2010年10月27日(水)

** 紀の川堤散策 **

(橋本橋⇔岸上橋)



12:07 中百舌鳥 (\540-) 〔南海高野線〕
12:50 橋本

12:53-13:09 橋本市観光協会
13:15-20 紀の川(橋本橋)
14:19 学文路(カムロ)駅前
14:22-28 紀の川(岸上橋)
15:30 橋本駅着

15:35 橋本 (\540-)
16:11 中百舌鳥



あれが橋本橋か…

橋本橋から上流方向&金剛山を望む
鮎釣りの人だろう…

渡り切った地点から南葛城山&三石山を望む

橋本橋&金剛山方向を振り返る

飯盛山&北山を望みながら…
紀の川の堤防を(下流方向へ)ぶらり、ぶらり…と

この辺りで河は急に湾曲している

ちょっと岸辺に下りて、岸上橋を望む
道はない。また上り、学文路(カムロ)駅へ…

岸上橋から下流方向を望む

岸上橋を渡って、学文路(カムロ)駅方向を振り返る

… 戻り道 …

橋本橋のすぐ近くまで戻ってくる…
約2時間と少しかかる…

紀の川下流方向(学文路方向か…)
橋本市指定文化財(第26号)
旧高野街道
東家渡場大常夜燈籠(トウゲワタシバダイジョウヤトウロウ)
昭和56年8月28日指定

東家渡場大常夜燈籠
 高野街道は京都・大阪・堺から河内長野を経て高野山へ向かう道で、 古くは九度山町の慈尊院(ジソンイン)から町石道を登った。その後、御幸辻から 南下して当地に至り、紀の川を渡って学文路(カムロ)から高野山へ登っていく道 が開かれ、室町時代後期にはもっぱらこの道が用いられるようになった。橋本 の地名の由来になった橋は、天正15年(1587)に応其上人(オウゴショウニン)によって 架けられたが、3年後に紀の川の増水により流失し、舟による横渡(ヨコワタリ)が行 われるようになった。その紀の川北岸渡場に建てられたのがこの大常夜燈籠で ある。この石燈籠が建てられたのは文化11年(1814)で、長く「無銭横渡」の 渡場を伝えてきたが、その後、河川改修のために現在地に移築された。元は同型 の燈籠2基が相対して建てられていたが、うち1基は紀の川の洪水により流失し た。台座四面の銘文によると、阿波国(アワノクニ)藍(アイ)商人の連中をはじめ、京都、 難波、堺の商人および和歌山の川舟仲間ほか多人数の講社、信者などの浄財によ って建てられたもので、当時の弘法大師信仰の広がりと、かつての紀の川渡場の 賑わいを今に伝えている。
平成11年3月
橋本市教育委員会
東   家   区