「パリ発・不法逗留便り」より抜粋
お手紙二通、有り難うございます。
仕事は今月いっぱいで辞めたい旨を店主に話しました。了解して貰えたようです。来月のバカンスが待ち遠しいです。
現在パリ大学歯科部通い。前歯抜けで、人目をはばかる生活はあと一週間程辛抱しなければなりません。一時しのぎの安い入れ歯を
作ってもらっています。
こちらはもう既に春! 復活祭を前にして雲の勢い盛んです。イギリスと違って、こちらは断然青空が優勢です。リュクサンブール
庭園のマロニエの葉の蕾が膨らみ、風に揺れ、その先端から光が飛び跳ねています。短距離走者達のスタートラインの緊張感が伝わって
来る感じ!―春はまさに飛び出しそうです。風の冷たさもやわらぎ、ベンチに腰掛ける人の数も日増しに多くなってきているようです。
一昨夜、屋根裏部屋の窓を開け放ち、ビスケットにチーズをはさみ、コーヒを飲む。春宵一刻価千金ですね。
(3月11日)
3月29日 薄曇り、夕刻より小雨。
店は今夜も大入り。しかし僕の後任の人が今日から来ているので、オーダーはNさんと二人で何とかこなすことが出来た。店主は何故か
不機嫌な表情。
店を出るとO君が待っていた。今日スイスから戻ったと言う。この前会った翌日会社から電話があり、ナイジェリア行き(バウチという町)
は4月2日に早まった、それでM君が帰国した同じ日にすぐスイスのお兄さんの家に行って、今日帰って来たとのこと。ヴィザが以外に早くおりたらしい。
3月30日
やっと仕事が終わった! 店のことについてはもう何も言うまい。鯖のタタキを作って夕食の膳を少しは豪華にしてくれたのはNさんの
気持ちと解釈したい。彼は普段とは少し調子が違っていたが……。それに膳にはチョコレイトがあった。マダムが持って来てくれたらしい。多謝。
O君と会う。サン・トノレの彼の会社の事務所に泊まる。4時頃まで話す。女性のこと、彼の家庭のこと、将来のこと云々と毎回同じ話題の繰り返しだが、
内容が深まってきている。彼はずいぶん変わった。勿論積極的な意味において。彼のナイジェリアに関する話しを聴いていると、大変な所へ行くのだなと
心配になってくるが、彼の幸運を祈るしかない。砂漠のど真ん中に飲料水をくみ出す設備を作り上げる。彼はその工事に従事する人達の
まかないの仕事をする。勇気のいることだ。幸運を祈る!
4月2日 曇り。
朝11時に彼の会社の社長の車で三井物産の社員も一緒にシャルル・ド・ゴール空港へ。すぐに荷物の手続きを終えると、彼は煙草を
一本吸い終わらないうちに立ち去って行った。あわただしい別れの握手であった。時間があれば変に情が重く溜まるものだ。風と共に去って行く
感じのほうがいい。次に彼と握手を交わすまで恐らく1年以上あるだろう。6ヶ月後に一度パリに帰ってくるらしいが、その時僕はイギリスにまだ
いるか、或いは日本に帰国しているかのどちらかだろう。
O君はナイジェリアの空港の税関をうまく通過出来ただろうか。ラゴスで一泊して明朝バウチへ飛ぶと言っていた。君の今の勇気を持続して頑張ってくれ!