高 天 彦 神 社 御所市高天 |
---|
御祭神 高皇産霊尊(タカミムスビノミコト) 由緒 天照大神の子の天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)に 本社の御祭神の娘、栲幡千々姫(タクハタチジヒメ)が嫁ぎ、御子の瓊々杵尊(ニニギノミコト)が高天原から降臨 される。その神話に言う高天原がこの台地である。 御祭神を祖神とした葛城族は、大和朝廷 に 先行する葛城王朝を築き、亡びた後も平群・巨勢・蘇我の豪族として栄えた。 延喜の制で は、名神大社に列し、月次、相嘗・新嘗には、官幣に預ってきた神社である。 平成 二年十二月吉日 寄贈 御所ライオンズクラブ |
高天彦神社 |
---|
当神社は金剛山中腹の脱塵幽谷のこの勝地に鎮座し、社殿の出来る以前より 背後の円錐状の峰(白雲岳)を御神体とされて、高天彦大神、高皇産霊神(タカミムスビノカミ) 始め市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)、菅原道真公を祀って御祭神と成っています。 本殿の 高皇産霊神は、高御産巣日神とか高木神などと記され古事記の冒頭に登場しています。 「天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は天之御中主神、次に高御産巣日神、次に 神産巣日神、この三柱の神は、みな独神と成りまして、身を隠したまひき」(岩波文庫) と記されて、高い位の神様とされています。 天孫降臨や神武神話の重要場面で高天原の 指令者として大活躍をする(日本書紀)神様とされています。 高皇産霊 神(タカミムスビノカミ) むすび…天地万物を産(む)し成す霊妙な神霊、万物の生成、育成、 発展 むす……(うむす)の約、生す、産す、発生する、生まれる、蒸す、苔むす、むす こ、むすめ、契りをむすぶ等 人間初めて、全て生物は蒸(むす)されているから体温が 有り、生命がやどり維持されていると言われます。この様に万物の誕生、育成、発展を司る 神様として、古代より崇敬されている高天彦大神です。 高天彦神社宮司 鈴鹿義? |
高天彦神社 |
---|
高天彦神社(たかまひこじんじゃ)は、奈良県と大阪府の県境にある金剛山の東麓、奈良
県御所市高天にある、延喜式内社、名神大社。 祭神は高皇産霊尊、市杵嶋姫命、菅原道真の 3柱だが、元々は葛城山の地主神の高天彦を祀っていたとも言われている。 奈良県南部の御所 市高天。金剛山麓に広がる台地上に位置する。古くは葛城といわれた地域で、そこにそびえ立つ 金剛山は、古くは高天山といわれていた。付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地で、ここに 所在する高天彦神社は、延喜式では最高の社格とされた名神大社で、祭神は葛城氏の祖神高皇産霊 [たかみむすび]神。社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。参道の両側には杉の古木が立ち 並び、神さびた雰囲気を漂わせている。江戸時代初頭までは、この地が高天原だというふうに考え られていた。 |
高天寺 橋 本 院 高野山真言宗 |
---|
四十四代元正天皇(715-724)の勅により養老年間、僧行基が開いた高天寺の一子院で、始めは
奈良興福寺に所属した。(興福寺一乗院雑記)のち弘法大師の真言宗所属となる。 四十五代聖武 天皇(724-749)も深く帰依し、中国より日本に来た鑑真も高天寺の住職に任命したいわれる程の格式の 高い大寺院であった。金剛山転法輪寺七坊の一つとして石寺、朝原寺などとともに権威を誇った寺で あった。 また葛城修験宗の根本道場として役の小角(オヅヌ)の修行した寺でもあった。 本尊十 一面観世音菩薩の立像は、木彫五百四十七センチの巨像で江戸期に大修復された金箔の偉容を誇る長 谷式観音で生かせいのちの本尊として近郷の信仰をあつめてきた。 脇壇に五十匹の象に乗った普 賢菩薩、牛王にまたがった大威徳明王を奉祀する。 寺宝のねはん像は珍らしい木彫で、目下奈良 国立博物館に蔵せられている。 平成四年五月吉日 御所市教育 委員会 寄贈 御所ライオンズクラブ |