リュクサンブール庭園


5月6日 晴れ。

    日本へ出立する日程が決まったことで、やはり気持ちは非常に感じ易くなっているのだろうか。マビヨンの学生食堂で昼食を 済まし、アリアンスへ向かう。サン・プラシッド駅で降り、歩いて行くと向こうからモンテス先生がやって来る。久し振りだ。握手を交わす。
 ──もうすぐ日本へ帰ります。
 ──何時?
 ──28日です。
 ──28日、そうですか……。日本と云うと東京?
 ──いえ、僕は大阪です。
 ──大阪には私の友達がいます。
 ──本当ですか!
 ──大阪は東京に次ぐ大都会ですね。
 ──ええ、京都の近くです。
 ──ところでアリアンスでは何処まで進みましたか?
 ──リーブルLの6課までです。
 ──書物や新聞雑誌など、たくさん読んでいますか?
 ──まあ。少しです。
 ──昨年の5月、君は熱心に勉強していましたよ。
 仏語習得の難しさについて話してみたい気持ちが起こったが、すぐには言葉にならない。それよりも先生の顔を窺うと、先生は昨年の 5月のクラスのことを思い起こしているように感ぜられた。先生に指名され僕が黒板へ出ていった。指示に従って人の顔を描いていた時、 描かんでもよい涙を目から滴らせたら、クラスのみんなから好評を得た。……急に心の奥底から湧き起こってくる感情の波に飲み込まれ そうになった。
──日本へ帰っても続けていくのだね?
──はい。
……(先生が教えてくれたあのシャンソン、憶えていますよ。フランスへ来るまでは1ヶ月位一人で仏語の文法を読んだだけでした。 それ以前に勉強したことはありませんでした。ですから先生が僕のフランス語の最初の先生です。大変楽しく勉強できたことに感謝しています)……
 このようなことを先生に言いたかったのだが、僕の会話能力の低さもあり、何処からともなくこみ上げてくるものもあり、言葉にはならなかった。
──オゥヴァ・ムッシュウ・モンテス

「パリ発・不法逗留便り」より抜粋
 5日、16日付けの手紙二通、有り難うございます。
 パリ最後の所謂<優雅>な生活もいよいよその幕が閉じられようとしています。帰国のことは、そう決心した以上苦痛でも喜びでもなく、 避けて通ることの出来ないもの、と冷静に受け止めていましたが、毎日が日曜日で、読書ばかりの単調な日が続くと、日本のあの喧噪とした 落ち着きのない生活も懐かしく思われる瞬間が幾度かありました。朝、目が覚めて小説を読み、気分転換に公園に出かけてベンチに腰かけて読む。 学食で食事をし、そこで知り合いに遭えばカフェで話しをする。これが毎日の生活の基本パターンでした。
 一緒に話しをする相手は僕より10歳も若い連中が主で、オンフルールへ共に旅をした画学生のK君や彼の友達です。彼等は今青春の 真っ只中、夢あり恋あり悩みあり、精神を鍛える道場でみんな真剣です。彼等に誘われてボザール(美術学校)でデッサンをしたこともありました。 モデルが20分位しか同じポーズを取ってくれないので、石膏デッサンで基礎力を培っていない僕には難しく、うまく描けませんでした。
 K君からベルギー方面へ2,3日の旅行の話しを持ちかけられていた時、5日付けの先生の手紙が届き、アルト・ハイデルベルクのことが 語られていたので、ハイデルベルクへ行こう!と提案しました。賛成してくれた様子だったのに、翌日になって前言を取り消すと言ってきました。 気が変わったようです。旅行にあれだけ乗り気だったのに…。ともあれ、ドイツ行きを決心させてくれたのは彼、僕は一人で出かけるつもりでいました。 が、計画を立てようとした矢先、あいにく風邪をひいてしまい、微熱が4、5日続き、16日のパリマラソンも見に行けず、部屋に引きこもっているうちに その気が薄れていってしまいました。残念至極です。
 明日28日のパリ発は変わりませんが、ロンドン発を7日に変更、大阪着は6月8日(火)午後5時の予定となりました。資金が持たないだろうと 判断したからです。帰国後は零からの再出発です。
 今日、パリ最後の夜は大家さんが食事に招待してくれました。バラの花束を持って、7時40分頃玄関のベルを押しました。スランさんの 甥も食事に招かれていました。彼はエアフランスに勤めていて、今回社内から選ばれて大学で商業の勉強をすることになっているのだそうです。 彼のお姉さんがこの日曜日に結婚するので、明日彼と一緒にスランさんの子供達は先に彼の実家へ向かうとのことです。24歳の長女は 仕事で家にいず、23歳の長男は僕が暇を告げる少し前10時過ぎに帰宅、19歳の次男は現在大学入学資格試験の勉強中とのこと。 長女は既婚者とばかり思っていましたが、そうではなく保母さんの仕事をしているのだそうです。今月の1日、彼女から鈴蘭の花束を もらいました。フランスではこの日に鈴蘭の花を友達に贈り相手の幸せを願う習慣があるのです、と説明してくれました。食事に招待 されるのは初めての経験なので、最初は多少不安で少し緊張していましたが、徐々に打ち解け、くつろいだ気分で本当に楽しい時を過ごす ことが出来ました。別れる時、<人生足別離>という思い、しきりでした。
 明朝8時過ぎに家を出、11時30分発の飛行機に乗ります。先生にお目にかかれる日を楽しみに、パリ発最後の手紙のペンを置きます。 (5月27日夜)