アルハンブラ宮殿

4月15日 晴れ。
     列車は定刻(18時2分)にパリのオーステルリッツ駅を発車。東京の音大を卒業し、スペインのアリカンテへギターの個人指導を受けに 行くという女性と同じコンパートメントであった。僕の前は孫を連れたスペイン人。以前フランスの電気機器製造の会社で働いていたが、心臓が 悪化しそれに伴い両手が震えて働けなくなり、その後毎年フランスへ心臓の検診に来る。今日はその帰りとか。彼は仏語のほかにポルトガル語と アラビヤ後も話せると言う。ル・モンド紙を読んでいた口髭を生やした年輩のスペイン人。冗談を言うのが好きなようだ。しかし時々子供に 話しかけ、二度も泣かせてしまった。もう二人はスペインの若い夫婦。彼等は翌朝6時頃、ブルゴスで降りたようだ。みんな良い人達で楽しい 旅行の皮切りであった。

4月16日 快晴。
     列車は殆ど定刻10時5分にマドリッドのシャマルタン駅に到着。フランスの青々とした田園風景は翌朝目が覚めると一変していた。 窓から眺める景色は起伏のある丘がうねり、土地はやせていて木も潅木ばかり、土の色は赤みがかっている。テキサスのような岩ばかりの所も あり、ここでアメリカの西部劇が撮影されるのだと教えられる。ピレネー山脈の頂は雪で覆われていた。グラナダ地方の山の頂にも年中雪が 融けないで残っているそうだ。ちょっと意外であった。
 プラード美術館では疲労のためか眠気を覚え、半時間ほど椅子に座ってうとうとしてしまった。宗教絵画が多く、多少ウンザリ……。印象に 残ったのはゴヤくらいか。エル・グレコを観てもあまり心は動かなかった。美術館を出て市内を歩き回る。

ライオンの中庭 4月18日 曇り、時々晴れ間、時々小雨。
     スペインの列車は時間通り動かないから注意!と旅行案内書に出ていたが、昨夜10時15分(定刻)にアトーチャ駅を発車した列車は 翌朝(今朝の)7時55分、丁度定刻にグラナダ駅に到着。乗客は少なく、8人入りのコンパートメントを一人で独占。多少不安な感じがしない ではなかったが、それでも遠慮気兼ねなく横になれたので少し眠ることが出来た。
 昨夜アトーチャ駅の列車内で発車を待っていた時、学生風の男が一人突然入ってきて、アルメリアまでの帰りの切符を買う金がない、100ペスタ くれと少し強い調子―、突っぱねてもよかったのだが、ポケットに入っていた25ペスタを2枚やる。あまりいい気分ではなかった。[1ペスタ=2円35銭]
 グラナダ駅を出る。8時過ぎではまだインフォメイションは開いていない。今日は日曜なので閉まっているのかも知れない。一つ星のホスタルに 飛び込む。素泊まりで360ペスタとは安い。しかし部屋に入ってみると、やはり値段相応の部屋であることが判る。屋根裏部屋みたいな小さな窓、 しかも建物内の階段に向いているのだから日中でも薄暗い。寝るだけだから、まあいいか……。しかし机がないと不便だ。ベッドの頭側の壁板が 一枚はずせたので、それを洗面台の上にのせインスタント机を組み立てる。それ程悪くない。アルハンブラ宮殿を見学し、3時過ぎに丘を下り、 昼食を終え、部屋に帰り、今これを書いている。
モザイク模様  アルハンブラ宮殿のライオンの中庭は写真や絵葉書で見るほど広くはない。それにカラー写真ほど色彩が鮮やかでもない。しかし、柱や壁や 天井にまで彫ってあるモザイク模様は、直接現場で目の当たりにした者には、素晴らしく感動的であった。
 時々小雨がぱらついたりしたが、 ひどくはなく、それもすぐに止み、太陽が顔を覗かせたりもした。丘を下りた時、また少し降り出した。今はもう止んでいるだろうか…。午後5時40分。
 6時頃部屋を出て、9時頃まで市内をぶらつく。市街の雑踏を見る限り、とこの都市も変わらない。ここがグラナダであることを忘れて歩いていた。 街の中心の広い通りを歩いている限り、観光化され都会化しているのだから、そう感じるのも無理はないだろう。しかしちょっと横道にそれると、 古い家並みの中に紛れ込み、何処からか盗賊の一団がにょっきり出てきそうな不安を覚えるのは、見知らぬ不慣れな土地を一人で歩いている為だろうか……。 街角に座り込んでいたジプシーの少年二人が、カフェでコーヒを飲んでいるとやって来て、備え付けの賭博機をガチャガチャやりだした。瞬く間に やられて、さっと飛び出して行った。ジプシーも観光の恩恵を受け、その精神は堕落してしまったのではないか!。カフェの中まで入ってきて、 ねだられると厭な気分だ。しつっこく物をねだる、その心とジプシー精神とは全く異なるのではないのか。他人からの施しは有り難く受け取るが、 しかしそれをしつっこくねだったりは決してしない!。そこに流浪の民の哀れさ、厳しさ、切なさの混交した、それでいて何かあるリズム となって人の心に訴えかけてくるものが生まれるのではないのか!……等と自分勝手に思ってみたりする。

宮殿よりサクロモンテの丘を望む 4月19日 晴れ後曇り、時々小雨。
 今日は違うルートからアルハンブラ宮殿に登る。午後3時から5時までベンチに腰をかけ、サクラモントの丘の方を眺めながらぼんやりと 時を過ごす。かなり強い日差しを浴びながら…。その後の1時間は読書をして過ごす。ぼんやりと座っていた時、二組の団体がやって来た。 僕のすぐ傍でガイドが説明を始めた。初めのガイドはフランス語で。この人はかなり詳しく歴史を語っていたようだ。後のガイドは英語であった。 僕に「美しいですか」と日本語で訊いてきた。直射日光は強く、凝っとしていると頭のてっぺんが非常に暑く感じられた。
 その後、山を下り、街中をぶらつく。リンゴを囓りながら…。夜の8時頃観たスペイン映画はグラナダの町を背景にした映画──軽いタッチ の男女の恋愛劇が軽快な歌声とともに流れるように進行して行く……。マノロ・エスコバールという歌手が主人公で、彼の歌声に魅了される。 映画を通してではあるが、真夏のグラナダを見ることができ、今宵、一人ながらも楽しい夜であった。
 そうそう、昼時のこと、カテドラルへ行く角で、ジプシーの婦人に薔薇をポケットに差し込まれ、買わざるを得ない格好になってしまった。 30ペスタ渡すと、それ以上要求してこなかった。それから何か言うので聴いていると、僕の手の平を広げてどうも手相を見ているようであった。 何を言っているのか全く解らない。そのうち金を要求してきたので、逃げ出した。すぐにあきらめたようで追っては来なかった。胸のポケットに 薔薇を差したままにしていたが、昼食の時、パン籠の中に入れて、そのままにしておいた。
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4月20日 快晴。
 二つ星のホテルに泊まることにする。昨日までのホスタルとは雲泥の差だ。部屋代はぐんと高くなるが、予想していたようにフラメンコを 予約することができた。Sさんが言っていたように、大きなホテルではホテルからバスを出して連れて行くようだ。
 アルハンブラの城下から宮殿をスケッチする。まずまずの出来としておこう。その後、一昨日のレストランで昼食をとり、グラナダ駅の方へ 歩いて行く。暑い直射日光を浴びて疲れてしまった。人混みの中を歩いたところで別段どうということはない。ただ気づいたことはグラナダの 町の路地は非常に狭く、それだけ一層ごたごたしている感じ。この町だけでなく、マドリッドでも黒人の姿を一度も見かけなかった。 パリとスペインの違いだ。町のレコード店に入ってマノロ・エスコバールのカセットを買う。
 まだ時間はたっぷりあるので、宮殿に登る。5時40分〜8時。下りてくる時、「裁きの門」と名が付いている城門をスケッチする。まだ 輪郭だけだが、これは明日完成させることにする。10時15分にフラメンコを観に出発する。あと1時間と少しある。
「パリ発・不法逗留便り」より抜粋
 グラナダ三夜のうち一夜は高級ホテル(宿泊料は安宿の約4倍)に泊まったのは、フラメンコショーを観るにはホテルで予約をすればよい と聞いていたからです。夜、送迎のバスが各ホテルを廻って客を乗せ、サクロモンテの丘にある簡素な劇場へ連れて行ってくれました。
 八畳位の舞台が突き出ていて、観客は三方から観られるようになっています。踊り手は女性四名に男性一名、ギター弾きが一名、男性の 歌い手(かけ声をかけたり、手を打ち鳴らしたりもします)が二名。最初全員が舞台へ登場し、五名の踊り手が一人づつ各人各様の短い踊りを 披露し、それが終わると五名が入り乱れて踊りながら退場します。その後は一名づつ、あるいは男性と一緒に踊ることもあります。
 ギター音が鳴り止んだ一瞬の合間を捉えて、歌い手が振り絞るような深い声を張りあげると、踊り手が舞台に登場してきます。男性の張り上げる声は 日本の民謡にもあるような、何処か天空に木霊して行くような透明で哀調を帯びた響きがあります。何かある悲しみを打ち消すかのように 踊り手はリズミカルに足を踏み鳴らす。或る時は両手に持ったカスタネットを打ち鳴らし、また或る時は指音を巧みに響かせながら踊ります。 手や指の柔らかで官能的な動き。……天空の一点を凝視するように神妙な表情で踊る人。……大地を見つめてじっと何かに堪えているよう な表情をして踊る人。……腰をくねらし、スカートを振り上げ震わせながら陽気に踊る人。ギター音が一段と強くなり、打ち鳴らす手の音も 次第に大きくなって行くのに合わせて、踊り手は重心をやや落とすような格好を取り、激しく足音をたてたかと思うやいなや、サッと身を 反り上げ、キッと動きを止める!……「オーレッ!」─割れんばかりの拍手喝采。
 途中から学生の団体が入って来て、その拍手や歓声は一段と大きくなり、場内は俄然熱気を帯びてきました。が、学生達の歓声はあまりにも 大きく、調子を乱すものだとギター弾きからたしなめられる一幕もありました。「フラメンコはロック調の音楽ではない、もっと静かに聴いて 欲しい」と彼は言っているように僕には想われました。