4月4日(日) 快晴。Chaud.
       洗濯。アラブ学食で昼食。スケッチしようと思いセーヌ河の中州、白鳥の遊歩道を散策。 特に描いてみたいと思う景色はなく、部屋に戻り窓外の建物の屋根をスケッチして過ごす。
 アラブ学食で夕食。昨夕食事を終え帰宅すると、K君が2時40分に来てくれたらしく、メモが挟んであった。 それによるとコロンビア青年が参加出来なくなり、集合の時刻は8時40分に変更になったとのこと。
 食後ノートルダム周辺を散歩して帰る。何となく旅行者のような感覚に捕らわれていたようだ。昨年の 4月も、夜はよくあの辺りをうろついたものだ。この前まで働いていたことがまるで夢の様に思われてくる。 復活祭休暇で観光客の何と多いこと!
 明日は7時半に起床だ。早く床に就くことにしよう。

   4月5日(月) 晴。
       S君は仕事で来られなくなり、K君と二人でオンフルール目指して旅立つ。久し振りのパリ脱出。 昨年はシャルトルへ行ったが、ルアンはシャルトルと違ってセーヌ河に沿ってできた都市。またル・アーブルは セーヌ終端の港町。パリを離れても民家が見えなくなることはなかった。シャルトルの方向の田園風景とは 少し違ったものを感じた。ルアンは列車の窓から眺める限り、カテドラル等の古い建築群と工場の建物とが 混在して、一種異様な印象を受けた。古い建物の都市というイメージを持って訪れる人は期待を少し裏切られる のではないか。
 パリ発9時15分。ル・アーブル着11時15分。駅を出て浜辺まで歩く。浜は遠浅。丸い石の上に座って しばし安らぐ。ル・アーブル駅近くのカフェで軽食。そこはパリ競馬の馬券売場でもあり、中継放送のテレビが 4,5台設置されてあった。2時前に人がたくさん入ってきた。2時のバスでオンフルールに向かう。3時着。 ホテル、夕食朝食付きで100フラン。

4月6日(火) 晴れたり曇ったり、時々雨。
       Honfleurは小さくて可憐で、そして古い建物の町だ。昔漁村であった名残は、現在観光化されている こともあってか、あまり感じられない。木枠の壁の家屋が多くあり、シェイクスピア時代の農家の建て方と よく似ている。その家並みには非常な親近感を覚える。町には教会が三つくらいあったか。丘の上にある教会は 漁師の魂を弔うために建てられたような感じであった。船の模型がたくさん飾られてあった。また街中にある 一つはすべて木材で造られた、一風変わった建て方の教会であった。
 夕刻、デッサンを終えホテルへの帰路、小学生の男の子をデッサンする。他人をデッサンするのは初めての 経験。K君は顔だけ上手に描いたが、僕は上半身。日付を入れて与える。ホテルに着くと、先程男の子と一緒に いた女の子が二人、描いてくれとやって来た。我が腕前を恥じて、今回は差し控えることにした。K君が描いて やると、嬉しそうに顔をほころばして帰って行った。
 ノルマンディーの酒、カルバドスを飲む。とは言っても非常に強い酒……ほんの少量。
 ホテル(昼食夕食朝食込み)95フラン。
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4月7日(水) 曇。
       朝8時50分の発のバスで Le Havre へ。10時3分発の列車で Rouen 着は11時過ぎ。
 ジャンヌ・ダルクが閉じ込められていた櫓や、ノートル・ダム大聖堂、大時計塔、旧市場跡に1979年 新しく建てられた近代的な教会サン・ヴァンサン聖堂や美術館を見学。美術館ではマネの絵画(特にパリの 近代美術館にあるのと同じノートルダム寺院を描いたのや小川を描いたもの)に感動する。
 ルアン駅前のカフェでK君が僕の髭面のポートレイトを描いてくれる。多謝。
 19時50分発の列車で帰る。その車中、K君は斜め前に座っている17、8歳の優しそうな表情をした Mademoiselle の横顔を描き出した。パリに着き列車を降りる時それを与えると、内気な性格の娘さんらしく、 言葉が少なかったが表情は嬉しそうであった。無償の行為ほど美しいものはない。描いている時のK君の眼には 高貴な輝きがあった。
 パリに着いて、K君は都会人の疲れた表情を指摘した。成程、確かにオンフルールやルアンで見た人々の 表情とは異なっていた。彼の高揚した精神が無感動な人々の表情に取り分け敏感に反応したのであろう。 地下鉄 Rambuteau のすぐ近くの安いセルフで食事をして、下宿に着く。思い出に残る楽しい小旅行であった。