神(カン) 奈(ナ) 備(ビ) 神 社 |
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平安時代に編集された延喜式には甘南備神社とあるこの神社は、
天照大神・天児屋根命・鵜茅葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)・大国主命を
祭神としている。 現在の社殿は昭和五十二年(1977)に修築された ものである。 社殿のあるこの甘南備山(標高217.5m)は、古来より 神の依りつく山として信仰の対象とされていた。平安京造営の際には京 の中軸線(朱雀(スザク)大路)の目印になったとみられている。 地元 の薪(タキギ)地区では「かんなべやま」または「そうやま(惣山)」とも呼ばれ ている。 昭和三十四年(1959)から毎年一月三日は、新春甘南備山 初登りで山頂はにぎわいをみせる。 南東に下がった通称「薬師谷」 には『今昔物語集』にその名がみえる神奈比(カンナビ)寺の跡が残る。 |
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酬恩庵 一休寺 の沿革 |
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当寺の元の名は妙勝寺と云った。臨済宗の高僧、大應国師
(南浦紹明)が中国の虚堂和尚に禅を学び、帰朝後、禅の道場をこの地に建
てたのが始めである。然るにその後、元弘の戦火にかかり復興もならずにい
たものを、六代の孫にあたる一休禅師が、康正年中(1455-6)宗祖の道風を
慕って、堂宇を再興し、師恩にむくいる意味で「酬恩庵」と命名し、ここで後半
の生涯を送り、八十一歳で大徳寺住職となったときもこの寺から通われたの
である。 文明十三年(1481)十一月二十一日、八十八歳の高齢を以て 当寺において示寂し、遺骨を当所に葬ったのである。 (後略) |
酬 恩 庵 住 職 職 |