2011年4月25日(月)

** 古代出雲の旅(3) **

== 須 佐 神 社 ==



11:30 出雲大社 (\510-) 〔一畑バス〕
11:55 出雲市駅
12:40 出雲市駅 (\800-) 〔一畑バス〕
== バスは神戸(カンド)川沿いに山地の方へ… ==
13:20 出雲須佐

== 須佐川沿いに歩いて行く…(この時点で川の名前は分かっていないが) ==
14:13-30 須佐神社
== …帰り… ==
14:37 佐田橋(須佐川)
14:39-42 須佐宮司家
14:58 向田橋(須佐川)
15:03 出雲市立須佐小学校
15:10 大呂(オロ)川[別名:ハタ川?]が須佐川に合流する地点
== 地元の人に教えてもらう、端(?)だからハタ川とも言う、と ==
15:35 出雲須佐バス停着
== ここで須佐川が神戸(カンド)川に合流する ==
== 神戸川は蛇行しながら長浜神社の傍を通り、稲佐浜に注いでいる ==


15:50 出雲須佐 (\800-)
16:29 出雲市駅

16:32-17:05 喫茶店で休憩
17:25 民宿「お宿いなば」着



神戸(カンド)川沿いにバスは進んで行く…

バスの終着地点、バス停:出雲須佐より
バスは神戸川に架かるあの橋を渡り、こちらへ…
須佐神社は真っ直ぐ方向、須佐川に沿って歩いて行く…

須佐神社までは約50分かかった
歩き始めて10分を少し過ぎた頃
須佐川上流方向を望む

須佐神社までもうすぐだろう…

40分経過地点
橋の向うに見えるあの辺りの森だろう…

須佐神社に到着! (約50分かかる)

須佐神社 (出雲市)
 須佐神社(すさじんじゃ)は、島根県出雲市にある神社である。式内社で、旧社格は国幣小社。 出雲國神仏霊場第十八番。
 須佐之男命を主祭神とし、妻の稲田比売命、稲田比売命の両親の 足摩槌命・手摩槌命を配祀する
 『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来 て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って 「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐 氏は、須佐之男命の子の八島篠命を祖とすると伝える。
 旧社地は神社の北方にある宮尾山にあった とされる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。
== ウィキペディア(フリー百科事典) ==

須 佐 神 社 に つ い て
 スサノオの住所とされるこれらの神社(私注:須賀神社、八重垣神社)のほかに、晩年の スサノオが過ごしたと伝えられる須佐(スサ)神社がある。
 須佐神社は、オロチ伝説が残る奥 出雲地方や、熊野大社、八重垣神社がある意宇(オウ)郡の地から遠く離れた飯石(イイシ)郡(現出雲市) に鎮座している。出雲には二つの大きな平野があり、一つは意宇郡、すなわち今の松江市を中心と する意宇平野で、もう一つは出雲市を中心とする出雲平野であるが、この出雲平野の奥に、スサノ オがクシナダヒメと一緒に住み、そこで人生を終えたと伝えられる須佐神社があるということは たいへん重要な意味を持つ。
 というのも、出雲平野は意宇平野よりはるかに多くの水田があ り、豊かなのである。おそらくスサノオは、意宇平野より農業に適した出雲平野を自らの本拠地と しようと考えたのであろう。
== 梅原猛著『葬られた王朝』P.59 ==


本殿奥の御神木 杉の大木
江原啓之氏によれば、出雲で最強の霊的パワースポット、とか

須佐国造館(須佐宮司家・須佐建紀宮司)

須佐国造館前から須佐神社の森を望む

向田橋(須佐川)から下流方向を望む
…須田小学校が見える…

この辺りで、帰宅する中学生たちとすれちがう
「こんにちわ!」と元気良い挨拶を受ける…
… 奈良や和歌山の集落を歩いていて経験しているが …
その後、会う度に挨拶を受け、心が動く…

あと10分でバス停に着くだろう…