2010年2月28日(日)

** 意賀美神社〜種河神社 **



10:45 堺市 (\450-) 〔JR阪和線〕
== ダイヤの乱れあり ==
11:50 長滝

== 阪和線沿いに新家駅方向に進む… ==
12:10 樫井川堤&JR阪和線の下をくぐる
== 樫井川(上流方向)沿いに… ==
12:23 樫井川・下村橋
12:39-13:05 意賀美(オガミ)神社&(昼食)
== 阪和道近くまで上って行き、泉南CCを捲き==
== 新家川沿いにJR新家駅へと行く予定…… ==
13:32 紀泉病院
13:45 浄福寺(浄土宗)
13:50 新家川・高野橋
13:57-14:15 種河神社
14:25 新家川・野口大橋
14:45 大池・幸徳大橋
14:56 新家駅着

15:11 新家 (\450-) 〔JR阪和線〕
15:49 堺市



樫井川堤から雨山&和泉山脈を望む

下村橋を渡った地点から雨山を望む

意賀美神社はすぐそこに…
4年前、この堤に梅の木が植えられたとか…

意賀美(オガミ)神社の境内で休憩

阪和自動車道が見えてくる…
右方向(泉南CC)へ歩を進める…

泉南CC

種河神社の在る方(中央でなく、右手)を望む

振り返って、和泉山脈&阪和自動車道を望む
新家川はあの阪和道の下を流れてきている…
紀泉病院(白い建物)の左方向に泉南CCがある

種 河 神 社
         丹生大神
   御祭神 素盞鳴大神(スサノオノオオカミ)
         龍 王

         五穀豊穣
         縁 結 び
    御神徳 開運厄除
         家運学業
          商売繁盛

 往時荒尾山(童子畑)に祇園天王(素盞鳴大神)を祀る殿舎あり 住民の崇敬が篤かった。
 天文14年(1545年)の春に天然痘が流行し、当社の祈祷し た護符の効験により病勢が治まり庶民の崇敬が篤かった。
 しかし天正13年(1585年) 豊臣秀吉の根来征伐の兵火の為殿舎消失するも住民の信仰が篤く、山下・樫木の森(宮 村)に假社殿を建立し奉遷する。
 その後三谷荘内(新家)で種々の争論が起こり長く 和解できず、元和6年(1621年)月光院の住職・浄月清花師の奔走・思案により祇園天王・ 樫木権現(龍王)・千森の明神(丹生大神(ニブオオカミ))を合祀し、社殿を建立荘内の総社と することにより、和睦を図ろうと住民に諮るに賛同をえ、元和9年(1624年)社殿が竣工京都 御室仁和寺より種河明神の神号が授けられ明治時代に種河神社と改名されました。<拝 殿に菊の紋あり>。
【新家三本松の由来】 この争論の和平の祈念として荘内の長老 三人が松を植え幹を結び合わせた所、幹は結合し一幹となり末は三本となる。新家の三本 松として史跡に指定されています。

  末社 白山神社 水木神社
   合祀神社 八幡神社 両皇神社 八坂神社(兎田) 勝手神社 八坂神社(別所) 


新家川・高野橋を渡り種河神社に参拝し、
また新家川・野口大橋を渡り大池近くまで来る…
種河神社を振り返る

あの橋を渡れば、足の痛みも鎮まるかも…

大池・幸徳大橋

橋を渡り振り返って、和泉山脈を望む