2008年12月26日(金)

** 亀の瀬〜雁多尾畑〜横尾〜高井田 **



10:05 天王寺 (\290-) 〔JR大和路線〕
10:45 河内堅上

11:04 大和川・亀の瀬橋
11:10-27 亀の瀬
11:33-38 龍王社
== 地滑り防止工事中の山の斜面をくねくね上ってゆき… ==
== 山を越えると、雁多尾畑(カリンドオバタ)地区に入る ==
12:25 松谷 光徳寺
12:50 どんどう不動尊
13:01 横尾集出荷施設
== 平尾山古墳群を通り抜けていく… ==
13:46 柏原市立歴史資料館
== 高井田横穴公園内を下りていく ==
13:53 高井田駅着

13:54 高井田 (\210-) 〔JR大和路線〕
14:15 天王寺



亀の瀬橋から大和川上流方向を望む

亀の瀬 対岸の龍王社を望む
道路を横断し、河岸へと下りていく…

亀の瀬
大和川上流方向

剣先船仲間奉納の石灯篭
 江戸時代、大阪市中と河内・大和の村々は、剣先船と呼ばれる大和川を 利用した水運によって結ばれていました。剣先船には、幕府によって公認された 年代や働き場の違いによって、正保三年(1646)公認の古剣先船211艘、延宝二年 (1675)公認の新剣先船100艘、在郷剣先船78艘、井路川剣先船100艘があり、 このうち国分村持ちの古剣先船35艘を国分船と呼びました。また元禄三年(1690) には、船の大きさが長さ五十八尺(約17.6m)、幅六尺二寸(約1.9m)、深さ一尺四寸 (約42cm)と定められ、積荷も一艘につき十六駄(ダ)(2.2トン)と制限されました。
 国境にあたるこの付近は亀瀬(カメノセ)と呼ばれ、巨岩が露出していたことから船の 通行が困難で、河内側は剣先船、大和側は魚簗(ヤナ)船が航行し、積荷はここで一旦 陸揚げされ、再びそれぞれの船に積みかえて運ばれました。この社(ヤシロ)には、そう した往時の賑わいをしのばせるように、剣先船の問屋仲間によって寛政三年に奉納さ れた石灯籠が残っています。
  2008年3月
柏原市教育委員会


龍王社

== 地滑り防止工事中の山の斜面をくねくね上って来て… ==

== あの頂を越えると、雁多尾畑(カリンドオバタ)地区に入る ==

頂を越えると、すぐに光徳寺が見えてきた
光徳寺の左手(西方向)へ歩を進めていく…

雁多尾畑地区から
二上山(雄岳)&葛城・金剛山を望む

平尾山(左手)を越えて高井田へ…

平尾山古墳群
このような古墳が道傍、数ヶ所に見られる