2015年5月17日(日)

** 書写山圓教寺 & 姫路城 **


9:45 大阪 (\1,490-) 〔JR 新快速〕
10:48 姫路

11:20 姫路駅前 〔神姫バス〕
== 書写山ロープウェイセット券(\1,300-) ==
11:50 書写山ロープウェイ
12:00 山麓駅 12:04 山上駅

== 書写山圓教寺入山料(\500-) ==

15:32 山上駅 15:36 山麓駅
15:40 書写山ロープウェイ 〔神姫バス〕
16:00 姫路城大手門・好古園
16:10 姫路城桜門橋

== 姫路城入城料(\1,000-) ==

17:50 姫路城桜門橋

18:26 姫路 (\1,490-) 〔JR 新快速〕
19:28 大阪



バス内から書写山を望む
== 姫路駅前から約30分 ==

書写山ロープウェイ山上駅

書写山圓教寺 仁王門

圓 教 寺
 圓教寺(円教寺、えんぎょうじ)は、兵庫県姫路市の書写山にある寺院で、天台宗の別格本山である。 山号は書寫山(書写山、しょしゃざん)。西国三十三所第27番。現住職は第140世。

概要
 「西の比叡山」とよばれるほど寺格は高く、西国三十三所中最大規模の寺院で、中世には比叡山、大山とともに天台の三大道場と 並び称された巨刹である。京都から遠い土地柄でありながら、皇族や貴族の信仰も篤く、訪れる天皇・法皇も多かった。
 境内は、仁王門から十妙院にかけての東谷、摩尼殿を中心とした中谷、三つの堂のある西谷に区分される。伽藍がある書写山(標高371m) 山上一帯は兵庫県指定書写山鳥獣保護区の特別保護地区に指定されている。
 山内には姫路藩本多氏の墓所である本多家霊所があり、本多忠刻に仕え殉死した宮本武蔵の養子宮本三木之助などの墓もある。 室町時代から明治時代までは女人禁制だったため、女性は東坂参道の入り口にある女人堂(現・如意輪寺)までしか行けず、 そこに札を納めて帰っていた。
 また近年では、2003年公開のハリウッド映画『ラストサムライ』、NHK大河ドラマ『武蔵』(2003年) や『軍師官兵衛』(2014年)のロケ地にもなった。

歴史
 書写山の山上にあり、康保3年(966年)、性空の創建と伝える。元は素盞嗚命が山頂に降り立ち、一宿したという故事により、 「素盞ノ杣」と言われ、性空入山以前よりその地には祠が祀られていたと言われる。山号の由来はこの「素盞」からのものと言われ、 創建当初は「書写寺」と称した。姫路市と合併する以前は、飾磨郡曽左村と呼ばれていたが、この「曽左」も素盞に由来する。
 性空の生年については西暦910年説、928年説があるが、いずれも没年からのものだが、98歳説、80歳説による。『性空上人伝記遺続集』によれば、 性空は延喜10年(910年)の生まれで、貴族の橘氏の出であったという。性空は出家した時はすでに36歳であり、それから約20年間、霧島山、 脊振山など九州で修行を積んだ後、霊地を求めて旅に出、康保3年(966年)、57歳の時、書写山に庵を結んだのが書写寺の始まりであるという。 『遺続集』によれば、天人が書写山内の桜の霊木を賛嘆礼拝するのを見た性空は、弟子の安鎮に命じて、生木の桜に如意輪観音の像を刻み、 それを覆うように堂を建てた。これが如意輪堂(現・摩尼殿)の創建で、天禄元年(970年)のことという。性空の伝記や説話は、 前述の『遺続集』のほか、『元亨釈書』、『今昔物語集』などにもみえる。それらによると、性空は俗事を厭い、栄華や名声に関心がなかったが、 都の皇族や貴顕の崇拝が篤かったという。中でも性空に対する尊崇の念が強かった花山法皇は、寛和2年(986年)来山して圓教寺の勅号を与え、 米100石を寄進。性空はこの寄進をもとに大講堂を建立したという。花山法皇以外にも、後白河天皇・後醍醐天皇など多くの皇族が行幸、 また勅願により建物の改築・改修、建立がおこなわれている。
 花山法皇勅願の「円教」という寺号には、輪円具足を教えるという意味がある。円の形は徳において欠けたところがなく、 人間として最も成就した状態を象徴していることから、自己完成の道を教える寺ということになる。性空と結縁した法皇は、 性空の姿に崇高な僧侶本来の姿を見たのであろう。
 武蔵坊弁慶は一時期書写山で修行したとされており、机など、ゆかりの品も伝えられ公開されている。ただし史実である確証はない。
 一遍、一向俊聖、国阿ら時衆(=時宗)聖らが参詣したことでも知られる。一遍は入寂直前に書写山の僧に、聖教を預けた。
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摩尼殿(如意輪堂)== 登録有形文化財 ==

マニとは梵語の如意 天禄元年(970年)創建
大正10年に火災で全焼 昭和8年に再建

摩尼殿(如意輪堂)

京都の清水寺と同じ壮大な掛造り(舞台造り)

摩尼殿(如意輪堂)
本尊は如意輪観音

大講堂 == 国指定重要文化財 ==

寛和2年(986年)花山法皇の勅願により創建された圓教寺総本堂
本尊は釈迦如来
衆僧の学問の修行の場として栄えた
現在のものは室町初期のもので、昭和31年に解体修理された

左に見えるのが: 食堂== 国指定重要文化財 ==

後白河法皇の勅願で創建 修行僧の寝食の為の建物
別名「長堂」と呼ばれる長さ約40mもある二階建ての大建築

大講堂前から常行堂を望む(右手に食堂がある)
常行堂 == 国指定重要文化財 ==

本尊は阿弥陀如来
修行の一つ「常行三昧」をする道場
舞台では大講堂に向って雅楽や舞の奉納が行われた
昭和40年に解体修理された

左:食堂 右:大講堂
食堂内ではいろんな物が展示されている
弁慶鏡井戸は正面左へ曲がった所

食堂の傍にある井戸
ここから真っ直ぐ向うへ行けば奥の院へと通ずる

弁慶鏡井戸
 書写山には武蔵坊弁慶が少年時代を過ごしたという伝説があり、この鏡井戸や勉強机が今に 伝えられている。
 昼寝していた弁慶の顔に、喧嘩好きな信濃坊戒円(シナノボウカイエン)がいたずら書きし、 小法師二、三十人を呼んで大声で笑った。目を覚ました弁慶は、皆がなぜ笑っているのか分からない。 弁慶は、この井戸に映った自分の顔を見て激怒し、喧嘩となる。その喧嘩がもとで大講堂をはじめ山内の 建物を焼き尽くしてしまったと言われている。
平成26年3月 姫路市教育委員会


開山堂(奥の院)
兵庫県指定文化財(昭和43年3月29日指定)
江戸時代

圓教寺開山の性空上人をまつったお堂で、堂内の厨子には
上人の御真骨を蔵した等身大の木像が納められている
寛弘4年(1007)上人の没年に高弟延照が創建
弘安9年(1286)焼失
現存のものは江戸期寛文11年(1671)に造り替えられたもの
軒下の四隅に左甚五郎の作と伝えられる力士の彫刻があるが
四力士のうち北西隅の一人は
重さに耐えかねて逃げ出したという伝説がある

東南隅の力士像

北東隅の力士像

奥の院から戻って来る
食堂と大講堂を望む
左:常行堂(見えていない)


『軍師官兵衛』(2014年)のロケ地
 西の毛利・東の織田信長の狭間で揺れ動く播磨の諸将は、官兵衛の説得により信長への加勢を決めるが、 別所長治が離反し毛利方についた為、信長の命を受け播磨にいた豊臣秀吉は、三木城の別所と毛利に挟まれる窮地に立たされる。 その窮地を脱する術として、官兵衛は秀吉に「書写山圓教寺へ本陣を移す」ことを進言し、無事苦境を乗り切った。
 書写山圓教寺を選んだ理由は、信長からの大量の援軍を収容できる場所、山上にあり敵の監視をおこなえる場所など…、諸説あり。


書写山ロープウェイ山上駅から姫路城方向(?)を望む

桜門橋から姫路城大手門を望む

三の丸御殿があった場所越しに
西の丸 & 天守閣 を望む

三の丸跡から天守閣を望む
(3倍ズーム)

天守閣から西の丸を望む

西の丸から天守閣を望む

天守閣より三の丸跡&JR姫路駅方向を望む

JR姫路駅前から姫路城を望む
(3倍ズーム)