2012年4月25日(水)

** 阿南市〜鳴門市 **



8:20 徳島 (\540-) 〔JR牟岐線〕
9:07 阿南

9:42-47 皇子神社
10:08 阿南駅着

10:23 阿南 (\540-) 〔JR牟岐線〕
11:05 徳島

12:00徳島駅前 (\450-) 〔徳島バス〕
12:50 鳴門駅前

13:19 妙見神社鳥居
== 約300段の石段を上り ==
13:26-34 妙見神社
== 妙見山公園の山の下へ降りて行く… ==
13:42 八幡神社
14:05-13 人丸神社
14:17-19 十二神社
14:32-45 海岸に出る&休憩
15:00-15 休憩
15:45 (高速バス)高速鳴門駅着

16:25 高速鳴門 (\3,150-) 〔南海高速バス〕
18:25 阪急三番街



JR阿南駅前
淡島神社があるのでやって来たのだが…
市内バスは走ってなさそうだ…

皇子神社があって、その向こうに淡島神社があると教えられる
あれが皇子神社がある森だろう…

宮司さんの居ない神社らしい…

鳴門市を見てみたいという気持ちが強くなってきていて
淡島神社行きは断念する!

JR鳴門駅
徳島駅に戻り、昼食をし、徳島駅前からバスでやって来る

鳴門駅のすぐ近くを流れる撫養(ムヤ)川越しに
妙見山神社がある妙見山公園を望む
あの山の向こうは海
(この時点でそう想っていたが、実際は2つ3つ小さな山があった!)

撫養(ムヤ)城址を望む
妙見神社はその左側にある

妙見神社傍からJR鳴門駅方向を望む
(曇っていて、黄砂の影響もあるのか、視界は悪い…)

妙見神社

開運 妙見(ミョウケン)神社
当神社は、「造化の神 天御中主神(アマノオナカヌシノカミ)」を祀る。この神は古く大地の未だ成立しない頃 大空の真中に生れ給い天地万物の大元をおすへになり、有形、無形のみたまとして永久に世に幸を与え られた。
 そのおゝみいつによって次々に神々がお現れになりその尊い御神徳は計りしれない。
 故に、開運、延命、長寿、安産、海陸交通安全の守護神として広く信仰されている。
 平安末期、 中国より伝わった北辰(北極星)信仰と結びついて妙見社として祀られるようになった。
 天保元年 (1830)旧城主、四宮加賀守の子孫と撫養町林崎郷の近藤利兵衛氏がこの城址に妙見神社として再建した。


撫養城址

史蹟 撫養(ムヤ)城址
 天正十三年(1585)蜂須賀家政が阿波に入国し国内九ヵ所に城塞を設けた。阿波の九城という。
 撫養城は淡路渡海の押えとして異母弟の益田内膳正忠を城番にし手勢三〇〇名をもって守らせた。  寛永十五年(1638)一国一城の令により阿波九城は破却された。
 社殿後方の城跡は当時の面影を残 している。


撫養城址を振り返る(鳴門駅はこの方向)
下りてきて、あの八幡神社を人丸神社!
かと思ってしまったのでありました…

地元の人に訊き…
やっと辿り着いた!
人丸神社
(足の痛みの為か、長い道のりと思ってしまったのだが…)

人丸神社 阿波の民話(徳島新聞)
 とんと昔、あったと。
 里浦(さとうら)の十二神社(じゅうにじんじゃ)の西隣に人丸神社がある。柿本 人麻呂は歌聖と呼ばれ、信仰する人が多かった。もっとも、人麻呂が鳴門へ来たわけではない。柿本神社、人丸神社は 全国で二百五十二社もあるそうな。里浦の人丸神社は人麻呂の画像をお祭りしてある。
 人丸神社は文芸の神さん であるが、ほかにも目の病の神さんでもある。
 この神社は、とくに「眼疾者(めやまいもの)の目を治す」のに 効めがあるって言われとる。
 里浦一帯は砂地で激しい風にあふられ砂が飛び散る。こんなわけで目を病む人が多 かった。
 おーしまい。
  参考 近大民俗学研究所「民俗文化」第六号


人丸神社境内から撫養城址を振り返る

十二神社

十二神社から海に出る近道を行く…

やっと海に出た!
これでデジカメの電池が切れてしまう…
…!!!残 !念!!!…