2011年11月4日(金)

** 光明寺〜五塚原古墳 **



10:45 新金岡 〔地下鉄御堂筋線〕
11:04 動物園前 〔地下鉄堺筋線〕
11:28 淡路 〔阪急京都線〕
11:50 長岡天神

12:02 長岡天満宮・八条ヶ池
12:12 長法寺小学校前
12:30-56 光明寺
12:56-13:20 寺門前で休憩
13:30 丹波街道&善峰道の交差する地点
13:36 善峰川・石見橋
== この辺りから工事車両や一般車多く、注意要す! ==
13:55-14:15 竹林に沿って歩く(ハイキング気分を取り戻す)
14:20 小畑川・竹の里大橋
14:27 京都市立上野小学校前
14:35 小畑川・新上里人道橋
14:50-57 五塚原(イツカハラ)古墳
15:17 東向日駅着

15:25 東向日
15:57 淡路
16:20 動物園前
16:37 新金岡



八条ヶ池から長岡天満宮を望む


光 明 寺
 当寺は西山浄土宗の本山で、寺伝によれば、建久九年(1198)に蓮生法師(熊谷次郎直実)により創立され、 法然上人を開山第一世としています。境内は広く、洛西一の伽藍を誇り、主要な建物は山内に点在して廊でつな がれています。応仁、天正の兵火にあい、江戸時代には享保十九年(1734)の火災により焼失し、大半の建物はそれ 以後の建立です。
 総門をくぐり、美しい石畳の参道を登ると、正面に壮大な御影堂が、その右奥には阿弥陀 堂があります。御影堂は宝暦三年(1753)の再建で、派手な装飾はないが全体的構成の精美性を意匠の主眼としたも のです。阿弥陀堂は寛政十一年(1799)の建立で、本堂より少し華やかな造りになっています。御影堂の後方にある 御廟は明暦二年(1656)の再建で禅宗様を基調とした華麗な造りです。軒下回りの組物には多くの彫刻が施され、廟 内の板壁は飛天や雲、蓮の花などが極彩色で描かれています。その前にある拝殿は山内では最も古い承応二年(1653) の建築です。御影堂の左下には、天文元年四年(1736)の釈迦堂、勅使門があり、庫裏、講堂へと続きます。天保四年 (1833)に建立された講堂は食堂とともに浄土宗寺院でも檀林(仏教の学問所)に関する類例の少ない遺構群でありま す。
平成五年二月            長岡京市教育委員会


総門前
色付き始めているが、境内はまだまだのよう…

2003/11/23に、確かテレビで紹介されているのを観て、初めて訪れた
しかし、拝観料を払ってまで入る気は起らなかったようである…
…総門前から境内を覗く…

御影堂
この日は紅葉の前なので、自由にお入りください、のようである

御影堂
向うにちょっと見えているのが阿弥陀堂

阿弥陀堂

御影堂の裏手、阿弥陀堂の左手から上にある建物を望む
(…上って行くことは禁止されている…)
3倍ズーム
この写真では、感動的であった美しさは捉えられていないのが残念…

善峰川・石見橋から上流方向を望む

竹林に沿って歩く
車の恐怖から解放され、ほっとする…
しかし実際は、この写真より暗く、カラスが飛び交う個所もあった

小畑川・新上里人道橋から上流方向を望む


五 塚 原 古 墳
 前方の松に覆われた小高い丘陵上に五塚原古墳があります。
 古墳時代前期、今から約1650年前の 前方後円墳です。後円部の一部が住宅建設によって壊れていますが、元の姿をよくとどめている古墳です。
  本格的な調査は実施されていませんが、1977年に京都大学考古学研究室が測量調査を実施して、その規模があき らかになりました。それによると、全長94m、後円部の直径54mで高さは8.5m、前方部の幅36mで高さは4m、くびれ 部の幅18mです。墳丘斜面にはこぶし大から人頭大の河原石を使用した葺石(フキイシ)があり墳丘の裾部(スソブ)では 埴輪片も採集されています。
 古墳の主体部は、帝塚山大学の電気を利用した調査によって一部明らかとな りました。それによると後円部には東西15m、南北11mの墓あな、前方部には東西5m、南北7mの墓あながあることが 判明しました。
 向日丘陵の古墳群が竹藪の土取りなどによって次々と姿を消す中で元の姿をよく残している この古墳は向日市の貴重な文化財の一つです。
向    日    市
向日市 教育委員会