2009年12月7日(月)

** 神於寺〜積川神社〜春日神社 **



10:15 三国ヶ丘 (\290-) 〔JR阪和線〕
10:34 東岸和田
10:35 東岸和田 (\380-) 〔南海ウィングバス〕
10:56 神於(コウノ)

== 道を教えてくれた人が蜜柑をくださる。多謝 ==
== この辺りは蜜柑を作っている農家が多い ==
11:06-15 神於寺
11:40-12:17 神於山展望台 & (昼食)
12:39-44 北阪八幡宮
12:52 外環状線道路
== 外環道の歩道を歩いて行く… ==
13:02 農産物直売所傍の交差点
== (この前はここに下りてきた) ==
13:20 牛滝川・積川大橋
13:22 積川神社南交差点(外環道を離れる)
13:23-34 積川(ツガワ)神社
13:35 宮川・高橋(宮川は牛滝川に合流)
13:45 稲葉町東交差点
== 左:蜻蛉池公園 右:春木町&松尾寺 ==
13:55 阪和道の下をくぐる
14:00 和泉市立南松尾中学校
14:03-07 春日神社
14:10 松尾川・冬堂橋
14:12 春木町交差点
14:21 春木北交差点
14:32 久保惣記念美術館
14:46 桃山学院大学
15:05 和泉中央駅着

15:08 和泉中央 (\320-) 〔泉北高速鉄道〕
15:25 中百舌鳥



神於(コウノ)バス停から、すぐこの道へ…
登って行く途中、出会った親切な人から蜜柑を頂く

(現在・修復工事中)

神於寺(コウノジ)
 神於山の南麓に位置する天台宗寺院。神於山は古来神体山として崇敬され、 山内からは弥生時代の流水文銅鐸が出土しています。かつて当寺に伝わった 神於寺縁起絵巻(南北朝期)は中世の縁起絵巻の優品として有名ですが、絵画部 分が寸断されて米国や国内のコレクター、美術館などに分散して保管されています。 縁起によれば役行者の開創で新羅から飛来した宝勝権現を山内に祀り、一旦荒廃 したのちに百済僧光忍が奈良期に中興したそうです。
 また、修験道との関わり が強く、葛城修験の一霊場として発展しました。中世にはしばしば戦場ともなり、織田 信長が紀州攻めの際に付近に逗留したこともありました。
== 岸和田市公式ウェブサイト ==


振り返る 右:本堂

登って行く…



登って行く…

神於寺方向を振り返る

神於山展望台から蜻蛉池公園を望む
(3倍ズーム)
今日は大阪湾の方までよく見える

牛滝川・積川(ツガワ)大橋から下流方向を望む

積川(ツガワ)神社
 祭神(共に井水、土地の守護神)
  生井神、栄井神、綱長井神、 阿須波神、波比岐神

当神社は崇神天皇の御世に創立され、前に牛滝川、 後に深山川の相会する処で積川の称がある。延喜式内社で和泉五社に列し、勅願 社として朝廷の崇敬も厚く優遇され、格式の高い神社として有名。2,500坪の広大な 境内の奥に桧皮葺の御本殿(三間社流造)があり、慶長年間に豊臣秀頼が片桐且元 に命じて大修理を加えられ現在に至る。その様式は桃山建築の粋を極め優雅広大、 特に高欄の彫刻は鮮美、依って大正三年特別保護建造物に指定さる。
 社宝と して白河上皇御宸筆の扁額神像は重文指定、その他淀君奉納の神輿、楠正儀寄進の 石燈籠、古鏡、古文書多数ある。
   奉納1986年10月吉日  岡 本 義 広


積川神社から少し歩いた地点から
神於山を望む

春 日 神 社
 当神社は常陸の鹿島神宮の祭神「武甕槌命(タケミカヅチノミコト)」、下総の 香取神宮の祭神「経都主命(フツヌシノミコト)」、藤原氏の氏神「天児屋根命(アメノ コヤネノミコト)」、「比売大神(ヒメオオガミ)」の四神を祭る。
 昔、当松尾荘には (春木庄ともいう)藤原氏の支配を有していた。
 ときに称徳天皇神護景 雲二年(西暦七六八年)鹿島神宮常陸国より大和国に御遷座の途中、武甕 槌命、天児屋根命が当地に逗留されたところ春日大神は元来、藤原氏の 祖先神なので、当庄内の藤原氏がこの神人親密の機会を喜び社殿を創社。
 古来より松尾荘内の総氏神、産業隆昌の神として知られ住民の崇敬の中心 神社として今日に至る。
 また境内にある槙と椿は天正年間に信長による 兵火を二度受けたが、翌春には新芽を出したという伝説により不老・延命長寿 の御神木だといわれている。
 特に春は椿の花で首輪をつくり女児に飾り、 秋は槙の実を男児に食べさすと無病息災になると信仰されている。
 槙 …… 幹の周り 2.2m 高さ 14m
 椿 …… 幹の周り 1.4m 高さ 16m
も茂り、樹齢400年以上と推測され、昭和49年3月29日 大阪府から天然 記念物に指定されている。
和 泉 市