恩 智 神 社 |
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御祭神 大御食津彦(オオミケツヒコ)大神 (天児屋根命の五世の孫) 大御食津姫(オオミケツヒメ)大神 (伊勢神宮外宮豊受姫大神) 天児屋根命(アメノコヤネノミコト) (元春日) 由 緒 当神社の創建は大和時代(407年頃)と伝えられ凡そ1500年余の歴史を有する古社で、延喜式内名神大社である。 古くから朝廷の崇敬厚く、持統天皇の元年(689年)十月に行幸されて以来、称徳天皇天平神護景雲二年(768年)には、 河内・丹後・播磨・美作・若狭の地三七戸を神封に充てられ、文徳天皇嘉祥3年(850年)十月に正三位、清和天皇貞観元年(859年) 正月に従二位、更に正一位に叙せられ、恩智大明神の称号を賜り、名神大社として、延喜式名神帳に登載される。以後醍醐天皇、 村上天皇の御字の大旱ばつに勅使参向して祈雨をされ、その霊験があり、それぞれ蘇生したと伝わる。また、一條天皇正暦五年(994年) 四月に中臣氏を宣命使として幣帛を奉り、疫病等災難除けを祈った。これが当神社の御祓祭(夏祭)の始まりとされている。 江戸時代の終わりまでは奈良春日社の猿楽は当神社が受け持ち、この猿楽座に対して春日社より米七石五斗と金若干が奉納さ れていた。 尚、三代実録によれば当神社は河内國下水分社といわれ、その霊水(清明水)は現在も湧き出ている。 |
信 貴 山 城 |
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標高433mの信貴山雄嶽を中心とする山城で、東西550m、南北700mに渡って120以上の
郭を配し、奈良県下最大規模を有する中世城郭。 空堀の切り通し堀、土塁、門等の城郭跡が良く残り、 特に高櫓跡は著名で、中世末、織豊期直前の山城跡として保存状況の極めて良好な例で貴重な遺跡。 信貴山は古代より河内と大和を結ぶ要衝地として幾たびか築城が繰り返された地である。古くは天智朝に おける高安城中心城域となり、中世には護良親王が鎌倉幕府軍への対抗拠点とするなど戦略的に重要な位置 にあった。 その後、戦国時代に木沢長政、松永久秀が築城入城し、大和を抑える本格的な山城として 整備される。 天正五年(1577)、松永久秀が織田信長に背き、大軍の総攻撃を受け50日間籠城、10月 10日に落城。 その後、廃城となる。 |
平群町教育委員会 |