古道 芋峠 |
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電車がひけるまでは、飛鳥地方と吉野をむすぶ重要な交通路となっていたが、
こんにちは誰ひとり越えるものはなく、草ぼうぼうで道を見失いがちであり、廃道に帰
している実状である。 山道はもちろん、田舎の担道さえ村から村へと歩く人影は、 全国ともにほとんど見られなくなった。旧道は寸断され、旧峠などたいがいが廃絶の 姿である。 古代から近代までつづいたあるくことによる距離の観念は、交通機関 の発達によってみごとに変革をとげているといってよい。それだけに、万葉の歌の実相 があるくことによってより正しく還元されるところの多いことが、峠の草などかきわけてい るときに、しみじみ感じられてくる。 |
み吉野の 耳我(ミミガ)の嶺(ミネ)に 時なくぞ 雪は降りける 間(マ) なくぞ 雨はふりける その雪の 時なきがごと その雨の 間なきがごと 隈(クマ)もおちず 思いつつぞ来し その山道を 万葉集巻一 二十五 ― 天武天皇 ― |
犬 養 孝 『万葉の旅(上)』より |
古道 小峠・芋峠道 |
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明日香村大字岡のあたりから吉野へ歩いてゆくのには、普通飛鳥川を
さかのぼって大字稲淵、栢森と登りつめて、芋峠が吉野群との境となって、これ
から吉野郡上市の町へと下るのである。 芋峠までくれば、吉野の山々を一 つ一つ数えることができる。空気も国原とはとみに変った感である。 この道 は、明日香村の奥座敷で、静寂快適この上もない。 いまは自動車で、この 峠をらくに越え、飛鳥吉野間の往復もしきりである。 昭和のはじめ ごろでは、まだ旧道であった。飛鳥川の東岸をゆく道は、栢森から左に曲って登っ てゆく道で、草茫々の廃道となり、峠へゆく途中の茶店の人も下の村におりて、 家のあとだけがあった。峠のところで新道と合している。 持統女帝の吉野 行幸道は、地形状況からいって、この道をゆくのがきわめて自然と思われる。 |
犬 養 孝 『万葉の大和路』より |
小峠 |
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ここから南西に見える山が高取山です。昭和の初め頃までは高取城址の
石垣も見えていました。分教場で学ぶ子供達の遠足はここでした。 弁当を 食べて、黄葉・紅葉の輝く山を画用紙に描き、山を駆け巡って遊びました。 夏はヤマアジサイのうす水色の花が、冬はアオキの赤い実が、そして草木に 被われた石地蔵が、古代からの歴史を見つめています。 |
古道 小峠・芋峠道 |
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この峠道は昭和二十年頃まで大和国中から吉野への生活道でした。
吉野へ輿入れする花嫁は駕籠に揺られ、タンス・長持・ホッカイ(御櫃等の
台所用品)等を担いだ縁者等は提灯行列をして峠を上って行きました。 又、この道は山仕事道でもありました。当寺の山は広葉樹の自然林で、 炭焼き作業で山に寝泊りし、生活必需品の薪・焚き木を求めて老若飛鳥人が 行き来しました。今でも山中に炭焼き釜の跡が残っています。 万葉時代 の、天武・持統天皇が吉野離宮へ通われた道もこの道だとされています。 |
「 栢 森 の 綱 掛 神 事 」 Tsunakake Rite, KAYANOMORI | |
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綱掛神事は、栢森と稲渕両大字に伝わる神事で、毎年正月11日に
行なわれる。カンジョ掛神事ともいう。 子孫繁栄と五穀豊穣を祈ると ともに、悪疫などこの道と川を通って侵入するものを押し止め、住民を守護 するための神事といわれている。 栢森大字の神事の特徴は、全体を 仏式で行なうことである。福物(陰物ともいう。)と呼ばれる石の上に祭壇を 設け、僧侶の法要の後、飛鳥川の上に陰物を形どった「女綱」を掛け渡す。 一方、飛鳥川下流の稲渕大字の神事は神式で行なうことが特徴で、「男綱」 を飛鳥川に掛け渡しをする。 | |
明日香村大字栢森です |
稲渕の綱掛神事 Tsunakake Shinto Rite Inabuchi |
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綱掛神事は、稲渕(イナブチ)と栢森(カヤノモリ)両大字に伝わる神事で、毎年1月に
行なわれる。カンジョ掛神事ともいう。 子孫繁栄と五穀豊穣を祈るとともに、悪疫 などこの道と川を通って侵入するものを押しとめ、住民を守護するための神事といわれ ている。 稲渕大字の神事の特徴は、全体を神式で行なうことである。飛鳥川の上 に陽物(ヨウブツ)をかたどった「男綱(オヅナ)」を掛け渡し、神所橋(カンジョバシ)と呼ばれる橋 に祭壇を設け、神職が御祓いをする。一方、飛鳥川上流の栢森大字の神事は仏式で行 うことが特徴で、「女綱(メヅナ)」を飛鳥川に掛け渡しをする。 |
明日香村 |