元和5年(1619)、徳川幕府2代将軍徳川秀忠の命により、初代明石藩主で徳川家康の曾孫にあたる 小笠原忠政(のちの忠真)が築城。天守は築かれなかったが、本丸の四隅に建てられた三重櫓が威容を誇った。 このうち南東の巽櫓(タツミヤグラ)、南西の坤櫓(ヒツジサルヤグラ)が現存する。城跡一帯は明石公園となっている。 |
春期と秋期の土・日曜、祝日限定で公開していた櫓を、築城400周年を記念して、
2019年3月23日から11月30日まで毎日公開、日によって坤櫓、巽櫓のどちらかを見学できる。 櫓内部には小笠原家をはじめ歴代城主の家紋が入った瓦などが展示されている。 |
五色塚(千壺)古墳と小壺古墳は、古墳が造られた当時の姿が見られる野外博物館として、
文化庁が計画を立て、神戸市により1965年から10年の歳月をかけて発掘調査と復元整備工事が行われました。 五色塚古墳は、墳丘の全長194メートル、後円部の高さ18.8メートルの、兵庫県下最大の前方後円墳です。 周囲は深い濠(ホリ)と、今はみることはできませんが、浅い濠で二重に囲まれています。墳丘は三段に築かれ、 下段の斜面には古墳付近で集めた小さな石を葺(フ)き、中段と上段の斜面には淡路島から運ばれた大きな石を葺いていました。 墳頂と各段の平坦面には鰭付(ヒレツキ)円筒埴輪・鰭付朝顔形埴輪をめぐらせていて、およそ2,200本立てられていたと推定されます。 濠の中には東西のくびれ部付近に方形マウンド(島状遺構)が造られているほか、円筒棺を埋めたマウンドもありました。 五色塚古墳では、後円部にあると考えられる埋葬施設などの発掘調査は行っていません。古墳が造られた時期を推定する材料は 少ないのですが、埴輪の形などからみて、4世紀後半ごろと考えられます。 |
五色塚古墳・小壺古墳は、須磨から明石にかけての海岸線が最も突出したところに造られています。
墳頂きからは、明石海峡をへだてて淡路島が望め、右手に播磨灘、左手に大阪湾、天候がよければ
小豆島や紀伊半島・友ヶ島まで望むことができます。 現在は眼前に埋立地が広がりますが、五色塚古墳・ 小壺古墳が造られた頃の海岸線は国道2号線付近で、海を見下ろす位置にあたります。そのため、明石海峡を中心とした 海陸交通要衝の地を支配した人物が葬られているのではないかと考えられます。 |