2022年11月27日(日)、28日(月)、29日(火)

** ♪東北研修旅行♪ **



=== 11月27日 ===

10:30 伊丹空港
11:40 仙台空港

== レンタカーを借りて、三日間の東北旅行へ、いざ出発! ==

12:40〜13:45 かわまちてらす閖上(ユリアゲ)で昼食

15:40〜16:30 中尊寺

「アートホテル盛岡」にチェックイン後、「湊一や 盛岡大通り店」で宴会




 昼食のため閖上に到着!
かわまちてらす閖上(ユリアゲ)
 2011年3月11日に発生した東日本大震災で大きな被害を受けた、名取市 閖上(ゆりあげ)地区。
 名取市復興仮設商店街「閖上さいかい市場」から本格的な再建を目指し、被災事業者、また閖上の新たな挑戦に賛同する事業者と共に立ち上げられたのが「かわまちてらす閖上」。
 全国で唯一の河口付近、それも堤防上に造られた商業施設です。

 国土交通省の推進する かわまちづくり事業に参画し、閖上の新たな顔、そして魅力となる水辺空間の形成を目指し、テナントに入る約25店舗が閖上の新たな賑わいを元気に生み出しています。


 海方向を望む



 他の店で海鮮膳を食する者あり、牛タン定食を食べる者あり……

 駐車場に車を止め、中尊寺へ向けて、出発!

 中尊寺ご参拝……



 弁慶堂











 
本 堂
 中尊寺の法要儀式の多くが行われる根本道場。堂内には日本の天台宗開祖伝教大師最澄が千二百年前に灯した「不滅の法灯」が護持されています。
 本尊は平成24年に新たに開眼した釈迦如来坐像。東日本大震災の後、東北に住む人々を慈しみのまなざしで見守る仏像です。








 本堂を振り返る

 
金 色 堂
 天治元年(1124)造立、堂宇全体を金箔で覆い、随所に螺鈿細工・蒔絵などの漆工芸や精緻な彫金を施して、経典に説かれた「皆金色」の極楽浄土を表現しています。
 三基の須弥壇の上には、それぞれ本尊である阿弥陀如来、両脇に観音菩薩・勢至菩薩、さらに六体の地蔵菩薩と持国天・増長天がそれを囲み、稀有な仏像構成となっています。
 金色堂はまた霊廟でもあり、中央の壇の内部に初代清衡公、向かって左の壇に二代基衡公、右の壇に三代秀衡公のご遺体と四代泰衡公の首級が納められています。


 金色堂内陣をスマホがチラッと垣間見る


=== 11月28日 ===

8:30 ホテルチェックアウト
9:50〜 トイレ休憩
10:35-11:25 龍泉洞
12:40-13:35 浄土ヶ浜
14:50〜 道の駅 さんりく
15:50-16:15 奇跡の一本松

鳴子温泉「ホテル亀屋」に宿泊

 「道の駅 三田貝分校」でトイレ休憩

 龍泉洞 駐車場

 入場券を購入

 入口







 



 
洞内案内板説明文
 鍾乳洞は数億年以前から海底に堆積してできた石灰岩が隆起して海面から顔を出して陸地となった時から雨水の浸食作用により洞穴が形成されます。
 鍾乳石は直径10p、長さ1mの物は5万5千年、石筍はその倍の年月を要するといわれています。当龍泉洞の地底湖の美観は世界に例がないといわれています。




 守り獅子



 
龍泉洞地底湖の水
 この水は、石灰岩層を地下水となって流れるため、カルシウム成分を多く含む弱アルカリ性となり、昔からおいしい水、長生きの水として親しまれてきました。
 龍泉洞付近には、無数の地底湖があると予想され、この水が湧水となって外部に流出して、水道水や清水川渓流となって町民に親しまれております。


 龍泉洞を出て、川沿い散策路を歩く…







 龍泉洞チケット売り場へ戻ってくる

 駐車場から浄土ヶ浜の岩を望む

 浄土ヶ浜レストハウス

 浄土ヶ浜(1) [右方向へ(2)(3)]

 浄土ヶ浜(2)

 浄土ヶ浜(3)

 海猫が泳いでいる!

昼食後知人がカッパエビセンを買ってくれ、それをやるとたくさんやってきた。
空に向けて投げると上手にキャッチする。
下に落ちた物は地上にいる海猫が食べる……
童心に返って海猫と戯れる姿を、別の知人が動画に撮ってくれていた!

海猫のクチバシ痛し 受く生命力(チカラ)

 
浄 土 ヶ 浜
 浄土ヶ浜は、岩手県宮古市の三陸復興国立公園にある風光明媚な海岸で、国の名勝に指定されています。
 波が静かな入り江にある浄土ヶ浜は、約5200万年前の火山岩で入り江が構成されています。
 宮沢賢治も1917年7月に訪れています。


レストハウス 浜処 うみねこ亭 で昼食を終え…
一本松へ向かう…

 道の駅 さんりく

 同上

 「高田松原津波復興記念公園」に到着
 これから「奇跡の一本松」へ向かう…





 みんなと違う道を歩いて行く…













 
奇 跡 の 一 本 松
 東日本大震災津波で約7万本といわれる松が消失した名勝「高田松原」、その中で、津波に流されずに耐え抜いた松は「奇跡の一本松」と呼ばれ、 震災で深く傷ついた人びとの心の支えとなり、復興のシンボルとして全国に知れ渡りました。
 震災の翌年には枯死状態となりましたが、保存を願う 国内外からの温かい支援によりモニュメントとして保存され、震災の記憶を伝え続けています。


 
陸 前 高 田 ユ ー ス ホ ス テ ル
 陸前高田ユースホステルは、風光明媚な高田松原の中に建っていた宿泊施設で、多くの旅行者に利用されていました。
 奇跡の一本松はこのユースホステルのおかげで津波の直撃を免れ、倒れることなく残ったといわれています。


 この場所で、
犠牲者への追悼と鎮魂の思いを込めて、
合唱曲「また逢える」を歌う………


=== 11月29日 ===

9:30 ホテルチェックアウト
9:50-10:30 日本こけし館
10:55〜 あ・ら・伊達な道の駅

== 空港でランチ お土産など ==
15:15 仙台空港
16:40 伊丹空港


 
日本こけし館由来記
 こけしの最も古い生産地、鳴子。この地に日本こけし館が誕生したのは、1953年に詩人で童話作家の深沢要さんのコレクションが旧鳴子町に 寄贈されたことと、1957年から毎年、全国の工人たちからこけし祭りへの奉納こけしが贈り続けられたことが、大きなきっかけとなりました。
 完成までに七年の歳月を費やし、昭和50年に開館。こけしをこよなく愛する人々の思いと夢が結実しました。
 現在工人たちは全国各地に住み、 それぞれの風土に溶け込みながらも、古来からの伝統を厳然と伝承しています。
 日本こけし館には、このように広まった伝統こけしを一堂に集め、 受け継がれてきた素朴な東北の心を、多くの方々に伝えたいという願いが込められています。












 鳴子系

こけしはお祝い人形
 こけしの顔に描かれている模様は「水引手」という様式です。この模様は京都の「御所人形」に発しています。特にお祝い人形として創案されたものです。
 この様式を導入したこけしは、幕末期の記録(1862年)には「こふけし」(子受けし)と記されています。健康な成長を願うお祝い人形なのです。






 みちのくは遥かなれども夢にまで こゝろの山々こころのこけし





 こけし館を出て、仙台空港へ向かう…

 あ・ら・伊達な道の駅





 大阪上空

 大和川&八尾空港上空



 淀川上空
伊丹空港着陸時はひどい雨が降っていた………