阿波一宮 大麻比古(オオアサヒコ)神社御由緒 御祭神 大麻比古大神 猿田彦大神 由 緒 |
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神武天皇の御代、天太玉命(アメノフトダマノミコト)の御孫天富命勅命を奉じて洽く肥沃の地を求め、
阿波国に到りまして、麻楮の種を播殖し、麻布木綿を製して殖産興業の基を開き、国利民福を進
め給い、その守護神として太祖天太玉命を此の地に斎き祀る。大麻比古神社は、太祖天太玉命と
猿田彦大神の御神徳を称えて奉った御社名と伝えられる。 猿田彦大神は、昔大麻山の峯に 鎮まり坐しが後世に至り、本社に合せ祀ると伝えられる。延喜の制名神大社に列し、阿波国一宮 と称え、阿波、淡路両国の総産土神として崇め奉る。清和天皇貞観元年従五位上を授け奉り、順次 進階して中御門天皇享保四年正一位に進み給う。斯く朝廷の崇敬厚く、又代々の国司領主の尊崇深く、 神田山林を寄進、藩費を以って社殿の造営を行い、年々祭費を奉らる。明治六年国幣中社に列す。 明治十三年国費をもって本殿以下の造営が行われた。現在の祝詞殿、内拝殿、外拝殿は昭和四十五 年氏子崇敬者の寄進によって造営された。 大麻比古神社は、古来方除、厄除、交通安全の神と して霊験を授け給い県内外の氏子崇敬者から「大麻さま」「大麻さん」「大麻はん」と親しみをこめ た御名で崇められ、厚い信仰が寄せられている。 祭礼及び特殊神事 例祭 十一月一日氏子崇敬者の奉仕によって神輿の渡御及び獅子舞の奉納などの神賑がある。 奥宮例祭 旧七月十八日大麻山頂に鎮座する奥宮峯神社の例祭が行われ、氏子崇敬者の奉仕に よって神幸祭が行われる。旧七月十七日宵宮から十八日早暁にかけて三回氏子崇敬者の安全を祈念する 大祈祷祭が行われる。 神迎祭 旧正月元旦、二日、三日、本殿に於て旧正月の神事が行われる。 湯立神楽 旧三月十二日社務所前庭に湯竈を築き、忌火によって湯を立て、湯花を本殿に奉り、 無病息災と五穀豊穣を祈念する。 神火大祭 二月節分当日 氏子崇敬者が願旨を記して奉納し た祈祷木を神火によって焚き上げ、除災招福を祈願する。 |
心願の鏡池 |
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第一次世界大戦のさなか、中国青島(チンタオ)の戦いで捕虜になったドイツ兵士約千人が、
大正六年から九年にかけて、異郷の地板東捕虜収容所に過ごした。 ドイツ兵士達が、 遠い祖国を偲びながら一日も早く故国に帰れることを願いつヽ、当神域を散策し、記念のため 境内に池を掘ってメガネ橋を配し、小谷にドイツ橋を架けた。 板東の地で日々を送った 兵士達は、地元の人々と国境を越えた暖かい友情で結ばれ、今も尚、日独友好の灯をともし続 けている。 以来七十有余年経て、この度当神社では神池を拡張し、メガネ橋の周辺を整 備して、「心願の鏡池」と命名した。 平成四年三月吉日 阿波国一宮 大麻比 古神社々務所 |
霊山寺の歴史・由来 |
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四国八十八ヶ所霊場の全行程はおよそ1460キロ、365里におよぶ。この霊場を札所番号の順に巡拝する
遍路には、ここが「発願の寺」、「同行二人」の長い旅となる。縁起によると、聖武天皇(在位724〜49)の
勅願により行基菩薩が開創された。弘仁6年(815)、弘法大師が四国の東北から右廻りに巡教された際、この
地で衆生の88の煩悩を浄化し、また衆生と自らの厄難をはらって、心身の救済ができる霊場を開こうと37日
間の修法をされた。その時、仏法を説く一老師をたくさんの僧侶が取り囲み、熱心に耳を傾けている霊感を得た。
大師は、その光景が天竺(インド)の霊鷲山で釈迦が説法をしていた情景と似ていると感じとり、インドの霊山
を和国(日本)に移す意味で「竺和山・霊山寺」と名づけられた。 このときの念持仏が釈迦誕生仏像であり、本尊の前に納められたことから四国八十八ヶ所の第一番札所とさだ め、霊場の開設・成就を祈願されたと伝えられる。誕生仏は白鳳時代の作で、身の丈約14センチ余の小さな銅造 である。往時は阿波三大坊の一つとされ荘厳な伽藍を誇った。しかし天正10年(1582)、長宗我部元親の兵火に より堂塔は全焼した。その後、阿波藩主・蜂須賀光隆公によってようやく復興したが、明治24年(1891)には出 火により本堂と多宝塔以外の堂宇を再び焼失している。以来、100年の努力で往時の姿となっているが、おおかた が近年の建物である。別格本山。地の利を生かした寺観の配置は妙で美しく、お遍路さんに彩りを添えている。 |
「四国八十八ヵ所霊場会 公式ホームページ」より |
極楽寺の歴史・由来 |
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山門行基菩薩の開基と伝えられているが、弘仁6年(815)、42歳の弘法大師がこの地で三七日間『阿弥陀経』
を読誦し、修法された。その結願の日に、阿弥陀如来が出現したので、大師はその姿を彫造して本尊とされた。この
阿弥陀如来像は、尊容が美しく、発する光は遠く鳴門の長原沖まで達したという。漁民たちは、漁の妨げになると本
堂の前に人工の小山を築いて光を遮ったという故事から、「日照山」と号した。その後、天正年間(1573〜92)に長
宗我部元親の兵火で焼失したが、万治2年(1659)、本堂は蜂須賀光隆公の援助によって再建されている。 境内三方を山に囲まれた閑静な境内で、朱塗りの仁王門をくぐると極楽浄土をイメージしたような庭園が広がる。 44段ほどの石段をのぼった正面に本堂がある。その右手奥が大師堂で、この大師像は「安産大師」とも呼ばれている。 大師が流産ばかりする夫人に加持祈祷したところ、即座に子宝に恵まれたという由縁によるもので、安産祈願に霊験 があるとされている。弘法大師お手植えとされる「長命杉」は、樹齢1200年あまり、高さが約31メートル、周囲約6 メートルもある霊木である。触れれば家内安全ばかりか、病気平癒、長寿も授かるといわれる。鳴門市の天然記念物 に指定されている。千古の風雪に耐えてきた巨杉だけに、巡礼の折にはぜひ触れてみたい。 |
「四国八十八ヵ所霊場会 公式ホームページ」より |
千三百年の歴史を持つ安産の寺 |
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極楽寺は四国八十八ヵ所第二番のお寺であり、真言宗高野山派に属す。三方を山に囲まれた
閑静な雰囲気の中にあり、宗教的な霊気につつまれている。 この地を弘法大師が四国八十八箇所 第二番札所と定めたのは、弘仁六年(815年)即ち、千二百年も前のことである。 寺伝によれば、 行基菩薩開基にして弘法大師が当山に留錫(リュウシャク)、「阿弥陀経」を二十一日間続誦された折、難波の 難産に悩む女性が、弘法大師のお加持によって無事安産した。それでそのお礼にと木彫りの大師像を奉 納し、以後安産祈願の本坊として多大な信者を集めたという。 時代は下り明治の頃、大阪住吉に 住み難産に悩む婦人が妊娠したので、安産祈願を受けたところ、ある夜夢の中に弘法大師があらわれ四 国遍路をすすめられた。 そこで発心して讃岐まで巡排して、ここ二番極楽寺までくると急に産気づ いたが、弘法大師より最後までめぐりつづけよとのお告げがあった途端におさまった。 その後何事 も無く結願し帰宅したら、男子を無事に出産することができたという。 当山安産縁起と同じ霊験 を得て無事出産され感激した婦人は、大師堂の前に安産大師像を奉納された。 これが現在、境内に 安置せられる安産修行大師である。 |
山主 合掌 安産祈願本坊 極 楽 寺 |