須佐神社 (出雲市) |
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須佐神社(すさじんじゃ)は、島根県出雲市にある神社である。式内社で、旧社格は国幣小社。
出雲國神仏霊場第十八番。 須佐之男命を主祭神とし、妻の稲田比売命、稲田比売命の両親の 足摩槌命・手摩槌命を配祀する 『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来 て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って 「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。古来須佐之男命の本宮とされた。社家の須佐 氏は、須佐之男命の子の八島篠命を祖とすると伝える。 旧社地は神社の北方にある宮尾山にあった とされる。現社地は盆地のほぼ中央部にあり、中世の時点ではすでにこの地にあったと考えられる。 |
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須 佐 神 社 に つ い て |
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スサノオの住所とされるこれらの神社(私注:須賀神社、八重垣神社)のほかに、晩年の
スサノオが過ごしたと伝えられる須佐(スサ)神社がある。 須佐神社は、オロチ伝説が残る奥 出雲地方や、熊野大社、八重垣神社がある意宇(オウ)郡の地から遠く離れた飯石(イイシ)郡(現出雲市) に鎮座している。出雲には二つの大きな平野があり、一つは意宇郡、すなわち今の松江市を中心と する意宇平野で、もう一つは出雲市を中心とする出雲平野であるが、この出雲平野の奥に、スサノ オがクシナダヒメと一緒に住み、そこで人生を終えたと伝えられる須佐神社があるということは たいへん重要な意味を持つ。 というのも、出雲平野は意宇平野よりはるかに多くの水田があ り、豊かなのである。おそらくスサノオは、意宇平野より農業に適した出雲平野を自らの本拠地と しようと考えたのであろう。 |
== 梅原猛著『葬られた王朝』P.59 == |