1969年
2月・・教養学部校舎封鎖される
10月・・機動隊導入により封鎖が解除される
 | 講義のない日々 |  |
(ノンポリ学生の独白)
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- もう本格的な春日和。太陽に照らし出された昼間のキャンパスの情景を眺めていると、何だか心の緊張が弛み厭な倦怠感に襲われる。と同時に一昨年のちょうど今頃、テレビ受像機製造の現場で流れ作業に従事していた自分の姿が思い出され、吐き気を催すような気分になる。
- 工業高校の電気科を卒業して就職した会社で現場実習ををしていたのだ。最初はコンデンサーや抵抗を三箇所に取りつけることから始まった。慣れるまでは遅れがちなので必死だ。それで時間はすぐ経ってしまうように思われた。しかし慣れてくると、次の台がベルトコンベアーにのってやって来るまでに数秒間の間ができる。この時間が非常に苦痛なのだ。何か考え事をするには短すぎるし、待つには長すぎる。昼の休み時間はやってこないのではないかと思われるほど時の進み方が遅く感じられようになる。それで、取り付ける部品の数を増やしてもらう。また時が速く進むようになる。要するに流れ作業では何も考えず自分を機械の一部分にしたほうが楽なのだ。
- こうしたことが約1ヶ月続いた後、僕はカラーテレビの技術部に配属された。夜はある工業短期大学に通い勉学にも励んでいたが、その両立は7月に破綻を迎え、8月の後半には会社と学校の両方を辞め、図書館通いを始めた。つまり、昼の大学入試を目指す浪人生活に突入したのだった。
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- 君は如何なる態度をとる積もりなのだ! 何もしない日和見主義者か!・・・大学の構内の芝生に寝そべって、青空を眺めながら自由な物思いに耽っていたいと思っても、人の話し声が聞こえてきて、その声が頻りに僕のとるべき態度を強要しているように思われてならない。
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- 教養部校舎が封鎖されてもう3ヶ月以上過ぎた。大学当局は依然として音無しの構えを崩さず、学生もその大半は学校に寄りつかず、各自バイトやサークル活動に日々を送っているに違いない。もう5月も終わりだ。
- 一般学生にとって、非日常が突然やって来た。しかしその非日常も日常化しつつある。今日も何も変化はなし。僕の心にも僕を取り巻く状況にもー。時の経過が非常に速く感じられる時もあるのは、心の苛立ちの反映か。益々僕の心の暗い空洞が拡大するばかりだ。
- 放心状態の日が続く。燃え上がるものは何もなく、気温20度前後なり。勉強しなければと云う気持ちあれど、何の為にと問う心が氷結させてしまっていて、動き取れず。焦る気持ちすら覚えず、だらだらと日常性に埋没していくのみ。新しき闘志の牙の再生に力を尽くせども、我が心の壁は堅く、温和従順なる性格に軍配を上げざるを得ない我が心の脆弱さを改めて認識する。
- こうした現在の僕の精神の荒廃は、昨年の夏以来の、自恃心喪失以外のなにものでもない。
- 会社を辞めた時は、絶壁に立たされたと云う思いで緊張していた。必死になることで不安は意識の表面には出てこなかった。翌春、あのような形で入学するとは夢にも思わなかったことだ。一浪とは人並みのことだと入学後に初めて聞いて、へえーと思ったことがあった。僕にとっては二浪で人並みなのだから、あのような変な形で合格(注:第一志望は数学科であったが化学科で合格)するよりは、寧ろ落ちていた方が新たな闘志が湧いたかも知れなかった。
- あの時僕は天から踏み絵を強要され、踏んでしまったのだ。そのことにこだわりを持ったのは夏休みに入ってからのことであった。自分に対して何か後ろめたい気持ちが生まれ、それをなだめようと、化学の分野で面白い研究テーマを見つけたいという気持ちを強く持つようになった。しかし現在、専門分野からの刺激は全く得られず、興味関心は薄れつつある。ともかく、受験勉強をしていた時の心境からすれば、化学科へ入学を許されるとは全く予想だにしていなかったことだ。
- 人の心とは脆いものだ。自分をごまかしたという思いがチクリチクリ僕を責め立てる。骨を抜かれ、悶え苦しむ姿が今ここにある。
- だがこんなことを並べ立ててみたところで何ら解決の糸口は現れてはこない。問題は、この精神状況から如何にすれば脱出可能かということだ。
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- 僕の魂の中の何処かにポッカリと空いた穴がある。心の真空地帯だ。何かが崩れ、何かが蒸発した。若者の一番大事なもの―。もしそうならば僕はどうすればよいのだ。僕の心は汚された。資本主義社会の中の悪魔と僕の心の中の悪魔に…。
- 僕の心は矛盾している。それは誰だって同じこと。しかし僕と他者の決定的な相違点は、統一者がいないことだ。統一してゆく若々しいエネルギーが無い点だ。
- 何時何処で精神の空洞が生じたのか…。僕は生来こんな性格なのか。僕は老人ではないんだぞ! 僕は魂の屍ではないんだぞ! 僕は判っている……、これを問いただしてゆけばあの精神状態に追い込まれることを―。
- 精神の凪が恐ろしい。現在の平静な心が恐ろしい。僕は一体何をそんなに恐れているのだ! 僕の求めているものは何なのだ。
- ダメだ! こんな愚にもつかないことをダラダラと書き流している自分が歯痒い。僕の心は傷だらけ。でも苦にしているのではない。
- 生は重い。苦しい。それでも人は生きてゆかねばならない。きれいなままで人生の幕を閉じる人はこの世に誰もいない。傷つき汚れた身体を引きずり、引きずり、血を流しながら、人はみな山を登って行くものなのだ。
- ===君には卑屈なところが確かにある。君はそれを君が育った生活環境と結びつけている。君はそれを絶えず反芻することによって、君の心を傷つけている。過去のことをあれこれと思い返してみたところで何になると云うのだ。もういい加減に止めてしまいなさい。君の心をもっと豊かにすることを考えることだ。そう、もっと豊かにしないといけない。君の心はギスギスに錆び付いているじゃないか。美しいものに接したとき、素直に歓べるような心、そんな心こそ人生において最も大切なのではないか。===
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- 必要と感じた時は、湯が沸騰し始める時のように心の深部から湧き上がってくる抑え難い感情に見舞われる。そんな時でないと、人間は生来怠惰なものであるから、我々人間は事を完遂できないのではないだろうか。或いは、完遂してやろうという強固な持続する魂を持ち続けることは出来ないのではないだろうか。そしてその抑え難い感情は、何ものかから逃れたい、或いはあるものを得たい、というこれら二つの欲情のいずれかにその源を発しているように思われる。
- 思うに、自我(これが真の自我であるかどうかは問わないことにして)に目醒めて以来、僕の人生は前者の欲情に駆り立てられてきたようなものだ。僕が生まれ育った生活環境から脱出したい!…この思いが常に根底にあったようだ。
- この場合、物欲や名声欲に駆り立てられている限り、比較的堅実な歩みが可能なのではあるまいか。例えば何かある物が欲しくなる、その為に努力する、素晴らしいことではないか。すぐに得られなくとも得ようとする執念がその人に活力を与えるのだ。僕は中学時代にその執念に諦点という小さな穴を自らの手によって開けてしまったのかも知れない。
- 物欲、名声欲は無いと云えば嘘になるが、僕の場合、今置かれている環境から逃れ出たいという思いの方が強かったように思われる。
- あの6ヶ月間、受験生の僕を支えたのは何だったのか。大学をあまりにも理想化して思い描きすぎたのではなかったか。理想の大学があの山の彼方にあると自分に言い聞かせることによって、断崖絶壁に立っている不安を和らげようとしてきたのだ。そして傷つき挫折し、何か事があれば収縮しそうになるこの惨めな魂の所有者となってしまった僕は、今何をすればいいのだろうか。勿論現在の僕は、絶壁の上で冷たい烈風に吹きさらされる状況にいないからこんなことが言えるのだろうけれども…。
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★ 10月・・・大学に機動隊が入った日 ★
- 人の心の奥は他人には絶対解らない!……解ってもらえない。
- 昨夜、クラスの一人から電話があった。僕は姉の家に行っていて留守だった。今朝8時に杉本町の駅で待っている、それだけだった。今朝目が覚めた時、親父から聞いた。僕の頭はザクザクと疼き始めた。あの、いつも経験する精神状態に突入したのだ。機動隊導入の件につき抗議集会をするから参加せよとのことだろうと思った。新聞を見ると案の定、学長が機動隊を要請すると報じていた。8時を少し過ぎていた。
- 駅に着いたのが8時35分頃だったろう。クラスの者は誰一人見かけなかった。駅から正門までの道、人でいっぱいだった。その時の僕は野次馬以外の何者でもなかった。物々しい警戒ぶり。強い衝撃で心臓は激しく鼓動していた。美しく夢に描いた花壇の中へずかずかとジュラルミンの盾を持って侵入してきたのだ。それを見ている僕は何もできない。むしろ怯えている。<一体守るべきどんな花があるというのだ!> 時計台の塔から真っ赤に燃える炎が空に弧を描き落ちてくる。どす黒い煙が立ちこめる。あれは正しく戦後の大学の姿だ。もっと燃えるがいいんだ! もっと。どす黒さをすべて吐き出してしまえ! 全てなくなるまで。………。
- 勤めを辞め、受験に取り組んだあの6ヶ月間の努力は一体何だったと云うのだ。すべては空しい。犠牲の多かった6ヶ月。今日のあのどす黒い煙と炎に包まれた大学を見るために入って来たのか。この日のために、高校時代の腐朽した絆を断ち切ろうと努力したと云うのか…。
- 工学部の玄関の方を見ると学生が200人位座り込みをしていた。機動隊導入抗議のためだろう。クラスの何名かは、恐らくあの中にいるのだろう。僕はそこへ行けない、自らの意志て行くことは出来ない。と分かると同時に、急に心が締めつけられ救いようのない嫌悪感に捕らえられた。僕は野次馬だ。<そうだ、お前は野次馬だ。臆病者だ! 全共闘に結集する学生と機動隊との攻防戦を、テレビでは迫力がないから実地見物に来たというのか! お前は卑怯だ!>
- 僕はその場にいたたまれなくなった。前方から波のように押し寄せてくる人の群の中を泳ぐようにして来た道を引き返した。途中四回生の一人に出くわした。ただ会釈をかわしただけ。彼を険相な顔付きをしていた。座り込みで抗議の意志を表示をするとでもいうのだろうか。
- 僕には後から割り込んでいくことは出来ない。抗議行動にはそれなりの意味はあるのだろうが、逃げまどう一人の男……、それが僕ならば、そんな屈辱的なことはしたくない。そうだ、そうなんだ! 僕には屈辱的なことなのだ。
- 機動隊が大学構内に踏み込んでくることが、自分にとって何か大切なものが傷つけられることにつながるのか。そんな危機意識が僕にはあるのか。もしあるのなら、逃げまどう男のイメージが湧き上がってくる筈はない。抗議に立ち上がり逮捕される結果になったとしても悔いることはない。ところが僕には逃げ惑うという屈辱的な自己の姿が目に浮かんでくるのだ。このことは誰にも分からない。神のみぞ知ることなのだ。このことを誰かに解って欲しいとは思わない。そう思ったその時点から、僕は僕の過去、僕の重い歴史を荷って行かなければならないのだと覚悟したのだ。
- 学生と機動隊とのイタチゴッコ。あれは僕の小学四年生の頃から中学へ上がる頃まで続いた、僕と親父との間で戦われた争いと全く同じなのだ。
- 学校へ行く迄の1時間、帰宅後の1〜2時間、僕の家はその当時、模造真珠用のガラス玉製造に従事していたのだが、下回りの仕事を手伝わなければならなかった。少年の僕はそれを、人が朝起きて顔を洗うように習慣の如くやった。さそいに来てくれる友達を先に学校へ行ってもらったことが時々あった。遊びの約束を断ったことも幾度があった。少年はその仕事が嫌だった。報われることがなかったからだ。
- あの頃はみんな食べるために、借金を返済するために精一杯だったのだ。借金の利子を払うのにまた借金するという苦しい時もあった。金の工面はすべて母の役割だったようだ。厭なことがあったのだろう、悔しい思いもしたのだろう、泪ながらに愚痴をこぼしていた母の姿が目に浮かぶ。小学生の頃から子守り仕事をしたという母。妹と二人で苦労して建てた家を、知らないうちに兄に売られてしまったと云う話しを聞いたことがある。妹の叔母さんは好きな人に手紙を書くために勉強して、新聞は読むことが出来る。母はカタカナしか書けなくて、ひらがなしか読めない。
大工さんと結婚し女の子を出産するが、その直後に夫が亡くなり、初めて産んだ子供とは引き離されてしまった。その後、親父と再婚するが、結婚当日までお互いの顔も知らなかったらしい。母の人生は一体何だったというのか。一昨年、右足の付け根の骨が痛みだし手術した。そのため足の長さが少し短くなり、今はびっこを引きながら歩いている。そんな母の姿を目にすると哀れでならない。これは僕の一面の感情だ。決して僕はこのような人間ではない。
- ふくれっ面をし、目に涙を浮かべ、嫌々やっていると、よく親父は「また泣いている! そんなに嫌なら遊びに行ってこい!」と言って少年に襲いかかった。親父の硬い手の甲で平手打ちを何回となくくった。それが恐ろしくてビクビクしながら泣いた。ガラス玉を糸へ通す作業を嫌々ながら仕方なくやった。常に少年の視線は親父に注がれた。親父が襲いかかると見るや、少年は一目散に逃げた。夢中だった。夜遅くまで帰らないことも幾度かあった。僕の頭の中には、誰かが迎えに来て優しい言葉をかけてくれたというような光景は,(多分あったと思いたいが)全く残っていない。
- 学生と機動隊との攻防戦を観ていると、少年の頃親父から逃げた思い出が甦ってくる。今年の1月、東大安田砦の攻防戦をテレビで観た数日後、急に不安になり誰かに背後から銃剣を突き付けられてているような恐怖に戦いたのは、僕の潜在意識のなせる業だったのだ。今日はっきりとそれがが解った。
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- 何かの幻影が僕の脳裡に生じても、近頃ではすぐ消えていってしまう。それに対して僕は全くなす術を知らなかった。ただ呆然として自分の無能力、無気力について嘆き、自己嫌悪の泥沼の中へ落ち込んで行くしかなかった。ある幻影(微かな希望)が生じても何故すぐに消滅していくのか。この問いかけが僕には欠如していた。徹底的に問い詰めることを忘れていた。
僕には自我というものが無かったのだろうか。いや、無かったのではなく、自我を支える精神的な枠組みが崩れ去り、壊滅しつつあると云ってよい。精神分裂症的精神状況の一歩手前にいる自分から脱出するには、新しい自我を確立しなければならない。このことは現在の僕に突きつけれらている急務の課題なのだ。僕はこれから自我の分析に取りかからなければならない。
- 自我とは一体何なのだ。問われている自分は捉え難く底なし沼のようだ。だがそのように感じつつ問いかけている自分は何なのだ。分からない。将来に対する明確な目標を持ち努力している人間には確かな自我の存在が感じられる。彼を行動に駆り立てる原動力は何か? 欲望だろうか。欲望に支えられ、欲望を制御している奴が自我なのか。
- 欲望―欲する、望む。僕は今、何を欲し何を望んでいるのか。将来の自分の姿をはっきりと思い描くことが出来ているのか。僕はやはり自然科学の道を歩んで行くしかない。他の可能性の中に自己を見いだし得る確固たる自信がないからだ。この態度はしかし何と消極的であることか。僕の知的好奇心を激しく刺激してくるような何か面白い課題はないか。それは自分で探し出すこと―。見つけだせないから自分という者と化学者という者とがうまく混交しないのだ。
- 僕の心の眼は何時から未来を見ることを忘れ、過去ばかり見つめ始めたのだろうか。真に喜び、本当に歓喜したことのない過去に何故引き込まれてしまうのだ。苦痛と憂鬱の繰り返し以外のなにものでもなかったじゃないか。数学に対する幻想が崩れ去った後、別な他の道を見いだし得ず、ただ意気消沈して、廃墟の中で喘ぐしかなかったのは如何なる理由によるのか。この問いに対する解を探し求めて長い間苦労してきたが、それは最も簡単な言葉で集約されるのではないか。僕にはあまりに欲望が無さ過ぎた、と。これは僕の過去に厳として連鎖している。僕の少年時代の家庭環境に起因する。<そんなこと望んだって、結局ダメなんだ>―僕の消極的な性格はすべてこの発想に由来しているのだ。
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