在原業平朝臣と天川 |
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在原業平朝臣は第五十一代平城天皇の皇子阿保親王の第五の皇子である。平安初期の大歌人で、
当時六歌仙の一人として崇められた。又世紀の美男子として噂されたことも有名である。 天の川原にわれはきにけり 在原業平朝臣 ひととせにひとたび来ます君待てば 宿かす人もあらじとぞおもふ 紀の有常朝臣 この二首の 歌は第五十五代文徳天皇の皇子惟喬親王が時の天皇の特使として天河弁財天社え参詣されるにあたり、 在原業平紀の有常が同伴した時の歌である。 狩りくらしの歌は南北朝時代以前より現在にいたる まで、多くの歌人に親しまれていて有多である。 なほ紀の有常の歌によって業平がこの時以前に も、度々天川詣をしていたことがわかる。それは棚??女(??娘)との慕心の積み重ねでもあった。 「河海抄」という書物に「在原業平朝臣天の川の岩窟に入定し給ふ」とあり、この事を大和名所図絵や その他の書物、又は人物の證言によって天川で薨去されたことに間違はない。 天川村には「在原業平 朝臣の墳墓地」として坪之内と北小原と二カ所にある。当時、五色も北小原も坪之内領であった。しかも再 三来訪される業平朝臣の相手役の女性が北小原在住の?家の娘であったと想像すると、このことの意義がわ かる。 ともあれ、歌人として国文学の大先覚者としての業平朝臣の遺徳を偲んで、今日に至ったもの であることに間違いない。 この度、関係機関の配慮と名迫久記君の肝煎りによって、坪内区長を初め 有志の方々の奉仕で「在原業平朝臣の墓」として立派に甦ったことを記念したい。 |
大 峯 奥 駈 道 |
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洞川には女人禁制の山上ヶ岳への登山口があり、正面の尾根は山上ヶ岳への登山
コースとして尾根伝いに山上ヶ岳山頂へと結ばれています。又この尾根にはいくつか
の行場が点在しており、修験の場となっています。 この尾根道は吉野山から熊野 へと続く大峯奥駈道とよばれている山岳道で、大峯への修験者や登山者など多くの人々 が訪れています。 大峯奥駈道は奈良県大淀町の柳の宿から和歌山県本宮町の熊野 本宮大社に至る、道程約90kmに及ぶ大峰山脈の峰々を通過する山岳道で、数ある紀 伊山地の参詣道とは一線を画す過酷な修行のためのコースとなっています。 |
環境省・奈良県 |
かりがね橋 |
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当地方では「いわつばめ」を一名「かりがね」と呼びます。 洞川の「いわつばめ」は奈良県の天然記念物です。 此のつり橋は 「いわつばめ」の飛ぶ姿に似てスマートな処からこの橋名をつけました。 (長さ120米、巾1.5米、高さ約50米) |
昭和56年3月完成 大峯山 洞川観光協会 |
龍泉寺 |
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龍泉寺(りゅうせんじ)は奈良県吉野郡天川村洞川(どろがわ)にある真言宗醍醐派の寺院で、
同派の大本山である。山号は大峯山。吉野の竹林院、桜本坊、喜蔵院、東南院と共に山上ヶ岳にある
大峯山寺の護持院の1つ。本尊は弥勒菩薩。近畿三十六不動尊霊場第31番札所。 洞川地区の中心的 寺院として龍王講社を組織し、多くの参詣講を組織しているなど、大峯山山上ヶ岳への登拝の出発点と なっている。 歴史: 伝承によれば 700年頃 役行者が泉を発見し、八大龍王を祀ったのが始ま りとされる。 明治時代 山上ヶ岳の蔵王堂(大峯山寺)の護持院となる。 昭和21年(1946年) の洞川地区の大火で焼失し、現本堂は昭和35年(1960年)の再興である。 |