まず、パリ市内の地図があればご用意下さい。これから述べる文は私の「パリ日誌」からの引用が主な
ので堅苦しいかと思いますが、その点ご容赦下さい。それでは私と一緒に市内を散策しましょう!
4月5日 曇天、風が冷たい。
学生食堂は混んでいたので入らずに、ブルス広場にある年中無休と旅行ガイドに書かれてあった
郵便局へ行くことにした。地下鉄に乗るのは二度目。一人で乗るのが今日が最初。シャトレ・レ・アルで乗
り換えたが、非常に複雑だ。しかしはっきりと案内表示がされてあるので、路線図を見れば間違うことはな
い。路線図を片手に案内表示を見ながら歩いて行く。初心者にとっては少し複雑な道筋を辿ってゆかなけれ
ばならない圧迫感もあったが、歩いて行くにつれ何か数学の方程式を解くときの手続きに似たような感じが
してきて、必ず解に到達できる安心感があった。ようやくブルス駅に着き、地上に出ると郵便局はすぐに見
つかったが、閉まっていた。今日は日曜日。ガイドには無休と書いてあったのだが・・・。
パレ・ロワイヤル、コメディ・フランセーズのそばを通り、ルーブル美術館に入る。モナリザの実物を初
めて観る。友達のO君は大変感動したらしいが、僕はそれほど大きな感動に捉えられることはなかったが、
モナ・リザの右手が実にふくよかで魅力的だと思った。その頃には疲れを感じ、足も痛みだしていた。昼食
をとっていなかったのでかなり空腹感を覚えていた。セーヌ河を渡り、サン・ミッシェルに辿り着くや、サ
ンドイッチを買い腹を充たした。その後ノートルダム寺院へ。やはり絵葉書にあるように、左岸からの眺め
が一番よい。実に素晴らしい、繊細な建築物。いつまで見ていても飽きない光景だ。
パンテオンにはルソーの像が立っていた。サン・ジャック通りを通って帰る。
夜、中島みゆきのカセットをかけていると、隣室32号の宿泊客が入ってくる。日本の歌声に非常な懐か
しさを覚え、じっとしていられずついノックしたのだと言う。商学部二回生の学生で、一ヶ月ほどヨーロッ
パ各地を旅行してきて、9日にヒースロー空港から帰国する予定らしい。気軽に海外にやって来る学生が
年々多くなってきているのだろう。因みに隣室の宿泊料は36フランとか。
<4月18日夜七時半頃、中島みゆきのカセットをかけていると、隣の部屋の宿泊客が入ってくる。前にも
同様の状況で部屋をノックされた。北海道の医科大を今春卒業した人で、医局に入る前の時間を利用して旅
行。ドイツに7日間、昨日パリに。明日ド・ゴール空港より帰国。友人O君も誘い三人で「東風」で食事。
彼はO君より一つ年下。なかなか落ち着いた、感じのいい青年。医師としての雰囲気はもう充分に備わって
いる。来月の16日に国家試験の発表があるとか。初めての海外旅行で1週間も日本人と話をしないでいる
と、やはり人恋しくなってくるそうだ。彼の前途を祝して三人で乾杯!・・・二度あることは三度とか。彼
女は今後どのような日本人を僕に引き合わせてくれるだろうか・・・>
4月6日 晴れ時々曇り。
モンパルナス大通りからアンバリッドへ向かい、セーヌ左岸沿いに歩いて行き、エッフェル塔に登る。一階は
閉鎖されていた。二階へ。エレヴェータは利用(16フラン)せずに、6フランの入塔料を払い歩いて登る。
二階に近づくにつれて頭がフラフラしだした。最初に視界に飛び込んできたのは、シャイヨ宮からブローニュの森の
一端をかすめ、その向こうに近代的なビルが林立する光景だ。素晴らしい!。しばらくじっと魅入っていた。
眼を転じてモンマルトルの丘を眺望する。雲が動いてサクレ・クール聖堂に太陽光線が当たると、パッと聖堂全体が
輝き始め、白い大きな花が開いたような鮮やかさであった。雲一つない晴天の日なら、もっと遠くの方まで見渡せるだろう。
トイレで小用をたす。サンチーム硬貨や1フラン硬貨などが入れられてある小皿に使用料として1フラン置いて出る。
何気なく振り返って見ると、出口に立っていた婦人がさっと溜まった硬貨をしまい込み、1フラン硬貨だけを二三枚
残して何食わぬ顔をしていた。
シャイヨ宮からクレベル大通りを通り凱旋門へ。シャン・ゼリゼ通りに沿いルーブル宮へ直進。シテ島の西端ポン・ヌフ
広場を抜ける頃から疲れを覚え始める。サン・ジェルマン・デ・プレ界隈を素通りして帰って来る。リュクサンブール
庭園に入る手前にオデオン座があった。
4月13日 朝方、雨。正午前より晴れる。歩くと汗が滲む。
セーヌ河左岸沿いのノートルダム寺院を目前にするごく小さな公園のベンチに座ってサンドイッチを食べていると、
50歳位の白人の女性がそばに座り、何か話しかけてくる。日本から来たのかと言っているようである。身なりは薄汚い。
話せないんだと言って、無視して食べていると、フリッツと言ったようだ。そしてしばらくして公園を出て行った。
両足がまるで棒のようで、見るからに痛々しい。何だか複雑な気持ちになる。フリッツが欲しかったのかも知れない。
恐らくそうだろう。あのような乞食同然の人がまだいるんだ・・。
ポンピドー・センター へ。各国からの観光客で一杯。広場には観光客相手に似顔絵を描く者、音楽演奏をする
若い男性グループ、大きな人の輪ができている所では口に油を入れ一瞬パッと火を吹き出して見せている・・・、
ここは大道芸人や芸術家の卵達が観光客を相手に生活費を稼ぐ場所でもあるのだ。その時は霧が立ちこめていて、
エッフェル塔は見えず、サクレ・クール聖堂は白くぼんやりと霞んでいた。
サン・ドニ門まで歩く。サン・ドニ通りと交差する小さな通りには売春婦が真っ昼間から道行く人に流し目を送っている。
この界隈は場末といった感が強くごみごみした所だ。黒人や東洋系の人が多く、人相の良いとは思われない男達も多く
見受けられる。足がかなり疲れていたのでメトロを利用して帰りを急いだ。4時帰宅。
8時頃部屋を出て、O君の友達のM君が働いている「京子」で夕食。M君の友達が二三人いて紹介されるが、話の糸口が
見つからず彼等と言葉を交わすことは殆どなかった。夕食後の散歩にノートル・ダムへ。観光客が大勢たむろし、賑わっている。
若者はグループになってギターを弾き歌っている。セーヌの橋下の河岸では黒人が中心になり太鼓を敲きマンボを踊っている。
丁度その時照明灯を明るく照らしながら遊覧船がやってきた。ノートル・ダム寺院が遊覧船のライトで一層明るく照らし出され、
橋の上の人々と船上の人々が互いに手を大きく振り交わす。何か祭りのような雰囲気が一瞬醸し出され心が浮き立つ思いだ。
が、それも束の間、船が行ってしまうと、その喧噪も止み、後に何故か寂しい余韻が残った。そばにいたフランス人の青年が
マンボ踊りの者達を指して、僕に何か尋ねているようだ。申し訳ないがまだフランス語が解らないんだと言うと、その青年は
いいんだと言うように手を振って去って行った。
4月8日 目が覚めた頃出ていた太陽が間もなく雲間に消え、以後一日中顔を見せないおぼろ天気。
今日はバスチーユ。広場の中央には革命記念塔。デモ隊が通る。何の為のデモかは分からない。その間約10分、
車は通行止め。オーステルリッツ橋を渡り、植物園を通り抜け、帰って来る。6時。
あと、サン・マルタン運河とサクレ・クール聖堂を見たい。しかしパリ見学はこれからゆっくりやればよい。
もう大方のパリ市の概略は頭に入ったようだ。こらからは勉学と生活のことを考えないといけない。