2010年3月22日(月)

** 金熊寺〜林昌寺 **



10:50 堺市 (\540-) 〔JR阪和線〕
11:38 和泉砂川

11:47 泉南市立信達中学校
12:02 佐田交差点
12:10 金熊(キンユウ)寺川を渡る
12:13 阪和自動車道の下を抜ける
12:17 六尾の郷(ケアハウス)
12:37-13:20 金熊(キンユウ)寺 & 梅林で休憩
13:25-40 信達神社
14:06 金熊寺川を渡る
14:15 佐田交差点
14:32 林昌寺
14:40 愛宕山山頂:愛宕大権現
14:52 林昌寺
15:08 佐田交差点
15:10 大阪府立砂川高等学校
15:21 和泉砂川駅着

15:39 和泉砂川 (\540-)
16:19 堺市



俵池公園内のグラウンド
信達中学校傍を通ってここへ出る
砂川高校傍を通っても同じ位の道のり
俵池公園を巻くように佐田交差点を左へと…

金熊寺川を渡る
阪和自動車道、その向こうに
六尾の郷(ケアハウス)が見える

金熊寺トンネル
根来寺へと通じる、とのこと
金熊寺は(見えないが)右手方向

金熊寺&信達神社の在る山を望む

金熊寺(キンユウジ)

信達神社
撮影地点は上と同じ
金熊寺は左手方向

信 達 神 社 (元金熊(キンユウ)寺大権現宮)由緒
 後祭神  神倭磐昆古命(神武天皇)
        金山彦命  伊邪那美命
 昔泉南樽井の海岸に神武天皇の神像が出現、里人等は神意と思い引き上げ一度は 樽井の地に祀ったが、更に神意を得たため現在の地に祀ったのが信達神社の始めと伝 わる。
 天武天皇白鳳10年(682年)、役小角が金峯・熊野の両神を勧請し本殿に 合祀したもので、金熊大権現と呼ばれ、当時の信達荘13ヶ村の産土神である。
  天正年間(1572〜92年)織田信長、豊臣秀吉の根来征伐の兵火に炎上し焼失したが、 幸にして御神体は無事であった。
 江戸時代初期正保4年(1647年)、此の地の豪族 神主、矢野和泉守家次により社殿が再建された。
 金熊寺(キンユウジ)権現宮の矢野神主 が「この地に梅の木を植えなば神領益々隆昌ならん」との神の教えを受け、一族が相議して 梅木を植林したのが現在の金熊寺梅林である。


まだ咲いている梅ノ木があった!
金熊寺霊園

霊園から下りてくる
金熊寺梅林は右手上へ…
金熊寺トンネルは向こうの山を貫いている

金熊寺梅林からの眺め
(ここでしばし休憩)

金熊寺川(上流方向)

林 昌 寺
 林昌寺(りんしょうじ)は大阪府泉南市にある真言宗御室派の仏教寺院。 山号は躑躅(ツツジ)山。岡大師とも呼ばれる。
 伝承によれば、聖武天皇の勅願寺と して行基により天平年間(729年-748年)に開創されたという。現在の山号と寺号 は堀河天皇の勅号である。
 天正5年(1577年)に織田信長の雑賀攻めによる 兵火を受け全山焼失したが、堂宇は江戸時代に再建された。境内には躑躅の名所 として知られる山の斜面に造られた庭園のほか、仏足石や補陀洛渡海碑など貴重 な文化遺産を有している。
 境内の山の頂には愛宕権現社が鎮座している。
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地蔵堂から林昌寺境内を望む

愛宕大権現
(愛宕山の頂にある)
注連縄(シメナワ)の張り方が普通の神社と異なって、
出雲大社の張り方と同じになっている…
つまり、綯始(ナイハジメ)が向って左となっている??…