2009年7月24日(金)

** 旧 堺 燈 台 **



== 堺女性大学・堺考古学 ・館外学習:「旧堺港と旧堺燈台周辺」 ==

13:30 南海線堺駅西・与謝野晶子銅像前集合
== 堺駅西口から旧堺燈台まで徒歩約15分 ==
15:30 旧堺燈台前散会



与謝野晶子銅像

ふるさとの潮の遠音のわが胸に
ひびくをおぼゆ初夏の雲

堺事件発生の地 & 天誅組上陸の地
 慶応4年(1868)来阪していたフランス軍艦から上陸してきた水兵らと、 堺警護中の土佐藩士とがこの周辺で交戦し世にいう「堺事件」の発端となった。
 また文久3年(1863)、天誅組はここから五条を経て吉野へと向かった。


川沿いに歩いて行く…
あの水門の傍に上れば、燈台への視界が開ける

左手奥、橋げたの間に旧堺燈台が白く見える…
龍女神像  右手:旧堺港

龍女神像
 第5回内国勧業博覧会で建設された水族館前に 建てられた像。
 平成11年(1999)堺市制110周年 記念事業の一環としてより大きな姿で再建。


燈台がかなりはっきり見えてくる…

水門方向を振り返る

史跡 旧堺燈台
 堺旧港の突端に位置する旧堺燈台は、明治10年(1877)に 建築された建物です。
 建築当初の場所に現存する木造洋式 燈台としては、わが国で最も古いもののひとつとして、昭和47年(1972) に国の史跡に指定されています。
 建築にあたっては、土台の石積 みは港湾整備と併せて備前国(現在の岡山県)出身の石工・継国真吉が 携わり、建築工事については、堺在住の大工・大眉佐太郎が行いました。
 また灯部の点灯機械については、横浜の燈台寮より英国人技師ビグル ストーンが派遣され、バービエール社(フランス)のレンズが取り付けられま した。
 建築費は2125円、点灯機械購入には約360円を要してい ます。それらの建築資金は、堺市民(当時は堺県)の寄付と堺県からの 補助金により、まかなわれました。
 その後約1世紀の間、大阪湾を 照らしつづけてきましたが、沖に向かって広がる埋め立てのため、燈台と しての役割を果たさなくなり、昭和43年(1968)にはその灯りを消すことに なりました。
 平成13年から19年まで実施した保存修理工事のさい に行われた調査では、燈台の建築過程が判明したので、燈台として最も 整った明治36年頃の姿に復元しました。


灯部
ランプの光は、発光ダイオードにより再現されている

戦前の大浜の様子

燈臺の光を見つつ

くらい海の上に 燈臺の緑のひかりの
何というやさしさ
明滅しつつ 廻轉しつつ
おれの夜を
ひと夜 彷徨(サマヨ)ふ

さうしておまへは
おれの夜に
いろんな いろんな  意味をあたへる
嘆きや ねがひや の
いひ知れぬ――

あゝ 嘆きや ねがひや 何といふやさしさ
なにもないのに
おれの夜を
ひと夜
燈臺の緑のひかりが 彷徨(サマヨ)ふ
伊 東 静 雄