信太神社の樟樹 |
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県指定天然記念物 指定:昭和34年1月8日 |
当神社の樟樹は、江戸時代後期に刊行された紀伊續風土記に見られ、現在まで
度重なる風雪に耐え、樹勢も良好で樹雲の宿る神木としての風格をそなえている。 根元から胸高周囲が2.1mのクロガネモチの大木が癒合し、神秘性を現しているのも 奇観である。 平成 5年 3月 橋本市教育委員会・和歌山県教育委員会 |
信太神社(信太五社大明神) |
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鎮座地 一宮 天照大神 (アマテラスオオミカミ) 二宮 天津彦 彦火瓊瓊杵尊 (アマツヒコヒコホニニギノミコト) 三宮 饒速日尊(火明命) (ニギハヤヒノミコト) 四宮 神日本磐余彦尊(神武天皇) (カムヤマトイワレビコノミコト) 五宮 岩長比賣命 (イワナガヒメノミコト) 例祭日 十月第二月曜日 御由緒 大字田原・上中・下中・九重の総氏神で、神社の祭祀は四か村が分担して行っ ている。 創建の年代や変遷については、境内にある県指定天然記念物の 樟樹の大木からその古さが証明される。 古文書によると、天武天皇の白鳳 三年(674年)に、役行者が葛城山で修行の際に当社の境内で誦経されたとあります。 天元二年(979年)に拝殿・御供所・神庫・楼門を改造したという伝えがあり、 このことから1300年前には、すでにこの神社が創建されていたものと思われる。 内鳥居に掲げられていた「信太神宮」の額面は弘法大師空海上人の筆によるも のと伝えられ、応永二年(1395年)まで神庫に保存していたというが、現在は紛失して不明 である。 信太神宮は将軍及び国守の御崇敬によりたびたび修繕を加えられ、 又四か村の氏子の方々の崇敬により繁栄する。 この神社は「おんごろ(土龍 (モグラ)のこと)の宮」として近郷に名高く、神社の北隣にあった別当寺(神宮寺)から土龍 (モグラ)封じの護符が出されていたが、寛政六年(1794年)の火災で別当寺が焼失、このとき神 社の宝物や古文書が烏有に帰したことは残念である。 むかしから氏子の四か 村には土龍(モグラ)が生息していないと言い伝えられている。 |