Poems |
五合庵烏有とは、私の高校時代の英研(English Study Society)の顧問であり、私の恩師である。 大学紛争が起り、校舎が封鎖され授業が出来なくなった頃、長年勤めた工業高校を退職された先生のお宅を頻繁に訪ねたことがあった。その時に頂いた先生の詩を、書き留めてある小さな手帳が見つかった。 手帳に纏めて書いた記憶はあったのだが、何処にしまったのか忘れていた。それが、最近見つかった! 先生は若い頃病弱で、芦屋にあった別荘で療養していたことがあったそうだ。 渚の渚の 秋の月 水に砕けて ただひとり わたしは何故か 泣けてしまう 療養のため1年か2年(?)遅れて一高を受験されたが失敗、都落ちだと四国高知の高等学校に進学されたとのこと。 先生の高知時代のものと想われる詩である。 ユウカリの樹はいとさみし 冬の夜の細き月には 青白き光にぬれぬ ユウカリの樹はいとさみし 丘の上(ヘ)に空をまじえて 三つ星(オリオン)と思いをかわす ひといねて灯影(ホカゲ)はみえぬ 寂寥のむねにとけ入り 冬の夜の風にむかえばー ユウカリの樹はいとさみし その影に眉をあわせて 語りしも夢なればにや 夕べ、風、非情にも枯葉をまきちらし 草の根に、夢さむき土竜(モグラ)の宿を ユウカリの樹に妖しくも縋りたる月を 危ふげに、明滅する星の洋燈(ランプ)を 余燼いまだ消えやらぬ不倫の恋を 忘我の酒、すでにさめたるわれを 大空への虚しき思慕を 大地への切々たるいのちの絆をー。 夕べ、風つよく吹き去らんとす。 恨みはつきず逝く青春の 還らぬ羇旅(タビ)の路すがら 哀感ふかきかたらいは ここ南溟の旅枕 かの白壁に綴りたる 想念(オモイ)深しや城の跡 同じ哀愁(ウレイ)の君ならば 尋(ト)めよ去りにし日のかたみ 唄を歌えば血は湧きて 跳る足並狂ほしく 盞(ツキ)さしかわす朱の頬に 消えなん若き誇りかな 三年の青春は儚(ハカ)なくて いつまたきかん南蛮の 梵鐘(カネ)なりしきる朝夕(アケクレ)を 濡れてほほえむ花吹雪 至高の思想(オモイ) 至純の情 泪さしぐみ相寄りて 秋、蕭々の幾宵(イクヨイ)を 語りし空に星闌干(ランカン) 古城語らずさりながら 須臾(シュユ)の生命(イノチ)に我ありと 大悟の睛(ヒトミ)輝やけど 別離の泪いかにせん 青 春 哀 歌 厳かに、落日(ユウヒ) 往還(ユキカイ)の愁眉と歓笑の上に 均しく やすらいと慈愛を灑(ソソ)ぎ いま、おごそかに暮れなんとす。 川添いの白楊の並樹 緑濃く、水に融(ト)け、雲に翳(カゲ)り 夕風の愛撫に、しづもりつつも 囁(ササ)やくは、歌哀(アワ)れ ペルケオの調べか。 鏡川、清韻の中に、無言の啓示 世々、明暗の推移と多彩の歴史を 無心に流れて竭(ヤ)まず ひと、おのがじし、思念(オモイ)もこもごも すでに、啼鳥帰林 暮れのこる余光、わずかに赤し。 落日の静謐(ヒツ)のうちに 漫(ソゾ)ろゆく若人(ワコウド)ら 沈潜の山河の姿、その心とするも 蓬髪破帽の胸裡深く もゆる情念の炎(ホムラ)やいかに― ふと、誰か謳う「春の光の……」 感に堪えかねてや 期せずして、「搖(ユ)らめきて…」の熱っぽい唱和 その眼潤(ウル)み、その頬(ホホ)痙攣(ヒキツ)け その口撓(シワ)り、声、歌とならず 熱涙に溢(アウ)れ、歔欷(キョキ)となりてつづく。 噫!今宵、追想(オモイデ)のかずかず そを、美酒に泛べて 酔い来り、酔い去る哀惜の情切々― 仰ぎ見れば、南溟の空 いよいよ、深く、碧く 郷愁、唆(ソソ)るわが魂の故郷(フルサト)。 それかあらぬか 濃藍に沈む山脉(ナミ)の彼方より 喘(アエ)ぎつヽ、残照の名残を分けて 谺(コダマ)する奇しき声― 「若き日に、薔薇(バラ)を摘(ツ)めよ」と。 さわれ、紅顔の誇りやいづこ かかる時しも、刻一刻 あヽ、去りゆく「影」 声限り呼べど応えず、ただ空(ムナ)し、詮(セン)なし。 よしや、無心の落日 跫音(アシオト)もひそやかに 惜しみても尚、余りある青春の悲愁をこめてか いま、おごそかに わが想念(オモイ)を杳(ハル)かに、空に映え、地にし映ゆるも……。 退職後烏有先生は、若い頃書き溜めた詩を整理していたようだ。またその当時の心境を、或いは私が訪ねて行った頃の心境を、詩にしていたようで、出来た詩を見せて頂いた。 大正デモクラシーの時代は遠のき、戦争の匂いが濃くなりし頃、親の反対を押し切って、東京へ行き、文学の道を歩もうとされたことがあったそうだ。愛人のYさんが強く後を押してくれた…とかー。しかし、体力に自信のなかった(E・YのEの)先生は東京行きを断念。 ただひとり残されし 徒然に 色褪せて、古びたる書翰(フミ)など ここかしこ そこはかとなく 読み耽りぬ。 蠹魚(シミ)の食い歩きし跡など 妖しき文様(アヤ)なせるを かそけくも、移り香のあらばこそ にほいて見ぬ かずかず。 ふと想う 去りにし妻ー 陰雨(イン)しきる 小夜(サヨ)なりき。 假初(カリソメ)の離別(ワカレ)とは思えれど いつか 往来(ユキカイ)の筆も心も杜絶(トダ)えて かたみに思い交(マ)じわるよすがさえ あわれ、にべもなく断(タ)たれて いまは誰人(ナニビト)の配偶者(ツマ)ならん 哀情(アワレ)ましぬ、別れてはー。 去年(コゾ)、見出(ミイ)でし手文筐(テブンコ) まさぐれど俤(オモカゲ)見ず ただ 仄(ホ)のかにぞ思慕の名残か 黄金(キン)色の指環(ユビワ)に、刻みたる E・Yのとり絡(スガ)り、あやに縺(モツ)れたる頭文字(イニシャル) 愛欲の、いまは冷き墓標となりて いみじくも光り 妖(アヤ)しくもうるみぬ。 日本の近代詩の歴史の中で、脚韻を効果的に使った詩はあまり無い(?)のだとか。頭韻の句ならば、《遅日 巷の 塵に行き 命ある句に 苦しみぬ …》と、私の頭の中にも思い浮かんでくるが…。 当時、その試みをした詩人がいたようで、先生は刺激を受けたようで、こんなのが出来たがどうだね、と自信ありげに見せてくれたのが次の詩だ。脚韻は、AABCCBの型となっている。 仄(ホノ)かなる 鐘が鳴る すがしらの夕べの微光(ヒカリ) そらの雲 水も灯も なべてみな神秘によえり 地にし落つ 影やふたつ 星とともに祈る黄昏(カワタレ) あヽ、今宵(コヨイ) 哀(カナ)しき恋 悲喜こめて歌えるは誰 哀愁(ウレイ)あり 可憐の百合 うるみあう情愛の瞳 きみ知るや 慕情の征矢(ソヤ) あわれ、「時」を射抜くかなしみ 鐘はなる 空に、地になる ふかくひそむ無限の静寂(シジマ) 相抱く 一切他なく そのうえに、「神」生(ア)るヽ今ー。 10月に機動隊が入り、授業が再開され、翌年の4月にところてん式に専門課程へ押し上げられた。私は授業には出ず、一人図書館通い。万博が終って9月に退学、理系から文系の方向へ舵を取り直そうとした。その頃先生から見せられたのが次の詩二編。 一つはボードレール風の詩。これは理解が難しかった。しかし今読むと、すごく魅かれる。もう一つは解るような気がした。後に、自分なりの感想文を先生に見せた記憶がある。 E線のふと切れし淋しさ! まさぐれば、仄の蒼き残照、そを斜めにうけて、 薄紫に、やや明る雪花石膏の女像。 乳灰色に裸形の女、口籠り、思い深げに、 その項、心なし細く重りて、憂わしく 歔唏(ススリナ)くとも見るか。 はしなくも暮春(ユクハル)の怨恨(ウラミ)はきわみ、噴上の水 病みほほけ嗄れがちに、梢洩るる風を伴奏に、 盲たるヴヰオロンの悲歌、嘆かえば。 噫!わが眉も、しとどに濡れて妖しくも燻(イ)ぶる 淫女よ、醜女ならまし、あたなれや わが慕情、 しかすがに、何に憧憬れ、わが腕(カイナ) 脱けいでて、今し彷徨いゆくか。 時じくに、空華虚しくも乱れ咲けども、 あな、忍び啼く草のほめきに、狂躁の笛の すさびに、失いしわが唄をかえせよ。 灯は空し、あヽ愚かなる照明、不信よ、不信よ、 ありとしも蒼白の、忌わしき嫉みの 燐光、わが目より怪しく燃え あヽわが唄はわが恋、わが命! 生に倦怠の、 忘我の、しどけなく乱れし「死」の褥に伏して、 地に空に、さ迷う虚しき追慕の情と 散華せよ、わが想念! ひと日、精舎に、白無垢の修道女(メ)の?瑰珠(ロザリオ)の 妙なる諧調に、おん身のあえかなる虚像を 宿すてう珍?(チンタ)の玻璃杯の中に、あるはまた、 黄金色の花蘂の、秘めたる室深くに あな、聴くとみしは絶えざえの わが命の 微(カソ)かなる鼓動か、すでに禁断の美の 陶酔より醒めて、わが命数をかぞえる吐息か、 われとわが身の破壊に恍惚とする、 哀われなる わが傷心の姿か。 戯れに、いま裸形の女、頬赤み、遉(サスガ)に羞じた 不動に、ふと微笑むとこそ思え、その 唇(クチ)にそと触れて、ありとしも幻音きけば E線の嫋(タオヤ)かに、さわれ、すでに色香(イロカ)褪せたるを、 仄かにぞ答う― 《 L'amour est la mort.》(「愛は死なり」と) 鈍空へ 一路、坦々と延びたみち 川を交えて十字を切り 終日 往還の人を見ず 荒廃の丘の上に 朽ちた墓地 ― きょうも 草深い地平を凝視ている わたしは、小石を拾って投げた 遠く、遠くうつろへ 見事な抛物線を描いて…… あヽ それは的礫と 空に答えて 命への我執を嘲る如く わたしの中に いつまでも、谺となって残っている 未来の不確定性にこそ人生があり生命があり、人間が人間として生きようと欲すれば、それを積極的に受容し、敢然と奮い立つ姿こそ、我々の心を捉えては離さないものです。フォイエルバッハは「理性と愛と意志の力とは完全性であり、最高の力であり、人間そのものの絶対的本質であり、人間の現存在の目的である」と云っています。僕達が、勇壮な態度で進んでいく人間に強く心を惹かれるのは、そこに人間の理想の姿、人間の本質を見いだすからに他ならないからだと思います。恐らく彼は深く思惟し、かつ彼の内部では何かに対する心情の力と、それを求めんとする意志の力とが、強靱かつ密接に結び合わさっているのでしょう。いや、心情の力が、意志の力を誘発し、ヽ時には理性を抑えるものなのだという方が、不完全性としての個なる人間の本来の姿をより明確に表わしているのではないでしょうか。 悲しいかな、個なる人間は不完全であり、強靱なる意志を持続させることは至難の業です。人間の魂は孤独に耐えきれなくなり、そんな時、意志力の緊張は弛緩するもの―、そうした精神の隙間から、ふと周囲を見渡せば、自分が現在歩みを進めている道は、小さな小川と十字を切り、古綿を引き延ばしたような空の彼方へ吸い込まれるように、一路坦々と続いている。小川のせせらぎも、小鳥の鳴き声も聞こえてこないし、野辺によく見かける草花も咲いていない。周囲一帯、ただ寂寞として、草が生い茂っているだけである。聞こえて来るものといえば、奇妙に頭の中にのめり込んでくる私の足音だけ。 ふと斜め前方を眺めれば、荒廃した丘の上に朽ちた墓地がポツンと一つ立っている。あれは一体何を凝視めているのだろうか? 全ての夢が崩れ去り、精神的には全く死人同様のこの私―。とすれば、彼の墓地は、現在の私そのものではあるまいか。墓地の中にいる私。でも私は墓地の中にはいない。私は何かを求めている。自らの手で自らの命を絶ち切れないことがそれを証明しているではないか・・・。 私は小石を拾って投げた。それは見事な放物線を描いて飛んでいった。噫、あるがままの美しさ! 即自存在は即自存在の世界の中でこそ、かくも美しくその姿を保持し得るものなのか。しかし私は石ではない。石になりたいとも思わない。石であることの美しさは私の美しさではないのだ。それなのに何故に私は、石が空に描いた放物線の美しさに心を惹かれたのであろうか? それは、私の心の中に、いつまでも谺となって残っている謎なのだ。 烏有先生に添削してもらった詩二編。かなりの添削の手が入っており、原詩とは違ったものとなったような記憶がある。 コスモス 坊やの父ちゃん、どこなの、ね? とうちゃん、会社でお仕事よ 坊やの姉ちゃん、どこなの、ね? ねえちゃん、学校でおべんきょう。 坊やはひとりで日向ぼこ お庭にコスモス咲いてます 蜻蛉に、蝶々に、蜂ぶんぶん ときどき来ますよ、ー青い空。 坊やはひとりでさみしかない? ないない、仲善し、おひい様 立ったり座ったり影法師 坊やはちっとも、さみしかない。 急拍子(テンポ)に 春の近づく跫音(アシオト)ーー 純白の淡雪 黒土に触れ、束の間(マ)に消えてゆく。 そこに、潜在する無限の なにものも阻(ハバ)み切れない力ー 生命の胎動。 そっと顔をのぞかせた青い芽ひとつ あヽその強靭な精力(エネルギー)と 泪ぐましい、自然への和讃、 そして折しも朝の薄日に躍動する 三色の鮮かな諧調! それを拍節するかのように 小鳥のまだ遠慮がちな囀りと 風の健気(ケナゲ)な円舞 長い寒烈の眠りからさめ いま、ようやく 万象、思う存分 天翔ける希望の羽搏きの、かすかな、 が、徐々に振幅をましてゆく 音、音、音、音……………。 ーあヽ 春はもうそこまで来ている。 「コスモス」を添削してもらった頃、先生の若い頃に創った童謡詩二篇と、曲付の詩「ピエロと月」を見せてもらった。 「ピエロと月」は先生が唄ってくれるのを真似て歌うと、そうじゃないと、何回も直された記憶がある。今私の頭の中に残っているメロデーは、多少違っているかも知れない…。 凩(コガラシ) 季節の喇叭(ラッパ)だ いさましく お山をゆさぶり なりひびく 粉雪(コナユキ)の煙幕 はらないか 霰(アラレ)の鉄砲 うたないか 枯れ葉はとびます 十文(モ)字に 夕陽は野末に 吹きとばせ 野をかけ山かけ 冬将軍 らっぱの木枯 なりひびく 夢の木 夢の実のなる木の下で あかあか白日(マヒル)を悲しそう だれか一人で泣いていたよ。 「その子に青い実をやろう」 緑の森の姫さまは 芒(ススキ)の小竪琴(リラ)をかきならす 円舞の曲に仙女達 裳裾(モスソ)もかるく踊ります そこで昔の唄をきき 青い矯人(コビト)がつきならす 釣鐘草の月の夜に 忘れた夢の花を摘む 夢の実のなる木の下で しっとりぬれた草をしき もうひとり誰か泣いていたよ。 「その子に赤い実をやろう」 真珠に紅(アケ)の灯をともし 珊瑚のほばしら高くたて 海の女神のさししめす み空の国へ船出です 星のおじさま、こんにちわ 星のおばさま、こんにちわ 海の向うにあるという 光の国よ、こんにちわ 夢の実のなる木の下は 月にもたれて天使(エンゼル)の しづかに、静かに、夢ばかり。 月に浮かれて来は来たが 何処が道やら、風来坊 それでもピエロは踊ってる 「お月様、よう、今晩は。」 森で梟が呼んでいたよ 仲間外れの拗者(スネモノ)、とね それでもピエロは踊ってる 「お月様、よう、今晩は。」 狸囃子で、化け恍惚女(オボコ) 今夜はそいつも見限った それでもピエロは踊ってる 「お月様、よう、今晩は。」 踊り相手の影法師 時にゃ瞽女(ゴゼ)となり鬼となる それでもピエロは踊ってる 「お月様、よう、今晩は。」 風も依怙地(エコジ)でひと睨み 酸漿(ホオズキ)提燈(チョウチン)を吹き消した それでもピエロは踊ってる 「お月様、よう、今晩は。」 広い世間を狭うして 独り善(ヨ)がりの気随者(キズイモノ) それでもピエロは踊ってる 「お月様、よう、今晩は。」 誰が嗤(ワ)ろうが謗(ソシ)ろうが 世のなきゃ盲人の垣覗き それでもピエロは踊ってる 「お月様、よう、今晩は。」 浮かれついでじゃ、自暴(ヤケ)酒じゃ ここは地獄の一丁目 それでもピエロは踊ってる 「お月様、よう、今晩は。」 洒落気(チャレケ)、自惚(ウヌボレ)、戯け面 そいつで浮世の裏街道 それでもピエロは踊ってる 「お月様、よう、今晩は。」 月が暈(カサ)きた、夜も更けた 伴侶(ツレ)なし、的(アテ)なし、意地もなし それでもピエロは踊ってる 「お月様、よう、今晩は。」 「ピエロと月」 次の一遍は恐らく、烏有先生が文学への道を断念した後に創られた詩であろうと想われる。 そしてその次の詩は、私が理系から文系への道を歩もうとして、モタモタしていた頃、私を励ます意味も込めて、創られた一遍であろうと思う。 春は逝く、ほ・た・ほ・た・と 食卓の椿の花が、侘しくも散り散りゆくよ。 円窓の玻璃は毀れ、喫(ノ)みさしの莨も湿り 吹き慣れたクラリネットも、疲れて鳴らぬ。 廃園の蕁麻(イラクサ)分けて、斑鳩(イカルガ)の今日も来て啼く あわれにも恋の空音に、やるせないわが身を思う。 それでも春はせ・つ・せと逝くよ。 春は逝く、切なく逝くよ えい、ままよ、成るに任せよ、若き日の望みの迷い、 解けもせず結びもせずに、扉を閉じて追い詰めようと、 痩せこけた瞳に映る、幻影と諦めもせで、 ひと知れず泪に暮れて、しどけなく崩れゆくのか。 それでも春はせ・つ・せ・と逝くよ。 春はゆく ゆ・ら・ゆ・ら・と 野面には陽炎もえて、人気なく街道つづき 麦畑に母を亡くして、泣きほほけ孤児のあわれさ。 その声に飛び立つ雲雀、巣立ちする雛を抱えて 迷妄のこの身も乗せて、無心の雲よ、無心に漾う それでも春はせ・つ・せ・と逝くよ。 春はゆく、昨日も今日も 本棚に僅(ワズカ)に残るウヰスキーの瓶(ビン)も空だよ 年旧(フ)りた時計は狂い、朱欒(ザボン)切る小刀(ナイフ)も錆びた 白ばらの花瓶を投げて、「青春」を微塵(ミジン)に摧(クダ)き 裂き捨てた草稿無慙、晩春の夕陽に赤い あの事もこの事もみな、ひとときの醒めた夢だよ。 それでも春はせ・つ・せ・と逝くよ。 ーー(晩春挽歌) ひとありて、「我」を尋いなば、 そを出でて具さに観よと。 そを出でて、虚偽と欺罔(モウ)、 絵空事、不実、不和など なきわれを、うけばるなかに 良き性のなほ多かれと、わが 切々の念願むなしく 堪えがてに刃を向けぬ されば、わが性の迷い多く ひと條の悲願の路に立ち竦(スク)み 情熱の欠如か、意志の脆弱か、つねに 左顧右眄、右か左か 迷妄の穣りなき憧憬に 懊悩荐りなりし青春をかえり見て いまは、路傍に晒したる 生ける死骸か。 この刃、この胸を貫いて せめてもの償いと思うべきや 泣くも喚(ワメ)くも道は一条(ヒトスジ) さわれ、その道の未だ中途(ナカバ)にして 孤影悄然、来たるは迎え去るを送る すでにして、起死回生の情熱の炎 かそかにぞ余燼としてのこり 卑劣にも、便々として わが生の虚しきに耳を掩わんとす。 見よ、嘆き悲しむ わが醜き姿、乞丐にも似て もの乞わしげに、一椀の詩に余生を托して 哀れにも惨めなるを! 進むにも「時」、卻くにも「時」 君、「時」を得て天翔ける不死鳥の 再生また再生 己が屍を焼きその灰の中より飛び立ち 願わくは、いつの日か、顧みて 悔なく、いみじくも よき青春の道標ならましを! 賢しくも古諺に謂わずや 「前者の轍を踏む勿れ」と。 |