2016年11月16日(水)

** 九度山・真田庵 **



9:31 中百舌鳥 (\640-)〔南海高野線〕
9:41 北野田 (急行に乗り換え)
9:51-59 河内長野 (橋本行き急行に乗り換え)
10:21-25 橋本 (高野山行に乗り換え)
10:37 九度山

10:50 出発!
11:02 真田の抜け穴
11:08-25 真田庵
11:30-12:45 真田ミュージアム (入館料:\500-)
12:50-13:20 道の駅 柿の郷くどやま 食事:柿の葉寿司
== 九度山駅に向けて引き返す… ==
13:40-48 旧萱野家(大石順教尼の記念館) & 槇尾山 遍昭寺
13:50-14:10 まちなか休憩所
14:15 九度山駅着

14:30 九度山 (\640-)
14:45-49 橋本
15:32 中百舌鳥



九度山駅前

九度山駅の少し下から紀の川方向を望む
その橋の下を丹生(ニウ)川が流れ、その右岸に真田庵がある
〜真田庵は左手方向〜
丹生川は紀の川へ流れ込んで行く

出発!

真田の道を行く…

対 面 石
 槇尾山由来記によると、空海(弘法大師)は童形のころ、槇尾山(和泉国)におられ、弁財天を信仰されていました。 高野山開創後も、その信仰は固く、毎月、九度は和泉の槇尾山に参詣されていました。
 ある時、紀の川の水が増水し、 大師が渡りかねていると、「御対面石」に弁財天が姿を現され「和泉まで参詣するのが大儀であるから、この九度山の地に 移してよかろう」とのお告げにより、この尊を勧請して槇尾山明神社に祀ったと言われています。
 この対面石は、 現在でも街道筋のこの地にあり、「紀伊続風土記」にも、「弘法大師槇尾明神と対面せし処といひ伝へたり」とあります。 今では弘法大師が母公と対面した、所と説明されていますが、これは明治時代以後の事です。ここは、槇尾に登る口あたりに あり、神聖な石も祀る大切な場であったと考えられます。


真田古墳(真田の抜け穴伝説)

真田古墳(真田の抜け穴伝説)
 真田古墳は、紀ノ川と丹生川とによって開析された、段丘上台地の南斜面中腹に立地している。大阪夏の陣に六文銭の 旗印をはせた、かつての勇将真田幸村が草庵をむすんだゆかりの地でもあり、実はこの古墳もひさしく「真田のぬけ穴」 と伝承されていた。
 現今では墳丘が削られており、石室天井部が地表面と同高位にあって、いわゆる地下式石室と 呼ばれるものである。石室は南向きの横穴式で、割石積みの側壁と平石を用いた奥壁及び天井とをもって構成されている。
 (略)
古墳時代後期の横穴式石室を持つ円墳である。


真田庵内

真田庵(善名称院)
 真田昌幸・幸村が閑居した屋敷跡に建つ寺院です。
 幸村の旗印である六文銭が 刻まれた門をくぐると重厚な本堂があり、境内には開山堂や土砂堂、真田昌幸の墓、 真田宝物資料館(有料)、与謝蕪村の句碑などがあります。


真田ミュージアム
 平成28年3月13日オープン
 真田氏ゆかりの地、九度山を体感できる情報発信拠点施設。
 関ヶ原の戦いに敗れた後、父昌幸と共に蟄居を命じられた地、九度山。
 真田昌幸・幸村・大助の 真田三代の偉業と十四年間という幸村の生涯で一番長い時間をすごした九度山での生活を、パネル展示と ドラマ仕立ての映像により紹介しています。


坂を下り、丹生川に架かる橋を渡れば、道の駅

丹生(ニウ)川が紀の川に合流
この左手方向、この橋を渡った所に
「道の駅柿の郷くどやま」がある

橋の上から丹生川上流方向を望む

道の駅柿の郷くどやま

…道の駅で柿の葉寿司を買う…休憩…
道の駅から九度山駅に向けて引き返す

あの銀杏の木の傍の陸橋を渡ると九度山駅