2008年11月12日(水)

** 弘 川 寺 **



10:10 高見ノ里 (\340-) 〔近鉄南大阪&長野線〕
10:33 富田林
10:50 富田林駅前 (\360-) 〔金剛バス〕
11:13 河内

11:20-36 弘川寺&西行堂
11:38-47 西行墳&似雲墳
== 西行桜山周遊路を登っていく ==
12:13-15 西行庵跡
12:23 西行墳&似雲墳
12:25-50 西行堂&(昼食)
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13:55-14:10 持尾城址
14:47 高貴寺通過
14:55 磐船神社通過
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16:28 上ノ太子駅着

16:36 上ノ太子 (\290-) 〔近鉄南大阪線〕
17:02 高見ノ里



史跡 弘川寺境内
 弘川寺は天智天皇四年(665)役行者の草創にかかり、天武天皇白鳳五年 (677)勅命あって当寺に請雨を祈り、験著しかったので、龍池山弘川寺の寺号を 賜り勅願寺となる。天平九年(737)に行基がこゝで練行、また弘仁年間には弘法 大師が嵯峨天皇の命により中興された。
 歌聖西行は晩年当寺の座主空寂 上人の法徳を慕って来られ、文治六年(1190)二月十六日ここで入滅する。その後 南北朝時代には楠木氏の戦場となり、また戦国時代には河内国の守護畠山政長 はこの寺に陣し、弟義就これを攻めて寛正四年(1463)四月十五日堂塔ことごとく 焼失した。
 西行法師を慕うこと深く今西行と呼ばれた歌僧似雲法師は、享保 十七年(1733)当寺境内にその墳墓を発見し、墓域に草庵を結んで隠棲した。遺言 により当寺境内の西行墳の傍らに葬られた。
  昭和十三年五月十一日大阪 府古文化記念物
  保存顕彰規則により、史蹟として指定
大阪府教育委員会


西行堂

年たけて 又越ゆべしと おもひきや
いのち なりけり さやの中山

西行墳

ねがはくは 花のもとにて 春死なむ
そのきさらぎの 望月(モチヅキ)のころ

似 雲 墳
江戸中期広島の歌僧似雲法師は西行を慕い、その終焉の地を 求めて、この地に西行の古墳を発見しました。
その後、西行墳の 周辺に千本桜を植え、その中に「花の庵」を建てて住み、西行堂を建 立し、生涯を西行追慕にささげました。

左手奥: 西行桜山周遊路入口

似雲庵跡から西行庵跡へと
ちょっと登った所から
ワールド牧場を望む

西 行 庵 跡

麓まで唐紅(カラクレナイ)に見ゆるかな
さかりしぐるる葛城の峰

訪ね来つる宿は木の葉に埋もれて
   煙を立つる 弘川の里

弘川寺本坊
西行記念館はこの中にある

弘川寺の在る山を振り返る

持 尾 城 跡
 標高336mの高台で、河内平野を一望のもとに見渡せる 景勝の地である。茶臼山または城が塚とも呼ばれる。
 元弘 2年、楠木正成の築いた城で、平岩氏が拠って戦ったといわれる。 大和から河内へ侵入する関東軍の様子がよく見えるため、のろし 台の役割を果たしたのではないかと思われる。
 中世の「とり で」の形がよく残っていて、尾根のところどころを削り取って平らに した跡など、注目に値する。


持尾城址より河内平野を望む

高貴寺&磐船神社の在る山を振り返る

推古天皇陵&二子塚古墳を望む