2014年11月5日(水)

** 安 土 城 跡 **


8:42 大阪 〔JR京都線&琵琶湖線〕(\1,490-)
9:48 野洲 9:52
10:04 安土

10:15 出発
10:35-45 活津彦(イキツヒコ)神社
11:03-12:10 安土城跡 入山料:(\500-)
12:30-13:15 信長の館 入館料:(\500-)
14:00 安土駅着

14:23 安土 〔JR琵琶湖線〕 (\190-)
14:27 近江八幡

14:45 近江八幡駅 市バス(\220-)
14:56 大杉町八幡山ロープウェイ

15:15 八幡山ロープウェイ駅 往復:(\820-)
15:18 〜 八幡山 〜 16:15
16:18 八幡山ロープウェイ駅

17:07 近江八幡 〔琵琶湖線&JR京都線〕(\1,490-)
18:13 大阪



安土駅から10分位北へ歩いて行く…
活津彦(イキツヒコ)神社

活津彦神社前から東の方、安土山を望む
突き出て見えるのが三重塔

本丸跡へ向けて上って行く…

二の丸跡の傍にある織田信長本廟(左手)
その前から安土城天主跡を望む

安土城天主閣跡
あの梯子の向こう下に織田信長本廟がある

織田信長本廟を見下ろす

安土城天主閣跡から琵琶湖方向を望む

特別史跡 安 土 城 跡
 安土城跡は、織田信長が武田勝頼を長篠の合戦で打ち破った翌年、天正4年(1576)に始まります。 築城にあたっては、畿内・東海・北陸から多くの人夫が徴発され、当代最高の技術を持った職人たちが 動員されました。まさに安土城は天下統一の拠点となるべく当時の文化の粋を集めたものだったのです。 築城開始から三年後の天正7年には天主が完成して信長が移り住みました。しかし、その三年後天正10年に 本能寺の変で信長が殺されると、城は明智光秀の手に渡り、その光秀が羽柴秀吉に敗れたすぐ後に天主・ 本丸は焼失してしまいます。それでも安土城は織田氏の天下を象徴する城として、秀吉の庇護の元で 信長の息子信雄(ノブカツ)や孫の三法師が入城を果たし、信長の跡を継ぐものであることをアピールします。 しかし、天正12年小牧長久手の戦いで信雄が秀吉に屈すると織田氏の天下は終焉を迎え、翌年安土城は その役目を終えて廃城となるのです。その後江戸時代を通じて信長が城内に建てたそう見寺がその菩提 を弔いながら、現在に至るまで城跡を守り続けていくことになります。


そう(總・糸偏でなく手偏)見寺の三重塔

そう見寺跡から西の湖を望む

そう見寺・二王門

JR琵琶湖線の下をくぐり、信長の館へ向かう
正面の建物の裏手に見えるのが信長の館

安土山方向を振り返る
そう見寺の三重塔が見える
その右手の高い山が本丸跡