永平寺の成り立ち 永平寺は、寛元二年(1244)に道元禅師によって開かれた座禅修行の道場です。 四方を山に囲まれた深山幽谷の地に、大小七十余りの建物が並んでいます。 永平寺を開かれた道元禅師は、 正治二年(1200)、京都に生まれました。 十四歳の時、比叡山にて出家し、二十四歳の春、生涯の師を求め 中国に渡ります。 そして天童山如浄禅師のもと厳しい修行に励まれ、「正伝の仏法」を受け継がれました。 二十八歳の夏、日本に帰国。 三十四歳の折には京都深草にて興聖寺(コウショウジ)を建立し、その後、波多野 義重公の要請もあり、越前の国(福井県)に移られ永平寺を開かれました。 現在は道元禅師の御意志を継承する 修行道場として、僧侶の育成と一般の方々への布教強化を行っています。 七堂伽藍(ガラン) 寺院の建物を「伽藍」と呼びます。 伽藍には僧侶が修行をする清浄な場所という 意味があり、禅宗寺院では、特に主要な伽藍として 法堂: 七堂伽藍の一番奥に位置し、朝課(チョウカ 朝のおつとめ)など各種法要が行われます。 仏殿: 七堂伽藍の中心に位置し、曹洞宗のご本尊であるお釈迦様(釈迦牟尼仏(シャカムニブツ))が祀られています。 僧堂: 修行の根本となる伽藍で、坐禅・食事・就寝などを行います。 大庫院(クイン): 食事を司る典座(テンゾ)寮をはじめ、永平寺を維持管理する多くの部署があります。 山門: 七堂伽藍の中で最も古い寛延二年(1749)の造立です。 東司(トウス): お手洗いのこと。戸の開け方から手の洗い方まで、細かな作法が定まっています。 浴室: 入浴は大切な修行であり、身も心も清浄となるよう心がける道場です。 を指して「七堂伽藍」と呼びます。 中でも僧堂、東司、浴室は「三黙(サンモク)道場」といわれ、修行をする 上で大切な場所とされています。 |
七堂伽藍の中で最も古い寛延二年(1749)の造立です。 中国唐時代様式の楼閣門で、 両側に仏教の守護神である四天王が安置されています。 また、山門楼上の羅漢堂(ラカンドウ) には五百羅漢などが祀られており、毎日、修行僧が楼上に登り、お経をあげています。 |