2011年4月26日(火)

** 古代出雲の旅(5) **

== 神原神社古墳 ==



7:30 民宿を出て、出雲市駅へ(ゆっくり歩いて20分)…

8:40 出雲市 (\650-) 〔山陰本線〕
8:59 宍道(ここで乗り換え)
9:04 宍道 〔木次線〕
== 加茂中駅から神原神社古墳まで30分位で…と聞く ==
== 加茂岩倉遺跡まで遊歩道があるかも…との期待を抱く ==
9:37 木次

== 情報収集に少し時間がかかる ==
9:53 出発
== 斐伊川の土手で出会った人から情報収集(10分)
神原神社古墳まで歩いて行くには遠すぎるかも… ==

10:14-17 八俣の大蛇公園
== 途中トイレに寄る(10分位) ==
10:57-59 八本杉
11:01-06 斐伊神社
11:07-18 神社の近くに住んでいる方に道を尋ねる
== 神原神社古墳まで車で送ってやるという申し出を受け感動する ==
== また古代史に関する新聞の切り抜きを見せて貰う ==
11:35 木次駅着

12:10 木次 (\230-) 〔木次線〕
12:30 加茂中

== 駅前を少し歩くが、人の姿がない?!…偶然バスが通りかかる! ==
12:38 バスに乗車 (\200-)
12:47 降車 ==赤川の土手近くで==

== 加茂岩倉古墳までの遊歩道はなく、バスで行くしかない、と ==
== バスで行けたとしても、帰りのバスは? 木次線との連絡は? 断念する ==
12:55-13:45 神原神社&神原神社古墳
13:58-14:03 宇能遅神社
14:11 中の大橋(赤川)
14:17 加茂中駅前
14:32-37 加茂小学校の傍の見晴らしの良い小高い山
14:50 加茂中駅着

15:28 加茂中 (\480-) 〔木次線〕
15:42 宍道 (山陰本線に乗り換え)
16:06 宍道
16:30 松江

== 電話で宿探し…民宿は市内にはなく、近くのホテルに決める ==
17:05 松江アーバンホテル(シングルはなく、ツインに素泊り)
17:35 外出
18:40 帰室



加茂中駅で降りる
(宍道方向)

加茂中駅
赤川の堤防が決壊し、濁流はレールまで覆いそうになった、とか
線路は地表より2m(?)位高くなっている
この時の堤防決壊で、赤川の堤防拡張工事が行われ
神原神社古墳発見となったようである

幸運にもバスが通りかかり、この近くで降りる
神原神社古墳近くまで来ることができた

赤川の堤防 神原神社古墳が見えている
(この方向に赤川は流れ、斐伊川に合流する)

手前が神原神社古墳(移築石室)
その向こうが新しく建てた神原神社




神原神社古墳の竪穴式石室(移築)
 ここにある石室は、もと現在の神社の北側にあった神原神社古墳の埋葬施設を移築したも のである。古墳は昭和47年(1972年)、斐伊川の支流、赤川の拡張事業によって発掘調査され、 石室内部から景初三年(238年)の銘文を持つ銅鏡が出土している。この年号は、邪馬台国(ヤマタイコク) の女王卑弥呼(ヒミコ)が魏(ギ)に使いを送り、銅鏡百枚を授かった年であり、卑弥呼の鏡を出土した 古墳として全国に知られることとなった。
 古墳の墳丘は復元規模29mX25m、高さ5m以上の大形 方墳で、内部の石室はここに見るように多数の板石を積んで造られた竪穴式石室である。この石室は 内法で長さ5.8m、幅1m前後、高さ1.4mで、床には粘土が敷かれ、その上に長さ5.2mの割竹形木棺が置 かれた痕跡が残っていた。また、これらの下には排水溝や、朱と土器5個を納めた長方形の穴が発見さ れている。
 棺内には多量の朱が認められ、三角縁神獣鏡(サンカクブチシンジュウキョウ)1面と武器や農工具 などの多量の鉄製品(素環頭大刀1本、剣1本、鏃(ヤジリ)36本、鍬先1点、鎌1点、鑿(ノミ)1点、斧2点、ヤ リガンナ1点、錐(キリ)2点、縫針(ヌイバリ)2点)が、棺外からは鉄拳1本が出土している。また、石室天井 石の上面からは祭祀用と考えられる壺やそれを載せる器台の破片が多数出土している。
 この古墳 は古墳時代初期の典型的な特徴を備えており、山陰で最も古いものと考えられている。銅鏡や豊富な鉄 製品を入手することができた首長がこの地域に存在していたことは、出雲の古墳時代を語るうえで極め て重要である。また、南側丘陵にはこの古墳に前接する時期の小墳が多数存在し、そのひとつから県内 初の破鏡が出土し注目されている。なお、出土品は昭和55年6月9日に国の重要文化財に指定されている。
平成12年(2000年)3月 島根県教育委員会
雲 南 市 教 育 委 員 会

景初三年の銘のある鏡について
 景初三年の銘のある鏡は、他に大阪府(私注:和泉市上代町(ワタシガウマレタトコロ)) の黄金塚古墳で出土した鏡が一枚あるのみであり、全国でただ二枚のみである。この鏡は中国では 出土せず、日本製の鏡であるという説がある。ただいずれにせよ、ヤマト朝廷が貴重なものとした鏡である ことは間違いなかろう。
 このような鏡が出雲で出土したことは、いったい何を意味するのであろうか。 おそらく前政権である出雲国は、いくら弱小化したとはいえ、古墳時代においてもヤマト朝廷にとって無視 できない国であったはずである。特にアヂスキタカヒコネの本拠地であった加茂の地は、出雲王朝の遺民が 多く住んでいた土地であり、気にかかる存在であった。だが、この遺民たちはいたって従順であり、特別な 制圧が必要とはされなかった。それでヤマト朝廷はそれをよしとして、この地の豪族であった神原神社古墳 の被葬者に、魏の王が卑弥呼に賜ったという景初三年の銘のある鏡を与えたのであろう。豪族はそのことを 栄誉として、鏡を抱いて永遠の眠りについたのである。そしてその古墳に葬られた豪族は子孫たちによって 神とされ、彼の眠る古墳の上に神社が建てられたのではなかろうか。
梅原猛著『葬られた王朝』(P.210)


神原神社
神原神社古墳(移築石室)は右手

神原神社の拝殿前から神原神社古墳(移築石室)を望む
そのすぐ向こうが赤川の土手
赤川は左手方向に流れ、斐伊川に合流する

神原神社古墳を後に、加茂中駅へ戻る…
中央前方から左寄りの小高い山は
加茂中駅のすぐ近く、加茂小学校傍にある山だろう…

見晴らしが良い!
加茂小学校傍の小高い山

神原神社古墳方向を望む

同地点から
神原神社古墳方向から少し右に視点を変え
山頂に塔のようなものが見える山の方向を望む
あの山の麓に加茂岩倉古墳がある、とのこと
荒神谷遺跡はその山の向こう方向にあるようだ…
…小学校校庭の車に注目してください…

荒神谷遺跡:昭和59年に銅剣358本、60年に銅矛16本、銅鐸6個が出土
加茂岩倉古墳:平成8年に39個の銅鐸が一度に出土(全国最多)