対 面 石 |
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槇尾山由来記によると、空海(弘法大師)は童形のころ、槇尾山(和泉国)におられ、弁財天を信仰されていました。
高野山開創後も、その信仰は固く、毎月、九度は和泉の槇尾山に参詣されていました。 ある時、紀の川の水が増水し、 大師が渡りかねていると、「御対面石」に弁財天が姿を現され「和泉まで参詣するのが大儀であるから、この九度山の地に 移してよかろう」とのお告げにより、この尊を勧請して槇尾山明神社に祀ったと言われています。 この対面石は、 現在でも街道筋のこの地にあり、「紀伊続風土記」にも、「弘法大師槇尾明神と対面せし処といひ伝へたり」とあります。 今では弘法大師が母公と対面した、所と説明されていますが、これは明治時代以後の事です。ここは、槇尾に登る口あたりに あり、神聖な石も祀る大切な場であったと考えられます。 |
真田古墳(真田の抜け穴伝説) |
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真田古墳は、紀ノ川と丹生川とによって開析された、段丘上台地の南斜面中腹に立地している。大阪夏の陣に六文銭の
旗印をはせた、かつての勇将真田幸村が草庵をむすんだゆかりの地でもあり、実はこの古墳もひさしく「真田のぬけ穴」
と伝承されていた。 現今では墳丘が削られており、石室天井部が地表面と同高位にあって、いわゆる地下式石室と 呼ばれるものである。石室は南向きの横穴式で、割石積みの側壁と平石を用いた奥壁及び天井とをもって構成されている。 (略) 古墳時代後期の横穴式石室を持つ円墳である。 |
真田庵(善名称院) |
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真田昌幸・幸村が閑居した屋敷跡に建つ寺院です。 幸村の旗印である六文銭が 刻まれた門をくぐると重厚な本堂があり、境内には開山堂や土砂堂、真田昌幸の墓、 真田宝物資料館(有料)、与謝蕪村の句碑などがあります。 |
真田ミュージアム |
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平成28年3月13日オープン 真田氏ゆかりの地、九度山を体感できる情報発信拠点施設。 関ヶ原の戦いに敗れた後、父昌幸と共に蟄居を命じられた地、九度山。 真田昌幸・幸村・大助の 真田三代の偉業と十四年間という幸村の生涯で一番長い時間をすごした九度山での生活を、パネル展示と ドラマ仕立ての映像により紹介しています。 |