江戸時代初期、現在の滋賀県彦根市金亀町にある彦根山に、鎮西を担う井伊氏の拠点として置かれた平山城(標高50m)である。
山は「金亀山(こんきやま)」との異名を持つため、城は金亀城(こんきじょう)ともいう。多くの大老を輩出した譜代大名である
井伊氏14代の居城であった。 明治時代初期の廃城令に伴う破却を免れ、天守が現存する。天守と附櫓(つけやぐら)及び 多聞櫓(たもんやぐら)の2棟が国宝に指定されるほか、安土桃山時代から江戸時代の櫓・門など5棟が現存し、国の重要文化財に 指定されている。中でも馬屋は重要文化財指定物件として全国的に稀少である。一説では、大隈重信の上奏により1878年(明治11年) に建物が保存されることとなったのだという。 天守が国宝指定された四城の一つに数えられる。姫路城とともに遺構をよく 遺している城郭で、1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストに掲載されたが、近年の世界遺産登録の厳格化の下、20年以上 推薦は見送られている。 徳川四天王の一人・井伊直政は、1600年(慶長5年)関ヶ原の戦いの後、その軍功により18万石にて近江国北東部に封ぜられ、 西軍指揮官・石田三成の居城であった佐和山城に入城した。佐和山城は石田三成が改築した後は「三成に過ぎたるものが二つあり、 島の左近に佐和山の城」の一つともいわれたが、直政は、中世的な古い縄張りや三成の居城であったことを嫌い、湖岸に近い 磯山(現在の米原市磯)に居城を移すことを計画していたが、関ヶ原の戦いでの戦傷が癒えず、1602年(慶長7年)に死去した。 その後直継が家督を継いだが、幼少であったため、直政の遺臣である家老の木俣守勝が徳川家康と相談して彼の遺志を継ぎ、1603年 (慶長8年)琵琶湖に浮かぶ彦根山(金亀山、現在の彦根城の場所)に彦根城の築城を開始した。 築城には公儀御奉行3名が付けられ、 尾張藩や越前藩など7か国12大名(15大名とも)が手伝いを命じられる天下普請であった。1606年(慶長11年)2期までの工事が完了し、 同年の天守完成と同じ頃に直継が入城した。1616年(元和2年)彦根藩のみの手により第3期工事が開始された。この時に御殿が建造され、 1622年(元和8年)すべての工事が完了し、彦根城が完成した。その後、井伊氏は加増を重ね、1633年(寛永10年)には徳川幕府下の 譜代大名の中では最高となる35万石を得るに至った。 なお、筆頭家老・木俣家は1万石を領しているが、陣屋を持たなかったため、 月間20日は西の丸三重櫓で執務を行っていた。これは、徳川統治下の太平の世においては、城郭というものがすでに軍事施設としての役目を 終えて、その存在理由が、権勢の象徴物へと変じたためであり、江戸幕府の西国への重要な備えとしての役割を担う彦根城も、彦根藩の各組織 の管轄で天守以下倉庫等として江戸時代の大半を過ごした。 1854年(安政元年)に天秤櫓の大修理が行われ、その際、石垣の半分が 積み直された。向かって右手が築城当初からの「牛蒡積み」、左手が新たに積み直された「落し積み」の石垣である。 幕末における 幕府の大老を務めた井伊直弼は、藩主となるまでをこの城下で過ごしている。直弼が青春時代を過ごした屋敷は「埋木舎(うもれぎのや)」 として現存している。 |
ウィキペディア(フリー百科事典)より |
竹生島(ちくぶしま)は、琵琶湖の北部に浮かぶ島。琵琶湖国定公園特別保護地区、国の名勝および史跡に指定されている。 葛籠尾崎の南約2キロメートルに位置し、滋賀県長浜市早崎町に属する。全島が針葉樹で覆われており、琵琶湖八景(深緑) のひとつにも数えられる。島の周辺は深く、西側付近は琵琶湖最深部 (104.1m) である。 竹生島には定期船が発着する港が島の南側に 一箇所あり、数店の土産物店と寺社はそこからすぐの所にある。寺社関係者ならびに店舗従業員はいずれも島外から通っているため、 無人島となっている。 湖底遺跡 北の葛籠尾崎との間には湖底遺跡があり、水深70メートルほどの湖底から多数の土器が 引き揚げられている。この土器は非常に古く、且つ時代の幅も大きいもので、縄文時代早期から弥生時代、果ては中世にまで及ぶと 考えられている。このような遺跡は世界でも類がなく、沈積原因は今なお大きな謎に包まれている。 歴史 古来、信仰の対象となった島で、神の棲む島とも言われる。南部には都久夫須麻神社(竹生島神社)、宝厳寺(西国三十三所三十番) がある。竹生島神社は、明治の神仏分離令に際して弁才天社から改称した。竹生島は神仏一体の聖地であったことから、分離の際には少なからず 混乱があったようである。ちなみに、竹生島弁才天は相模の江島神社、安芸の厳島神社と並んで日本三大弁天のひとつに数えられる。 戦国期には、近江国小谷城主であった浅井久政(浅井長政の父)が、長政への家督委譲を目論む家臣団によって一時的にこの島に幽閉され、 隠居生活を強要された。 近代には宗教家の大石凝真素美が琵琶湖の竹生島は人類発祥の地であると主張した(『大石凝真素美全集』1923年、国華社)。 竹生島成因の伝承 多多美比古命(伊吹山の神)が、姪で浅井岳(現在の金糞岳)の神である浅井姫命と高さを競い、負けた多多美比古命が 怒って浅井姫命の首を切り落とした。その首が琵琶湖に落ちて竹生島が生まれたという。金糞岳(標高1317m)は滋賀県2位の高峰で、最高峰の伊吹山 (標高1377m)は、竹生島の高さを差し引くと本当は2番目だったというわけである。竹生島神社には浅井姫命も祀られている。 |
ウィキペディア(フリー百科事典)より |
玄 宮 園(名勝) |
---|
城の北東にある旧大名庭園で、4代藩主直興が延宝5年(1677)から7年にかけて造営した。
中国の宮廷に付属した庭園を「玄宮」と言ったことから命名されたと考えられる。江戸時代
初期の庭を現代に伝える名園である。 大きな池に突き出すように建つ臨池閣、鳳翔台 といった建物のほか、広大な池泉を中心に池中の島や入江に架かる9つの橋など、変化に 富んだ回遊式庭園となっている。花の香りに蝉しぐれ、紅葉、雪景色と、四季折々の風情を 大名気分で味わえる。 |