ。
 これから大いに勉強して、何でも吸収して、出来るだけ幅の広い人間になろう。その為には英文学も勉強する、化学もやる、物理化学の授業にだけは出ていくことにしよう、数学も物理もやる、何でも勉強するのだ。先生は二年間でとりあえず卒業してはと忠告してくれたが、勿論この言葉、僕の経済状況を心配してのことだと思う。僕は三年で出ることにする。奨学金は当てにするな。バイトをして自分で稼ぐことだ。長い人生、一年や二年遅れたとしても大したことではないのだ。
 昨晩は先生の若い頃の話しを遅くまで聴いていて、お宅に泊めてもらうことになった。チャールズ・ラムについての話しを聴いた後の僕の気持ち、僕の瞳、その他僕の全てが、未来に対する想念で充ち満ちていた。帰り、先生曰く、君、文学のことばかり考えて、化学をお留守にしてはいかんよ、と。さあぁ、どういうことになるのやら、と言ったら、先生がにこっとされた。この微笑が、僕の人生行路を決定する微笑みとなるかも知れない。
                ♪※♪   ♪※♪   ♪※♪
 先生を訪ねる。先生の話を聴いていると時はすぐに経ってしまう。昨夜妹さんの容態悪化を告げる電報があったそうで、それで僕は五時になるとすぐ暇を告げた。先生と別れるときの僕は、まるで子供だった。大人は時として子供を困らせるようなことを意識的に言うことがある。子供はその質問をまともに受けて、むきになって答えようとする。と、すぐに大人は、「あぁ、そうか、そうか……よしよし……」と言ってなだめすかす。
 「授業に出ているのか…化学の道を外れてはいけないよ…文学の話しは控えめにしないと…」先生は僕の心を探る意味で言ったのだ。僕がこれから化学をやる?…思っただけでもぞっとする。先生の話を聴いていると、俗世間のことは一切忘れてしまう。先生は先生独自の世界、正に詩人の世界、精神の自由に行き交う世界を持っているのだ。その世界に足を踏み入れる許可が与えられている。自由に入って行っていいのだ。この僕が、地に根が深く生えてしまっているこの僕が、正に人生の大転換期にいるのだ。 何故だか身震いがする。震撼する身体よ、そして我が心よ。未来は不確定なるが故に、心を鼓舞して出発しなければならない。
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 先生の前で初めて泪を見せてしまいました。あのような泪は何年ぶりの泪だったのだろうか……、胸の奥底からこみ上げてくるものがあり、たちまち僕の全身は切なさ、悲しさの波に呑み込まれていってしまったのです。少年時代と全く同じような感情のうねりだったように思われます。あれは恐らく、先生の前だからこそ、少し甘える気持ちがあったからこそ、なのかも知れません。……<喜ぶにしても瞳を輝かせて、何か事にあたるにしても、人生意気に感ず!の心持ちで、悲しむにしても大いに泪を流して、…わしの若い頃はそうだった>……このようなことを以前先生から聞いたことがありました。 あまり感情を表に出さない僕を意識してのことだと思いました。あの時は、普通なら押し殺していた筈の感情が、先生の前だからこそ出てしまったのだと思います。
 先生の話は万国博のことから政治の問題へ移っていきました。日本には民主主義は育たない、今の政治状況は英国の19世紀なみだ、日本が英国風の民主主義国家になるにはあと百年かかるよ、と云うのが先生の持論です。そして、その頃までわしは生きてはいないがねと云って政治の話しを終えるのがいつものパターンなのですが、あの日はそのような政治しか持てない日本の大衆のこと、旅の恥はかきすて的な道徳心の低さ品位の無さを鋭く批判する方向へ移って行きました。
 こんな話しを聞くと僕はいつも自己嫌悪の感情が騒ぎ出し自分が批判されているような思いになってくるのです。……蛙の子はやはり蛙なんですねぇ……やや自嘲気味に、そう言ったことを記憶しています。先生のどんな言葉に対して僕がそう言ったのかは覚えていませんが…。子供の躾、家庭教育、日本の女性、特に家庭内の母親のはたす役割の重要性云々。先生は幼い頃里子に出されたのだそうです。小学校の高学年の頃から漱石を読み始めたのは同じような境遇に共感したからだと聞いたことがあります。先生の母性に寄せる思いは複雑なものがあるように思われます。
 女性を判断するに、容姿でしてはいけない、話す言葉でもいけない、言葉には飾りがあるから、態度を観て、女性の身振り、ちょっとした素振りから判断しなければならない云々……。あの時の僕は、話しが女性一般の方に向いてくるにつれて、僕の姉の姿を思い浮かべていたのです。そして僕と云えば、姉の為に泪を流してやれる、姉と一緒に姉の過去を悲しんでやれる心、そんな高貴な精神は持ち合わせていない人間なのです。
 君、女性を選ぶときはよく注意しなければいけないよ……。あの時の僕は、恐らく姉のイメージの上へ少年の僕のイメージを二重写しにしていたのでしょう。よく働く姉の姿は、遊びたい一心の少年にとっては仕事の量を増やす、ありがた迷惑以外の何者でもなかったのです。
 君、女性を選ぶときはよく注意しなければいけないよ……。念を押すような先生の口調は僕の心の中にある何かを激しく刺激したようです。急に胸の奥の方からこみあげてくる波があり、言葉は詰まり、どうしようもなく泪が溢れ出てきてしまったのです。そして、あの時のあの場には、何か絶望的な雰囲気が漂っていた(少なくとも僕はそのように感じていた)ことも、僕の泪をそそったのではなかったでしょうか。
 そんな僕を見て、困惑したのでしょう、先生はすぐ立ち上がり、トイレにでも行ったのでしょうか。しばらくして、鮨を食べようか、君、電話してきてくれないか、と云う声が聞こえました。僕は思わず醜態を晒してしまった自分が恥ずかしく、その言葉に救われた思いですぐ外へ飛び出して行きました。
 <鰯雲人に云うべきことならず>これは高校一年生の時に耳にし、以来ずっと僕の脳裡にこびりつき離れない俳句です。漁師から鰯大漁の兆しとされている、云わば希望の象徴であるべき鰯雲に、この作者は一体何を見、何を感じたのでしょうか。僕は鰯雲に、恐らく作者とは反対に、何か暗いものを感じ取ったのでしょう。この俳句に何故か心を惹かれる自分を、あれ以来ずっと意識してきました。そしてこれからも意識していくでしょう。
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 「迷妄のこの身も乗せて、無心の雲よ、無心に漂う」とは先生の詩の中の一節。あぁ!もう何も考えたくない、考えない。自分をじっと観れば観ほど落ち着かなくなる。「えい!ままよ、成るに任せよ」―と。
 兵役検査、丙。医者から「この子はあまり長生き出来ないね」と、感受性の鋭い若い頃の青年にとっては云わば死刑の宣告と同等の警告を受け、死と直面しながら過ごした病弱だった先生。そして「それを衝き破れなかった僕の薄志弱行ぶりが今日の私のよい見本です」と書く先生。…僕は何も言えない。ただ、ただ……この前の先生への手紙の内容はと云えば、相手のことを全く考えない、エゴイストの卑屈な内面吐露、階級的立場の主張にすぎなかったことを思うと、自分が恥ずかしい。
 この前先生の前で思わず泪を見せてしまったのは、勿論いろんな理由付け可能だが、僕と先生を結ぶ何かを一瞬僕は見失ったからにほかならない。英国の貴族階級の高い道徳性を持ち出して、日本の大衆の俗悪さを痛烈に批判した先生の言葉に、思わず僕は泪で対抗したのだった。それしか僕には出来なかった。大衆の卑賤さの中へ僕の過去の情けない姿を二重写しにして、僕は自分を(そう!自分だけを、全くエゴイスティクに)憐憫したのであった。だからあの時の僕の泪は決して純粋なものではなかったのだ!
 「文学とは、それ以前では到底生きていけない人間に課せられた生前の罪科に対する償いのようなもの」と先生はそれとなく書いている。僕が文学者になる可能性があったのだと今仮に仮定してみたとしても、先生に会うことがなかったとしたら、……。人と人の巡り合わせとは不思議なものだ。これは一体何によって説明可能か? これも科学が発展すれば説明できるのだろうか。否、否だと思う。それならば僕は自分の運命を大切にしなければならない。大切にするとは、自分を疑らないこと。自分の来し方をそのまま素直に受け入れること。自分を、自己の能力を最大限に信じること。 今までの僕は自分の才能をあまりに疑り過ぎていたのだ。自分を信じなければ自分は生きない。全ては信じることだ。世界は全てみなそれに通じる。高慢になってもいいのだ、若いのだから、自分の才能を試してみることが出来る時期なのだから。使命感に裏打ちされたものである限り、高慢な精神は自己の才能を啓発していく原動力、推進力となり得るのだ。僕が文学者、もの書き…笑わしちゃいけない!なんて云って卑屈になるな。それなら他にどのような道があるのか? なんだか自分が思いもよらぬものになってゆくようだが、それもいいだろう、他に道がないのならば―。いずれにしても、僕はアウトサイダー、孤独な男。

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★ 先輩Kさんの歓迎会 ★

 朝先生から電話。何か要件があるらしく、午後来て欲しいとのこと。
 要件は案の定Kさん歓迎会のことであった。日曜の午後と決まりそうだ。Kさんの事は高校の頃からよく聞かされていた。卒業して大手製薬会社の研究室勤務となるが、研究成果を上司に横取りされ、その怒りが発奮材料となりフルブライト留学生としてアメリカに渡った僕たち高校のESSの先輩。どうだ、この中から第二のK君になるやつはいないか、と向学心を刺激されたものだ。この度大学院で博士号を取得したのを機に十何年かぶりに帰国される。どのような話しになるか胸がときめく。
                ♪※♪   ♪※♪   ♪※♪
 Kさん歓迎の日。「今日は本当に愉快だった」「今日は何日だ、ああ、23日か、記念すべき日だね」―先生の言葉である。
 奥さん同伴だった。Hさんはほとんど一人奥さんの話し相手をしていた。Nさんはほとんど聴き役。僕とY君も聴いてばかり。先生とKさんはテーブルの端で向かい合って話していた。じっくり面と向かい合うのは何しろ十年振りのことなのだから話しの泉は涸れることはない。
 先生がKさん夫婦に送る詩をNさんが朗読した。Kさんはテーブルの上に両肘をつき、両手を握り合わせて、過ぎ去った過去の苦難の日々をじっと回想するように聴き入っていた姿が非常に印象的であった。奥さんは Very nice! と何度も感激の思いを述べていた。
 Kさんは実に若々しい。年齢も32歳にはとても見えない。どう見ても25,6だ。特に瞳がきれいだった。彼の歩んできた道をくっきりと照らし出しているかのような輝きだった。僕も明日から頑張らねば!
                ♪※♪   ♪※♪   ♪※♪
 この前の歓迎会の会費のこともあったので先生を訪ねる。昨日Nさんが来て、話はついたとのこと。N、Hの両先輩は僕たち後輩に金の心配をさせては、―働いていない身ならまだしも、社会人として稼いでいる現在―先輩としていい格好ではないといっていたそうだ。Y君と連盟でお礼の葉書を出すことにした。
 「T先生が病気で、その代わりでK君のクラスへ教えにいった当時、彼は英語はあまり面白くなく、英語はあきらめようと思っていたそうだ。そこへ僕が行って教えたろ。ただ単に表面的に済ませるのではなく、言葉の語源とか、その文章の持っている雰囲気、その奥にある思想的なこと、更にその時代背景について言ったものだから、英語がこんなに難しいものか、なんとかしてついてゆかねばならない、そう思ったそうだね。その為僕はクラブに入り勉強したんですと言っていたよ。 それから、僕が教室で牧水の<白鳥は哀しからずや空の青海の青にも染まずただよふ>ね、あの歌を話したことがあるんだ。それを聞いて、彼、その歌がピーンと頭にこびり付いたんだろうな。僕はアメリカで苦しい事に遭ったり、他からの誘惑に負けそうになった時はいつもその歌を思い出して頑張ったんですと言っていたよ。その歌が彼の人生を大きく変えたんだそうだ。若い頃に聞いた言葉は、多感なもんだから、人の一生を決定するほどの、一生涯忘れない人生の支えとなることがあるんだね。 昨夜N君にも―彼は英語教師の道を歩むことになるんだろう―諄々と話して聞かせたんだが―。
 「教師とは、講堂の中でトンガを振り上げてセメントを砕いていくようなものだ。カチンと音がしてダイヤモンドを掘り当てたら、それを磨いてやるんだ。勿論、生徒も自ら磨かなければならない。二人でその宝を立派なものにしてゆこうとするところに、教師と生徒の結び付きが生まれるのだ。そういう意味で教育とは非常に厳粛なものだ。エデュケイトのエデュというのはラテン語では外へという意味で、ケイトというのは引き出すという意味なんだ。教師とは生徒各々の固有な才能を引き出す仕事を云うんだ。誰にだって固有なものはあると思う。 それを見つけてやって、引き出してやって、二人で磨かなければならない。K君は自分の中にあった宝を光り輝かせることに成功したんだ。そしてそこへ導いてやるためには教師という優れた人物が必要なんだ。昨夜N君にこのことを充分言って聞かせかんだ。」
 先生は伯楽だ! <千里の馬は常にあれども伯楽常にはあらず>か。
 僕と先生との今までの関係を思い返してみよ。僕は決して見捨てられることはなかった。それは明らかなことだ。厳しいことも言う。それで去って行く者もいる。去る者は仕方がないことだと、心中泪を流しておられるのだろう。来る者は拒まず、ドアを開いて温かく迎い入れる。人との出会いは不思議なものだ。僕が普通高校へ進学していたらどうなっていただろうか……。この出会いを大切に思わなければいけない。

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