2011年3月11日に発生した東日本大震災で大きな被害を受けた、名取市 閖上(ゆりあげ)地区。 名取市復興仮設商店街「閖上さいかい市場」から本格的な再建を目指し、被災事業者、また閖上の新たな挑戦に賛同する事業者と共に立ち上げられたのが「かわまちてらす閖上」。 全国で唯一の河口付近、それも堤防上に造られた商業施設です。 国土交通省の推進する かわまちづくり事業に参画し、閖上の新たな顔、そして魅力となる水辺空間の形成を目指し、テナントに入る約25店舗が閖上の新たな賑わいを元気に生み出しています。 |
中尊寺の法要儀式の多くが行われる根本道場。堂内には日本の天台宗開祖伝教大師最澄が千二百年前に灯した「不滅の法灯」が護持されています。 本尊は平成24年に新たに開眼した釈迦如来坐像。東日本大震災の後、東北に住む人々を慈しみのまなざしで見守る仏像です。 |
天治元年(1124)造立、堂宇全体を金箔で覆い、随所に螺鈿細工・蒔絵などの漆工芸や精緻な彫金を施して、経典に説かれた「皆金色」の極楽浄土を表現しています。 三基の須弥壇の上には、それぞれ本尊である阿弥陀如来、両脇に観音菩薩・勢至菩薩、さらに六体の地蔵菩薩と持国天・増長天がそれを囲み、稀有な仏像構成となっています。 金色堂はまた霊廟でもあり、中央の壇の内部に初代清衡公、向かって左の壇に二代基衡公、右の壇に三代秀衡公のご遺体と四代泰衡公の首級が納められています。 |
鍾乳洞は数億年以前から海底に堆積してできた石灰岩が隆起して海面から顔を出して陸地となった時から雨水の浸食作用により洞穴が形成されます。 鍾乳石は直径10p、長さ1mの物は5万5千年、石筍はその倍の年月を要するといわれています。当龍泉洞の地底湖の美観は世界に例がないといわれています。 |
この水は、石灰岩層を地下水となって流れるため、カルシウム成分を多く含む弱アルカリ性となり、昔からおいしい水、長生きの水として親しまれてきました。 龍泉洞付近には、無数の地底湖があると予想され、この水が湧水となって外部に流出して、水道水や清水川渓流となって町民に親しまれております。 |
浄土ヶ浜は、岩手県宮古市の三陸復興国立公園にある風光明媚な海岸で、国の名勝に指定されています。 波が静かな入り江にある浄土ヶ浜は、約5200万年前の火山岩で入り江が構成されています。 宮沢賢治も1917年7月に訪れています。 |
東日本大震災津波で約7万本といわれる松が消失した名勝「高田松原」、その中で、津波に流されずに耐え抜いた松は「奇跡の一本松」と呼ばれ、
震災で深く傷ついた人びとの心の支えとなり、復興のシンボルとして全国に知れ渡りました。 震災の翌年には枯死状態となりましたが、保存を願う 国内外からの温かい支援によりモニュメントとして保存され、震災の記憶を伝え続けています。 |
陸前高田ユースホステルは、風光明媚な高田松原の中に建っていた宿泊施設で、多くの旅行者に利用されていました。 奇跡の一本松はこのユースホステルのおかげで津波の直撃を免れ、倒れることなく残ったといわれています。 |
こけしの最も古い生産地、鳴子。この地に日本こけし館が誕生したのは、1953年に詩人で童話作家の深沢要さんのコレクションが旧鳴子町に
寄贈されたことと、1957年から毎年、全国の工人たちからこけし祭りへの奉納こけしが贈り続けられたことが、大きなきっかけとなりました。 完成までに七年の歳月を費やし、昭和50年に開館。こけしをこよなく愛する人々の思いと夢が結実しました。 現在工人たちは全国各地に住み、 それぞれの風土に溶け込みながらも、古来からの伝統を厳然と伝承しています。 日本こけし館には、このように広まった伝統こけしを一堂に集め、 受け継がれてきた素朴な東北の心を、多くの方々に伝えたいという願いが込められています。 |
こけしの顔に描かれている模様は「水引手」という様式です。この模様は京都の「御所人形」に発しています。特にお祝い人形として創案されたものです。 この様式を導入したこけしは、幕末期の記録(1862年)には「こふけし」(子受けし)と記されています。健康な成長を願うお祝い人形なのです。 |