ご 由 緒 |
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ご祭神秦河勝公は、中国より渡来した秦氏の子孫で、氏の長として
数朝に仕え、特に聖徳太子に寵任された。 河勝公は、会計制度を起し、外国 使臣来朝の際の接待役等多くの功績を残されている。 太子より仏像を賜わり 太秦に広隆寺を建立された事は有名である。 また、神楽を創作制定され、今日 では猿楽の祖、あるいは能楽の祖として崇められている。 河勝公は、皇極三年 (644)に、太子亡きあとの蘇我入鹿の迫害をさけ、海路をたよって此々坂越浦にお着き になられ、千種川流域の開拓を推め、大化三年(647)に八十余歳で薨ぜられた。 河勝公の御霊は神仙化とし、村人が朝廷に願い出、祠を築き祀ったのが大避神社 の創建と伝えられている。 (後略) |
大避神社ご祭神「秦河勝公」が皇極三年(644)の
坂越への来浦縁起に、公が「うつぼ船」に乗られて生島に流れ着いたと伝え
られている。 この「うつぼ船」が境内に自生している「ヒョンノキ」学名「 イスノキ」の虫エイという実のような不思議な実に似ていると想像され詠まれ た句である。 …(後略)… という説明文があった。 |
生 島 |
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坂越の町の目と鼻の先に浮かぶ周囲わずか1.6kmの小島。 古来より大避神社の神地として人の入ることを禁じていたので、樹木が 原始のままの状態を保っており国の天然記念物に指定されている。 樹林の奥には、西播磨を開いた秦河勝の墓とされる円墳も。 また、 毎年10月の第2土・日には瀬戸内三大祭の一つ、大避神社の船祭りが 行われ、御座船に神輿が乗せられ、お旅所のある生島へ船渡御が開始さ れる。獅子船、頭人船、楽船、歌船などがそれぞれ旗やのぼりを押し立て、 笛や鉦の音も賑やかに湾内を回航する様は圧巻。 |