パリ在住中は学生食堂に大変お世話になりました。これで食費がどれだけ軽減されたことか!。金に余裕のない者にとって、味は二の次、
不平はあまり持ちませんでした。と云っても私の場合、夜は日本料理店で働いており、毎日日本食を口にしていたからかも知れませんが・・。
今思い起こしても私がお世話になった学生食堂は10箇所位ありましたか・・。そこは知り合いと情報を交換する場所でもありました。
4月2日 曇り。
学生食堂は昨日O君が教えてくれた。一階玄関を入った所で十枚綴りのチケットを50フランで買い、その一枚を渡すと約250円で
腹一杯食べることができる。骨付き豚肉、ジャガイモと菜っ葉を煮込んだもの、オレンジ(夏みかんの大きさの半分、上に砂糖が振りかけられてある)
それにビスケット。パンは好きなだけ食べてよい。これで腹はふくれるが味はよくない。しかし、僕はある種の感動をもってみんな平らげてしまった。
僕が席についてしばらくして、斜め前の席に女子学生が座った。彼女は自分のオレンジを真っ先に食べ終えると、前の黒人の学生が食べないと見るや
貰っていいかと断って、テーブルに誰かが残してあったのと二つ紙に包んで鞄の中に仕舞い込んだ。そして、僕の二倍の速さで食べ終えると、足早に
出て行った。フランスの学生は貧しい生活を両親からも社会からも強いられている、と何かの本で読んだことがある。不味いなあ・・と思いながら
食べているときに、彼女のそうした姿を目の当たりにして、僕は深い感動を覚えたのだ。
日本の学生はどうだろうか。裕福な家庭であっても、子供には敢えてつつましい学生生活を送らせる親がいるだろうか。社会もこのような
施設を豊富に提供するが、決して甘やかしたりはしない。学生はハングリー、アングリーとなり、社会に対する健全な批判の眼を養うことができる。
ここでは学生はほとんど同じように貧しくつつましやかな生活を送っているのだ。このような社会体系では、日本のような、言葉にするにも厭になる
ほどの腐敗は起こり得ない。腐敗を進行させる力より、それを批判する力のほうが常に勝っているのだ。日本は近代国家の一員であると堂々と
言えるのだろうか。近代の行き詰まりがとやかく議論されている昨今、日本がそうした議論に加わる資格がはたして有りや否や―。
4月3日 曇天。午後よりぼんやりと太陽が見える。
学生食堂で昼食。その後、モンパルナス界隈を歩く。モンパルナス大通りの終点、デュロック駅まで行って引き返す。サン・ミッシェル
大通りと比べて、学生の街に対して市民の街といった感じ―。モンパルナス駅に入ってみる。ロンドンの駅より明るい。近代的である。パリの他の
駅はどうだろうか・・。
歩いてばっかりで、足の裏が左右共に疼く。3時半にホテルに戻る。
5時半頃に出て、サン・ミッシェルへ。封筒、便箋、絵葉書などを買う。店員に買いたい物を手渡すと、領収明細書のようなものをくれる。
これを持って店内にあるレジへ行き、お金を支払うと領収の印を押してくれる。これを店員に見せて品物を受け取る、という仕組みになっている。
最初これが解らず、少し当惑してしまった。
交差点の角に公衆トイレがあった。地下に降りて行く。小用をたして出てくると、小皿が置いてあるのに気づく。見るとサンチーム硬貨が
二三枚入っている。ポケットに手を入れると10サンチームが一枚出てきた。それを入れると、大の方への角に立っていた婦人がメルシと言った。
この位でいいのだろうか・・。大の方には何か書いてあって、1Fとあったように思う。
7時半頃、部屋に帰ってくる。足の豆が潰れそうな状態。痛い。