2010年5月31日(月)

** 紀見峠駅〜御幸辻駅 **



10:22 中百舌鳥 (\480-) 〔南海高野線〕
11:06 紀見峠

11:29 慶賀野橋東詰(T字)交差点
11:32 高野線の下をくぐる
11:38 林間田園都市駅
12:31 御幸辻(ミユキツジ)駅
12:40-13:22 杉村公園 & 休憩
13:28-30 丸尾橋(杉村公園内)
== 三石山への道標があったので、行ってみる… ==
13:40 林間田園都市駅へ通じているのか(?)…、引き返す
13:48 丸尾橋
13:55 杉村公園入口
14:03 御幸辻駅着

14:14 御幸辻 (\540-) 〔南海高野線〕
15:01 中百舌鳥



紀見峠駅を振り返る(岩湧山方向)

林間田園都市駅方向を望む

あの慶賀野橋東詰(T字)交差点を
右に曲れば、すぐに林間田園都市駅に至る…

慶賀野橋から御幸辻駅方向を望む

林間田園都市駅を過ぎ…
線路沿いの道から谷下の集落へ下りて行く…

旧高野街道 高野山五里道標石
昭和56年8月28日指定
 高野山へ向かう街道で最も古く、多くの人々に利用されたのが東高野 街道である。この街道は京都から八幡、枚方を経て、生駒山西麓を南下し、 河内長野から紀見峠を越え、町石道から高野山へ至るもので、その成立は 平安時代後期にまで遡(サカノボ)るといわれている。その後、堺からの西高野 街道、平野(大阪市)からの中高野街道がひらかれ、河内長野でこれらが合 わさって高野山へ登ることができるようになった。なかでも西高野街道は近世 に大いに栄え、今も堺の大小路橋を起点に高野山女人堂まで1里毎に道標石 が残る。これらは「南無大師遍照金剛」の文字とともに、高野山女人堂までの 里程が記され、高野参詣の人々はこれを見るたびに1里ずつ近づく高野に思い を馳せたことであろう。これらはいずれも幕末の安政4年(1857)茱萸木村(クミノキ ムラ)(大阪狭山市)の小左ヱ門と五兵衛の発願によって13基建立され、すべて 現存する。この道標石は元々約300メートル南に建てられていたが、国道の建 設により現在地に移設された。橋本市にはこのほか紀見峠に六里道標石、東家 に四里道標石、学文路に三里道標石が残され、高野参詣の歴史の一端を今日 に伝えている。
平成16年3月
橋本市教育委員会
橋    谷    区


車道を離れ、御幸辻駅へ向けて、歩を進める…

金剛山方向を振り返る

杉村公園への道から
御幸辻駅を振り返る

杉村公園の遊歩道

芝生広場(芝生は右手に広がっている…)
(ここで休憩)

丸尾池(杉村公園内)に架かる丸尾橋

丸尾橋を渡り、10分ほど行った地点から
金剛山方向を望む(左手:林間田園都市駅方向)