堺事件発生の地 & 天誅組上陸の地 |
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慶応4年(1868)来阪していたフランス軍艦から上陸してきた水兵らと、
堺警護中の土佐藩士とがこの周辺で交戦し世にいう「堺事件」の発端となった。 また文久3年(1863)、天誅組はここから五条を経て吉野へと向かった。 |
龍女神像 |
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第5回内国勧業博覧会で建設された水族館前に
建てられた像。 平成11年(1999)堺市制110周年 記念事業の一環としてより大きな姿で再建。 |
史跡 旧堺燈台 |
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堺旧港の突端に位置する旧堺燈台は、明治10年(1877)に
建築された建物です。 建築当初の場所に現存する木造洋式 燈台としては、わが国で最も古いもののひとつとして、昭和47年(1972) に国の史跡に指定されています。 建築にあたっては、土台の石積 みは港湾整備と併せて備前国(現在の岡山県)出身の石工・継国真吉が 携わり、建築工事については、堺在住の大工・大眉佐太郎が行いました。 また灯部の点灯機械については、横浜の燈台寮より英国人技師ビグル ストーンが派遣され、バービエール社(フランス)のレンズが取り付けられま した。 建築費は2125円、点灯機械購入には約360円を要してい ます。それらの建築資金は、堺市民(当時は堺県)の寄付と堺県からの 補助金により、まかなわれました。 その後約1世紀の間、大阪湾を 照らしつづけてきましたが、沖に向かって広がる埋め立てのため、燈台と しての役割を果たさなくなり、昭和43年(1968)にはその灯りを消すことに なりました。 平成13年から19年まで実施した保存修理工事のさい に行われた調査では、燈台の建築過程が判明したので、燈台として最も 整った明治36年頃の姿に復元しました。 |
燈臺の光を見つつ |
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くらい海の上に 燈臺の緑のひかりの 何というやさしさ 明滅しつつ 廻轉しつつ おれの夜を ひと夜 彷徨(サマヨ)ふ さうしておまへは おれの夜に いろんな いろんな 意味をあたへる 嘆きや ねがひや の いひ知れぬ―― あゝ 嘆きや ねがひや 何といふやさしさ なにもないのに おれの夜を ひと夜 燈臺の緑のひかりが 彷徨(サマヨ)ふ |
伊 東 静 雄 |