御 祭 神 |
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天之水分大神 (中央祠) 第一殿 奈良県吉野郡吉野町 大字吉野山 吉野水分神社之御分霊 大物主神 (右之祠) 第二殿 奈良県桜井市三輪 大神神社之御分霊 稲荷大社 (左之祠) 第三殿 京都市伏見区稲荷 伏見稲荷大社之御分霊 |
庭代集落記念碑 |
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旧泉北郡上神谷(ニワダニ)大字田中字庭代は 多くの文化財と豊かな自然に
囲まれた 戸数十九戸の静かな農業の集落でした。 一九六三年(昭和38年) 泉北ニュータウン建設計画が発表され 私たちの庭代集落が 造成工事により 地中深く埋没することが明らかにされました 私たちは生まれ育った土地が なくなることについて 幾度も話合いを重ねました そして最後にニュータウン建設 事業の公共性に配慮し 全戸が庭代台一丁南地区に移転し 一九七五年 集落 は造成工事により埋没しました 先祖代々私たちをはぐくみ育ててきた 庭代 の自然と集落を偲び 先人の労苦に感謝し 歴史と伝統を伝えるために ここに 記念碑を建てるものです |
大 嶌 政 一 |
この碑は望郷の思いを託された有志各位に諮り 之を建てたものであります 一九九〇年吉日 矢 嶌 正 明 管理 上神谷地区町会連合会 協賛 庭代台校区連合自治会 仝 御池台校区連合自治会 |
法 道 寺 |
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白鳳時代、天智天皇9年(670)法道仙人当山に来たり飛鉢(ヒバチ)の法(ホウ)
修せられ、その霊験の著しきにより終に輦下(レンカ)に達し勅願寺として開創され、
もと閑谷院(カンコクイン)長福寺と称され多数の寺院を擁した大寺院であった。享保
元年(1716)徳川八大将軍 吉宗公の嫡子に長福丸と名づけられてより法道寺と
寺号が改められた真言宗の寺である。 承和11年(844)慈覚大師(ジガクダイシ)、 仁明天皇の勅を奉じて当山に参籠(サンロウ)、薬師の尊像及光背(コウハイ)に千体の 薬師仏を造刻せらる (本堂中央に安置)、又伝教大師、弘法大師も勅を受けて 祈願所とされたが、のちに寺運衰え、加えて元亀、天正の乱を蒙り寺坊も減じ 幕末には7坊となり、現在は2ヶ寺となった。 境内には、鎌倉時代中期に 建てられた食堂(ジキドウ)、室町時代初期の多宝塔があり、ともに国の重要文化財 建造物に指定されている。また寺宝には鎌倉時代の十六羅漢像十六幅 (土佐将監 の筆) は国の重要文化財美術品に指定されている。 |
堺市 |