2010年4月25日(日)

** 霊山〜田代湖〜新大仏寺 **



== 堺レクレーション協会主催:登山ハイキング 第254回 例会 ==
== 東海自然道 伊賀 霊山(766m) 参加費(非会員):\5,200- ==

7:35 堺市民会館前を(39名の参加者を乗せて)バス発車
7:55 松原ICで西名阪国道に入り、天理ICで名阪国道へ
9:00 伊賀インター・道の駅

9:35 道の駅を出発
== だ・ら・だ・ら・坂のアスファルト道を・・・ ==
10:48 NTT霊山無線中継所
10:56-12:00 霊山 山頂 & 休憩
== これから…ハイキング気分を満喫しつつ… ==
12:25-41 田代湖・遊歩道
12:41-13:00 田代湖堤防で休憩
14:40-15:45 新大仏寺(伊賀成田山) ==鎌倉時代に創建 ==
== 私を除いて、皆さんは大仏拝観 ==

15:45 新大仏寺を出発
16:07 名阪国道に入る
16:30-45 針・道の駅 & 休憩
== 名阪→西名阪 ==
17:55 堺市民会館前



伊賀インター・道の駅から霊山を望む

最初はハイキング気分で出発したが、
すぐに、だらだら坂の連続となるとは!…

NTT霊山無線中継所
山頂まで、あと一歩!!

県指定遺跡
霊 山 山 頂 遺 跡
 伝教大師(最澄・天台宗)が嵯峨天皇の勅願により、弘仁年中 (810〜823)国家鎮護のため山頂に大伽藍を創建されたもので、山の 姿がインドの霊鷲山(リョウジュセン)によく似ていることからこの名が付けら れたと伝えられる。
 昭和60年〜平成元年(1985〜1989)の5年間、 山頂付近全域の踏査及び3号地の発掘調査等によって、山頂が平安時 代〜江戸時代にかけての一大寺院跡であったことが確認された。
 3号地は幾度も繰り返された最後の整地面で、建物跡の基礎石は墓地 の五輪塔の地輪を転用したものであり、遺物などから、中世から近世初め にわたる寺院跡であることがわかった。
伊賀市教育委員会


霊 山 頂
 霊山(奥の院金仏)昭和16年9月26日県史跡指定(標高766米)
 この寺は寺伝によると伝教大師(最澄)の創建でその後年を経て天正9年 (1581)伊賀乱の兵火のため焼き払われたと伝えられる。
 石室に安置 の聖観音立像は延宝3年(1675)津住、但馬弥四郎藤原秀種の作青銅製の 仏像で御身丈112cmで霊山寺中興開山萬桟和尚の発起によるものである。
 又その台石(元、宝塔の台石)の側面に永仁3乙未(1295)5月10日平氏泰清 外数名の名が刻まれている。

経塚の発見によって出土した遺物
 柘植歴 史民俗資料館には代表的な平安和鏡や当寺の輸入陶器、刀剣、壺等平安末期 から鎌倉時代のものであることが確認されている。尚登山道の途中には、唐戸岩 、金鶏の鳴く谷、太鼓岩、桜地蔵等ふるさとの秘話を伝えている。


霊山から伊賀上野方向を望む

霊山から青山高原方向を望む
風力発電設備が5年程前に建てられたらしい…

田代湖に着く!

田代湖遊歩道を行く…

田代湖 南端堤から北方向を望む

田代湖南端堤でしばらく休憩

子延川沿いにやって来た道を振り返る
これから成田山の険しい登りが始まる!…

登り切って、視界が開け、笠取山&青山高原方向を望む
これから非常に急な下りとなる…

新 大 仏 寺
 新大仏寺は、三重県伊賀市(旧阿山郡大山田村)にある真言宗智山派 の寺院。山号は五宝山。本尊は盧遮那仏。
 この寺は、1202年(建長2年) 源頼朝が後鳥羽法皇の勅願寺として開創、重源を開山として創建されたと伝え られる。新大仏寺と称する所は重源上人が東大寺に敬意をはらって寺の名前に 新の字を加えた。その後、長らく衰退し、戦国時代末期にはかなり酷い状態であ った。1688年新大仏寺を訪れた松尾芭蕉はその様子を『笈の小文』や『伊賀新 大仏之記』で記している。再建されたのは江戸時代中期の寛延年間(1748年〜 1751年)のことである。
 本尊の木造如来坐像(像高4.05m)は、仏師快慶の 作で、地元では「阿波の大仏さん」として知られている。松尾芭蕉は
      丈六にかげろふ高し石の上
の句を読み、その句碑も残されている。尚 芭蕉 の生れ故郷の伊賀では句碑ではなく芭蕉塚と呼ばれている。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


大仏殿を望む

大仏殿

上人堂 & 大仏殿