白川金色院について |
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金色院は後冷泉天皇の皇后四条宮寛子(宇治平等院を建てた関白藤原頼通の娘) が康和4年(1102)に創建した寺と伝えられています。この白川の里にはその名のとおり 金色まばゆい伽藍が並び建ち、天治元年(1124)に落成した奥州平泉の中尊寺金色堂 のモデルともなったといわれていますが、長禄4年(1460)の火災に焼失し、金色院の優雅 なたたずまいは失われてしまいました。現在ではその鎮守社であった白山神社に寄棟造 茅葺拝殿(鎌倉)があり、ここ地蔵院には奈良時代の銅造阿シュク如来立像、釈迦如来坐像 などをはじめ、平安時代の銅造・木造の仏像・板彫両界曼荼羅、あるいは建武2年(1335) 鋳造の梵鐘、平安ー鎌倉期の大般若経など金色院の遺宝とされる多くの文化財が収め られています。 |
地 蔵 院 |
白山神社と金色院 |
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白山神社は延暦9年(790)に疱瘡(ホウソウ)が流行した時に、その
治癒を願って建てられたと伝えられていますが、やがて藤原頼通(ヨリミチ)
の娘で後冷泉(ゴレイゼイ)天皇の皇后寛子(カンシ)の建立といわれる金色院
の鎮守社となりました。 祭神は伊邪那美命(イザナミノミコト)で、平安時代 後期の木造座像を祀っています。 康和4年(1102)に建立された金色院 は、七間四面の本堂のほか、多くの堂塔や坊舎を誇り、堂塔には金が ちりばめられていたと伝えられています。現在では白山神社と惣門(ソウモン)、 寛子の供養塔といわれる九重石塔が残るのみですが、同じ白川の地蔵院 に保存されているな数々の宝物や文化財から、往時を偲ぶことができます。 |