松坂城は、蒲生氏郷(ガモウウジサト)が天正十六年(1588)この四五百森に築城した平山城である。 蒲生氏郷が 陸奥黒川(現在の福島県会津若松市)へ移封後、天正十九年(1591)に服部一忠、文禄四年(1599)に古田重勝と城主が変わり、 元和五年(1619)に徳川頼宜が和歌山藩主となると同時に和歌山藩領となり、以降、明治になるまで勢州領(松坂・田丸・白子等) 十八万石を統括する城代が置かれてきた。 城は北を大手、南を搦め手とし、本丸・二ノ丸・三ノ丸・隠居丸・きたい丸 からなり、本丸・二ノ丸等には高い石垣を築き、外郭に土塁や堀をめぐらせていた。 三層の天守と金の間・月見・太鼓 等の櫓がそびえ立っていたが、正保元年(1644)の台風で天守は倒壊したと伝えられている。また、二ノ丸には寛政六年(1794) に着工された御殿(別名徳川陣屋)があった。 明治十四年(1881)松阪公園となり、現在に至っている。 |
この家は本居宣長が十二歳のときから、亡くなる七十二歳まで住んだところで、
彼の祖父が隠居所として元禄四年(1691)に建てたものである。 宣長は、 この家で医者としての仕事をし、古典の講義をしたり、歌会を開いたりした。二階の書斎は、 宣長が五十三歳のとき、物置を改造して設けたもので、床の間の柱に掛鈴を下げていたことから 「鈴屋(スズノヤ)」と呼ばれている。 もと魚町にあったのを、保存と公開のため、明治四十二年 (1909)に現在地に移築した。その宅跡には、息子春庭の住居や土蔵が残されている。 |