これは私の高校の後輩に宛てた手紙です。当初彼は渡仏の気持ちは大いに持っていたようですが、何か事情があったのでしょう、
ついにやっては来ませんでした。
お便り有り難う。
この地に足を踏み入れてもうそろそろ4週間が経過しようとしている現在、出国当初思い描いていた生活(働きながら学ぶ)の半分を
既に体験しつつあります。2,3ヶ月の間にけりを付けようと思っていた懸案事項三件が、2週間を経過した時点で幸運にも落着し、
これから何年続くか判らないが、その生活の基礎固めが終わりました。―それでは詳しく、君の質問に答える方向でペンを進めましょう。
リュクサンブール庭園の近くにあるアリアンス・フォンセーズという語学学校の初級コースの授業を受けて1週間が経過、初級なので
何とかついてゆけそうです。入学金50フラン、授業料は4月分100フラン、5月分400フラン。
残り二件、仕事と安い下宿は同時に解決。「オヴニ」という日本人向け情報誌(月二回発行)に店の広告が出ていた「サクラ」という日本料理店に
試しに電話してみたところ、丁度皿洗いしている学生が4月一杯で辞めることになっていて、幸運にも5月から夜(6時〜11時)働くことが
決まり、同時に店の寮の一室に入ることができました。週1回休みで、月1300フラン。寮費は風呂電気代込みで月400フラン。夏には1ヶ月
休みを取ってよいと言っていましたが、これは経済的に余裕のある者にとっては有り難い話しですが……。夜は店で食事できるから、昼は
学生食堂を利用すれば(一食5フランの安さ)金は溜まらないが何とかやってゆける。
仕事は常に何処かの日本料理店で募集しているから、ボーイ、皿洗い等、厭わなければ何とかなりそうです。労働許可証は持っていなくとも、
経営者の立場からすれば経費が少なくて済むからでしょうか、暗黙裡に問わないところが多いそうです。
問題は安い下宿。これは難しい。1,2ヶ月かかると思っていたほうがよい。僕は今1日32フランのホテル住まいだが、これだと月に1000フラン
(5万円弱)かかる。食費に関しては、学生食堂を利用すれば1日20フラン以内でやれそうだが、それでは空腹を満たすだけのこと。
安レストランで食事をしても最低1食30フランはいる。それで1日平均40フランと計算すると月1200フラン。従って、月2200フランとなる。
現在の為替レートでは、1万円=220〜230フランだから、1ヶ月最低10万円かかると思わなければならない。
滞在許可証を持っている学生は非常に少ないと聞いています。入国時に持っていても更新の手続きが面倒なのでしない者が多く、またそのままでも
別段問題が生じないからなのでしょう。過激派対策の一環として、不審尋問を受けるときがたまたまあるそうだが、パスポートを見せれば何と云うことは
ないとの事。ある日本料理店が一度強制捜索を受け、働いていた学生が国外追放になったことがあると人伝に聞いているが、真偽の程は定かではない。
まあ、その時はその時で、帰国すればいいんだと覚悟を決めていれば、それほど神経質になることはないと思っている。服装に注意し、
細心の注意を払うことにこしたことはないが……。
僕の場合は君の手紙にあるような未練はなかったから、案外すんなりと飛んできたが、君の場合は僕とは状況が違うのだから、僕としては
来いとも来るなとも言えない。君自身の生き方に関わる問題だから、決断は君自身がしないといけないと思う。もし来るのなら、僕に出来ることなら
何でも力になります。
先日カルチェ・ラタンを歩いていたら、ロンサールの石像に出くわしました。フランスの魂とか何とか彫りつけてあったようです。勉強した君と、
一行も読んだことのない僕とでは、その感慨もまた違ったものとなるでしょう。どちらの道を選択するにしろ、後に悔いを残さないように―。 (4月25日)