2018年11月21日(水)

** 名 古 屋 城 **



9:30 大阪 (\3,350-) [JR新快速]
10:55 米原 11:00
11:32 大垣 11:41
12:13 名古屋

== …昼食… ==
13:00 出発
13:20 さくら橋
堀川沿いに歩いて行く…
13:22 たかはし
13:27 ごじょうばし
13:31 景雲橋
13:43 加藤清正像と名古屋城が望める歩道橋
13:55 名古屋城 入城 (\500-)
== 本丸御殿や東南隅櫓等を見学 ==
=〜= きしめんを食した後、東門へ =〜=
16:10 東門から出城
16:30 歩道橋
== 行きと反対側の堀川沿いを…古い家並みを… ==
17:00 名古屋駅着

17:30 名古屋
18:40 米原 18:47
20:13 大阪



名古屋駅から東方向へ歩いて行く…

堀川に架かるさくら橋

桜橋から北(名古屋城)方向へ
…堀川の東側沿いに…

さくら橋から15分位歩いて…
右上:名古屋能楽堂がある敷地
右へ曲がって行くと、歩道橋が見える…

あの歩道橋を渡り、能楽堂の敷地(左)へ入って行こう…

歩道橋から北方向を望む

加藤清正像&名古屋能楽堂&名古屋城 (3倍ズーム)

二 之 丸 御 殿 と 能 舞 台
 二之丸御殿は元和3年(1617)に竣工したと伝えられ、元和6年初代藩主徳川義直が本丸御殿より 移った。藩主居住の殿舎であり、また政務を行っていた場所であることから、「御城(オシロ)」ともいわれた。 その後、多数の殿舎が造営された。
 御殿内には「表御舞台(オモテオンブタイ)」と「奥御舞台(オクオンブタイ)」 という二つの能舞台が設けられ、藩主代替後の初入部の祝能、世嗣誕生祝能などが催された。また、 尾張徳川家は多数の能楽師を抱えていた。
 こうした歴史を背景として、平成9年4月、名古屋城 正門南側に「名古屋能楽堂」が完成した。


加藤清正像

名古屋城正門

手前が西南隅櫓 向こうに東南隅櫓の3階の屋根が見える

天主閣&西南隅櫓

天守閣&西南隅櫓を望む

本丸表二之門&東南隅櫓

本丸表二之門を入ると…
正面の石垣の右に本丸御殿の屋根の一部が垣間見える(?)
(右方向に東南隅櫓がある)

焼失(昭和20年)前の名古屋城本丸御殿と天守閣

名古屋城本丸御殿とは
 名古屋城本丸御殿は、尾張藩主の住まいとして徳川家康の命により慶長20年(1615)に建てられました。 寛永11年(1634)には将軍のお城御殿として上洛殿が増築され、格式高き御殿として知られていましたが、 昭和20年(1945)の空襲で天守閣とともに全焼しました。名古屋市では、平成21年(2009)1月から本丸御殿の 復元に着手し、平成25年5月には、
入口にあたる玄関、謁見の場である表書院などの公開を開始し、
平成28年(2016)6月には対面所と下御膳所を公開、
平成30年(2018)6月8日に全体公開ととなりました。


本丸御殿

本丸御殿

本丸御殿









本丸御殿傍から本丸御殿&天守閣を望む

現在の天守閣
 名古屋城は昭和5年(1930)、城郭建築における初めての国宝に指定されましたが、昭和20年(1945)の 名古屋空襲により本丸のほとんどを焼失しました。しかし名古屋のシンボルとして天守の再建を望む市民の 声は日に日に高まり、昭和34年(1959)ついに天守が再建されました。
 再建された鉄筋コンクリート 造りの天守は、その外観は昭和実測図に基づき正確に再建されましたが、内部は焼失を免れた本丸御殿 障壁画(重要文化財)や武具や壁画を展示し、名古屋城の歴史を市民に紹介する博物館としての機能を果たし ました。
耐震性が低いことに対応するため、現在は天主閣を閉館しています。

天主閣の木造復元を進めています
 現在の天守は、戦後、名古屋のシンボルとして再建された鉄筋コンクリート造りの建造物ですが、 再建から半世紀が経過し、設備の老朽化や耐震性の確保などの問題が発生しています。
 そのような 課題を克服するとともに、特別史跡名古屋城の本質的価値の理解を促進するため、「金城温古録」や 「昭和実測図」、「ガラス乾板写真」など、現代に残された豊富な資料に基づき、天守閣の木造復元を 進めています。


東南隅櫓(重要文化財)
公開中(平成30年11月10日〜11月25日)

東 南 隅 櫓 (重要文化財)
 東南隅櫓は本丸の東南に位置し、天守(戦災焼失)とほぼ同時期、慶長17年(1612)ごろに建てられた。 江戸時代には「辰巳(タツミ)櫓」と呼ばれいた。東西約11.8メートル、南北約13.8メートルを有する、大規模 な隅櫓である。一重目の屋根を付けていないため、外観は二重櫓に見えるが、内部は三階櫓である。 外観二重、内部三階の櫓は非常に珍しい。
 2階の南面、東面に張り出した部分があり、千鳥破風 (三角形の小型の屋根)が付けられる。3階東側の屋根には、高級な意匠である軒唐破風(ノキカラハフ)(屋根が丸く 反った曲線状の破風)が入る。
 『金城温古録』(江戸時代後期に編さんされた名古屋城の記録集成)によると、 御具足(オグソク)奉行(櫓に収納された甲冑の管理責任者)の役所として使用されていたが、火を使うことができず 寒さが厳しかったため、天保12年(1841)に南側の大手馬出(ウマダシ)内へ移動した。


東南隅櫓内から天守を望む
手前は本丸御殿

東南隅櫓内から正門方向を望む

二之丸庭園から天守閣を望む

堀川の西には古い街並みが残っているようだ

中村家

中 村 家 と 屋 根 神 様
築二百年と言われる旧家・中村家は江戸時代の商家のたたずまいをよく残しています。当家の 屋根にある屋根神様はこの地方独特の風習で、津島神社・秋葉神社・熱田神宮の三社を祀り、その お祀りは今も続けられています。ここは仏教系の秋葉さんで、静岡県綾井市の秋葉総本殿可睡斎 という寺院が本山です。鎮火防火の秋葉信仰は静岡県の秋葉神社から起こりましたが、明治の 神仏分離令で、仏教系の秋葉寺と秋葉三尺坊は可睡斎に移り、神道系の秋葉神社は火の神の「火 之迦具土神」を祀るようになりました。なお、中村家の秋葉神社は秋葉三尺坊大権現を祀って いますが、この祭神は室町時代以前に秋葉信仰で活躍した修験者のことで、天狗又は鳥天狗が白狐に 乗る形に象徴化されています。この辺りは円頓寺筋とつながって、昔はにぎやかな御本坊筋とも 言われました。