2019年11月17日(日)

** 室 生 寺 **



9:52 大阪上本町 (\900-) 〔近鉄大阪線〕
11:00 室生口大野
11:20 室生口大野駅前 (\440-) 〔奈良交通バス〕
11:35 室生寺前

11:47 室生寺 (拝観料:\600-)
12:18-35 奥の院
13:05-25 休憩&昼食
13:40 室生寺を出る

13:50 室生寺前 (バス)
14:05 室生口大野駅前
14:10 室生寺口大野
15:10 大阪上本町



向うに見える、室生川に架かるのが太鼓橋
橋を渡ると、室生寺の境内。奥の院は山の中腹か、
それとももう少し高い所か…

太鼓橋


室 生 寺 縁 起
 奥深い山と渓谷に囲まれた室生寺の地は、太古の火山活動によって形成された室生火山帯の中心部で、 こうした幽邃(ユウスイ)な場所は古くから神々の坐します聖地と仰がれていた。
 やがて奈良時代の末期、 この聖なる地で皇太子山部親王(後の桓武天皇)のご病気平癒の祈願が興福寺の高僧賢景[王偏ノ景]など五人の 高徳な僧によって行われ、これに卓効があったことから、勅命により国家のために創建されたのが室生寺である。 だが建立の実務に当たったのは賢景の高弟修円であった。修円は最澄や空海と並んで当時の仏教界を指導する 高名な学僧であった。
 以来室生寺は、山林修行の道場として、また法相・真言・天台など、各宗兼学の 寺院として独特の仏教文化を形成するとともに、平安前期を中心とした数多くの優れた仏教美術を継承する一方、 清冽な渓流は竜神の信仰を生み、雨乞いの祈願も度々行われてきた。そのほか厳しく女人を禁制してきた高野山に 対し、女人の済度をもはかる真言道場として女性の参詣を許したことから『女人高野』と親しまれている。


室生寺 仁王門

鎧坂を上ると、金堂、その左手に弥勒堂


金堂 平安朝初期(国宝)
 金堂は、正面側面ともに五間の単層寄棟造り柿葺。内陣には、堂々とした一木造りの御本尊・釈迦如来像 (平安初期・国宝)を中心に、向かって右側に薬師如来像(平安初期・重文)、地蔵菩薩像(平安時代・重文)、左側に 文殊菩薩像(平安初期・重文)、十一面観音像(平安初期・国宝)の各像が並び、その前に運慶の作と伝えられる 十二神将像(鎌倉時代・重文)が一列に並べられている。とくに左側に立つ華麗な十一面観音像は、ほぼ等身大の 一木造の像で、作風は本尊に近く、洗練された感覚と技巧の作として注目される。本尊の背後にある大きな板壁には、 珍しい帝釈天曼荼羅図(平安初期・国宝)が画かれている。



弥勒堂 鎌倉時代(重文)
 三間四方柿葺のこの堂は、修円が興福寺の伝法院を受け継いだものと伝えている。内部の須弥壇に 安置された本尊の厨子入り弥勒菩薩立像(重文)は、平安時代初期の優品で、脇壇には明快な衣紋が見事な、 客仏の釈迦如来坐像(平安初期・国宝)が安置されている。



灌頂堂[本堂] 鎌倉時代(国宝)
 室生寺の本尊如意輪観音菩薩像(平安時代・重文)が安置される。ここは真言密教の最も大切な 法儀である灌頂を行う堂で、真言寺院の中心であるところから本堂とも呼ばれ、延慶元年(1308)の建立。 五間四方入母屋造りの大きな建築で、内陣と外陣を板扉で区画し、和様と大仏様の折衷様式を示す。 正面に悉地院の扁額が掛けられる。


本堂にかかる紅葉

本堂傍から五重塔を望む

奥の院へ…
あの橋を渡ると、それはもうキツイ階段が続く…

岩の上に聳える大木を望む

岩の上に聳える大木

舞台造りの位牌堂が見える
もうひと頑張り! 奥の院はすぐそこだ…

舞台造りから望む紅葉


奥の院 御影堂 鎌倉時代(重文)
 五重塔から奥へ、原生林に囲まれた胸突きの石段を登ると、舞台造りの位牌堂と 弘法大師四十二歳の像を安置した御影堂の前に出る。方三間の単層宝形造、厚板団葺で 頂上に石造りの露盤が置かれているのが珍しく、他に例を見ない建物である。


位牌堂傍から七重石搭を望む

奥の院、位牌堂傍から下を望む
(中央下にバス停辺りも見える)


五 重 塔 平安時代初期(国宝)
 総高16.1メートルと屋外に建つ五重塔では最小のもの。勾配がゆるく軒の出の深い檜皮葺の屋根は、 朱塗りの柱や白壁と心地よい対照を保つ。平安時代初頭の建立といわれ、室生山中最古の建築である。 この塔は頂上の相輪が珍しく、九輪の上には普通ならば水煙であるのに、これは宝瓶を載せて宝鐸を吊り めぐらせて天蓋を作ってあることなど、他に類がない塔である。平成十年、台風により大きな損傷を蒙ったが、 平成十二年に修復、落慶した。


本堂を望む

本堂前から金堂(左)&弥勒堂(右)を望む

北畠親房墓所から金堂を望む

仁王門を望む
身体はかなり汗ばんでしまった…

護摩堂近くに咲く山茶花