桂 浜 |
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ひたすら自然のまま美しさを守りつづけてきた桂浜は、県を代表する景勝地の ひとつである。茂りあう松の緑と、紺碧の海が調和して見事な勝景を形づくっている。 また、桂浜は「よさこい節」にも唄われるように、古来より月の名所として知られ、仲秋の 名月がはるか水平線上より静かに浮かび上がり、洋上に金波銀波のおどる姿には、うっとり させられてしまう。 そして、龍馬台地には、幕末の風雲児坂本龍馬の銅像がはるか 太平洋を見下ろしている。全国の熱い龍馬ファンは、ここに訪れ、銅像の前にたたずみ龍馬 と会話する。 また、桂浜公園内には、日本では南四国と九州の一部にしか生息してい ない幻の魚「アカメ」など、海の生き物がいっぱいの桂浜水族館や土佐闘犬の闘技(かみ合 わせ)や横綱土俵入りが人気の土佐闘犬センター、龍馬グッズや高知の名産品を並べたお土 産品店も軒を並べ楽しい憩いの場となっている。 南国の太陽の下、さわやかな潮風に つつまれ美しい砂浜をながめ、龍馬と語る、それが桂浜。 == 説明文より == |
海津見(ワタツミ)神社(龍王宮) |
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御祭神 大綿津見神(オオワタツミノカミ) 鎮座地 高知市浦戸字城山 御創建 不詳(伝 長宗我 部時代とも) 御神徳 海上保安 漁業豊登 祈雨祈晴 商売繁盛 良縁成就 【桂浜由来】 古くは嘉列浜、嘉津浦浜、勝浦浜などと記され 色の浜ともいわれた。 江戸時代には勝浦浜村が独立していたが、その後浦戸村に含まれた。 いつの頃より カツウラがカツラと転化し、月の名所であることから、月に生えると言われる桂の字が当てられ、 桂浜となった。 土佐五代藩主、山内豊房公の命名ともいわれる。 |
竹林寺(ちくりんじ)は、高知県高知市五台山にある真言宗智山派の寺院。山号は五台山 (ごだいさん)。院号は金色院(こんじきいん)。本尊は文殊菩薩。切戸文殊、安倍文殊ととも に日本三文殊の一つに数えられる。四国八十八箇所霊場第三十一番札所。四国八十八箇所のうち 文殊菩薩を本尊とするのは本寺だけである。 寺伝によれば、神亀元年(724年)に聖武天皇 が唐の五台山で文殊菩薩に拝する夢を見た。天皇は行基に五台山に似た山を捜すように命じたと ころ、この地が霊地であると感得し栴檀の木に文殊菩薩像を刻み、山上に堂宇を建立して安置した という。その後、大同年間(806 - 810年)に空海(弘法大師)が滞在、修行し堂塔を修復したと 伝えられる。 実際の創建年代等について不詳である。中世以降は武家の信仰も厚く寺運も 隆盛し、1318年(文保2年)には臨済宗の僧夢窓疎石もこの寺に滞在している。その後、寛永年間 (1624年 - 1644年)空鏡によって再興された。江戸時代には土佐国における真言宗の触頭を勤め る寺院のひとつであった。また、本尊の文殊菩薩の出開帳を江戸や大坂で行っている。 |
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牧野植物園は、最初「高知には植物園、博物館が必要である」との牧野博士の要望と、 植物園をつくりたいという県内有識者の希望を受けて、県、市、民間の寄付金により、温室、 記念館の建設を計画したことにはじまります。建設着手の一週間後に牧野博士が死去された ことから、博士の偉業を記念する施設として、昭和33(1958)年に県立として発足いたししま した。その後博士のご遺族から博士の蔵書をご寄贈いただき、敷地を順次拡張して昭和48 (1973)にはほぼ旧園の体裁が整いました。さらに平成5(1993)年から拡張整備の計画が進み、 平成8(1996)年に新記念館の整備に着手、平成11(1999)年に新園地と牧野富太郎記念館が開館。 名実ともに牧野博士を記念した総合植物園として再出発いたしました。 == 説明文より == |
牧野富太郎は、文久2(1862)年に土佐佐川の商家に生まれ、土佐の豊かな自然を師とし 友として、植物に対する感性を身につけていきました。富太郎が、95年の生涯を通じて命名 または学名を変更した植物は約2,500種といわれ、そのうち初期に発表されたかなりの植物は、 少年時代から青年時代にかけて採集した高知県産の植物によってなされています。日本人とし てはじめて学名をつけたヤマトグサをはじめ、ヤッコソウ、ノジギク、サカワサイシンなど 数百種におよぶ植物が土佐から記載され、日本の植物分類学上の基礎資料として名を残していま す。このことは土佐の豊かな自然が牧野富太郎を生み、ひいては日本の植物学の基礎を築いた ことをものがたっています。 == 説明文より == |