2011年1月18日(火)

** 峯山百体観音〜高天彦神社 **



11:20 高見ノ里 (\480-) 〔近鉄南大阪線〕
11:57 尺土
12:05 御所
12:17 近鉄御所駅 (\460-) 〔奈良交通バス〕
12:38 東佐味

12:42-45 龍華山 弥勒寺 (真言宗)
12:47-13:20 峯山百体観音 & 休憩
13:33 風の森バス停
13:36 風の森神社前
13:49 高鴨神社前
13:50-14:15 葛城の道歴史文化館
== 山口神社の祭り:とぐろを巻いた藁の蛇の展示 ==
== 鴨都波神社のある地域で発掘された展示物、等 ==
14:43 高天彦(タカマヒコ)神社参道入り口
== すぐに神社に着くと思いきや、…この上りはきつい! ==
14:56-15:03 高天彦神社
15:13-20 橋本院
15:33 極楽寺
15:44 住吉神社
16:07 長柄(ナガラ)神社
16:25 室交差点
== ここから葛城川に沿って、国道24号線の歩道を行く… ==
16:50 鴨都波神社前
16:55 近鉄御所駅着

17:04 御所 (\480-)
17:23 尺土
18:02 高見ノ里



赤と青の旗が見える東佐味バス停から東へ2、3分歩くと弥勒寺
その弥勒寺を出て、金剛山を望む
今日の目的地、高天彦神社はあの円錐状の山の辺りであろうか…

峯山百体観音
最初に祀られているのは、那智山 青岸渡寺

百体観音の峯山山頂から金剛山山頂を望む

風の森神社近くから
峯山百体観音が祀られている峯山を振り返る

高鴨神社の傍にある歴史文化館

上り道でやや疲れてきたところで、高天彦神社参道がみえた!
この山に祀られているのかと思ったが、そうじゃなく
この時期、汗も出る、きつい上りであった!…

山をやっとの思いで上りきり、展望がパッと開ける!
…御神体の円錐状の峰、白雲岳が眼の中に飛び込んできた…


高 天 彦 神 社  御所市高天

御祭神 高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)

由緒 天照大神の子の天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)に 本社の御祭神の娘、栲幡千々姫(タクハタチジヒメ)が嫁ぎ、御子の瓊々杵尊(ニニギノミコト)が高天原から降臨 される。その神話に言う高天原がこの台地である。
 御祭神を祖神とした葛城族は、大和朝廷 に 先行する葛城王朝を築き、亡びた後も平群・巨勢・蘇我の豪族として栄えた。

延喜の制で は、名神大社に列し、月次、相嘗・新嘗には、官幣に預ってきた神社である。

    平成 二年十二月吉日
     寄贈 御所ライオンズクラブ


高天彦神社

当神社は金剛山中腹の脱塵幽谷のこの勝地に鎮座し、社殿の出来る以前より 背後の円錐状の峰(白雲岳)を御神体とされて、高天彦大神、高皇産霊神(タカミムスビノカミ) 始め市杵嶋姫命(イチキシマヒメノミコト)、菅原道真公を祀って御祭神と成っています。
本殿の 高皇産霊神は、高御産巣日神とか高木神などと記され古事記の冒頭に登場しています。
「天地初めて発けし時、高天の原に成れる神の名は天之御中主神、次に高御産巣日神、次に 神産巣日神、この三柱の神は、みな独神と成りまして、身を隠したまひき」(岩波文庫) と記されて、高い位の神様とされています。
天孫降臨や神武神話の重要場面で高天原の 指令者として大活躍をする(日本書紀)神様とされています。

     高皇産霊 神(タカミムスビノカミ)

むすび…天地万物を産(む)し成す霊妙な神霊、万物の生成、育成、 発展
むす……(うむす)の約、生す、産す、発生する、生まれる、蒸す、苔むす、むす こ、むすめ、契りをむすぶ等
人間初めて、全て生物は蒸(むす)されているから体温が 有り、生命がやどり維持されていると言われます。この様に万物の誕生、育成、発展を司る 神様として、古代より崇敬されている高天彦大神です。

    高天彦神社宮司  鈴鹿義?


高天彦神社
高天彦神社(たかまひこじんじゃ)は、奈良県と大阪府の県境にある金剛山の東麓、奈良 県御所市高天にある、延喜式内社、名神大社。
祭神は高皇産霊尊、市杵嶋姫命、菅原道真の 3柱だが、元々は葛城山の地主神の高天彦を祀っていたとも言われている。
奈良県南部の御所 市高天。金剛山麓に広がる台地上に位置する。古くは葛城といわれた地域で、そこにそびえ立つ 金剛山は、古くは高天山といわれていた。付近は天上の神々が住んだ高天原の伝承地で、ここに 所在する高天彦神社は、延喜式では最高の社格とされた名神大社で、祭神は葛城氏の祖神高皇産霊 [たかみむすび]神。社殿後方の白雲峯(694m)を御神体とする。参道の両側には杉の古木が立ち 並び、神さびた雰囲気を漂わせている。江戸時代初頭までは、この地が高天原だというふうに考え られていた。
== ウィキペディア(フリー百科事典) ==


橋本院へ向けて…

高天彦神社から10分位歩いてくると、橋本院が見えてくる…
葛城の道歴史文化館でお聞きした話しでは…
この辺りには多くの寺院があったが、明治の廃仏毀釈の以前すでに、
南北朝の戦乱時、楠正成へ食料の補給をこちら側からしていたとの理由で
多くの寺院などが焼き払われた、ということであった。


高天寺 橋 本 院 高野山真言宗
 四十四代元正天皇(715-724)の勅により養老年間、僧行基が開いた高天寺の一子院で、始めは 奈良興福寺に所属した。(興福寺一乗院雑記)のち弘法大師の真言宗所属となる。
四十五代聖武 天皇(724-749)も深く帰依し、中国より日本に来た鑑真も高天寺の住職に任命したいわれる程の格式の 高い大寺院であった。金剛山転法輪寺七坊の一つとして石寺、朝原寺などとともに権威を誇った寺で あった。
また葛城修験宗の根本道場として役の小角(オヅヌ)の修行した寺でもあった。
本尊十 一面観世音菩薩の立像は、木彫五百四十七センチの巨像で江戸期に大修復された金箔の偉容を誇る長 谷式観音で生かせいのちの本尊として近郷の信仰をあつめてきた。
脇壇に五十匹の象に乗った普 賢菩薩、牛王にまたがった大威徳明王を奉祀する。
寺宝のねはん像は珍らしい木彫で、目下奈良 国立博物館に蔵せられている。
     平成四年五月吉日
         御所市教育 委員会
      寄贈 御所ライオンズクラブ


薄暗い山中から抜け出して
パッと!明るい眺望が開ける
これから極楽寺へ向けて下り、帰路へと向かう

葛城川の堤から
金剛山&水越峠&葛城山を望む